第三章 雨の日の別れ
あの頃からだっただろうか。砂浜に引き返す潮のように、どんな
心の波立ちも消え去ってしまうようになったのは。
あの、雨の多い六月の日々からだっただろうか……。
ずっと、フロントガラスの向こうを見ていた。
曇った空は、この梅雨入りしてからの一週間と同じ色。雨粒が落
ちるほどではないけれど、低く、地面との間の空気を押し付けるよ
うに、灰色に波打っている。
何回目だったかな、海は。
放課後、誘われた時も、この後起こること全てがわかっているよ
うな気がしていた。
海のことを歌った曲がずっと、カーステレオから流れていた。最
近、映画を作った日本の人気バンドのアルバム。
私は、好きじゃない。
喋ることは、取り立てて何もなかった。
そりゃ、そうだよ。本当は、私の話なんて、何一つ聞きたくない
のはわかっている。
波打ち際へ向かう一歩一歩。
腰に回された手が、ネバネバとしているような錯覚がして、身体
を少し離した。
鼻にかかった声が、ずっと、いつも通りの話を繰り返している。
校長のこと、言うことを聞かない男どものこと、文句の電話をして
くる親のこと。
そして、誰も自分を認めてはくれないこと。
ずっと、話は続いていた。
好きなはずの海も、砂浜の風も、全部が灰色だ。
でも、そのまま過ぎて、今日のデートが終りになったなら、胸に
こんな重石は残らない。
やっぱり車は、ベージュ色の、おもちゃのような城のゲートをく
ぐった。
いきなり、背後から抱き締められた。
「このままでいいだろ」
シャワーも浴びさせてくれないんだ……でも、いい。終わったら
きれいにするから。
本当は、あんな風には持っていきたくなかった。
でも、不快なままだけなのは、ゴメンだったから。
いや、違うのかも。そうしてしまえば、楽だから?
どんなに心が離れていたって、身体だけは持っていける。
ずっと、乳首をもて遊び続けている唇。痛いくらいに掴み上げら
れたお尻の肉。全然、場所を心得ていない指先。
でも、感じられる。そっちへいこうと、思えば。
「きて、きてよ、先生。きてぇ……」
嬌声だってわかっていて、でも、それが気持ち良くなってくれる、
気持ち良くなれる――。
私は、ずるい女だ。
今なら、って思っていた。精を放った後、ルームサービスのビー
ルを飲んでいる、血が上っていないこの「人」になら。
「先生、私たち、もう終りにしよ」
裸の背中が、少しだけ強張るのがわかった。
そして、横目で視線を合わせた細い目は、すぐに下に逸らされた。
「先生……」
不意に立ち上がると、一言も発さずに、シャワールームに消えた。
小さく聞こえ始めるシャワーの音――無視、なんだ……。
横になったまま、シーツを握り締めた。
ホテルを出てからもずっと、暗いフロントガラスの外を見ていた。
一言も喋らなかった。
車の芳香剤の匂いと、石鹸の残り香ばかりが鼻に残って、頭はず
っと止まったまま。
いつも通り家の二辻前で車を下りて、夜の道を消えていくテール
ランプを見送る。
暗い夜空には、雲がかかったままだった。星が、一つも見えない。
足元を見つめて、一瞬だけ目を閉じた。
ああ、何で、こんな風になっちゃったのか……。
次の月曜は、できれば休んでしまいたかった。
でも、仕方ない。合唱祭の練習と準備があったし、私が仕切らな
きゃ、まとまるクラスでもなし。
黒板に書かれた授業予定を見ると、気が塞ぎそうになった。
五限、英語。
朝、わざわざギリギリで登校したのも、もしかしてでも、顔を合
わせたくなかったからだった。
気にしていてもしょうがない。何とかやり過ごすしかないんだ―
―。
迎えた五限前の昼休み、音楽室で滑らかなピアノの音に耳を傾け
ていた。
セーラー服から伸びた長い腕が腱の上を踊るのを見つめながら、
なんとなくこの後の授業のことを思い浮べてしまっている。
「どうかなぁ、美佳」
秀でた額の下で、大きな目が控えめにこちらを見た。流麗な音の
連なりに、ぼんやりしていたことに気付いて、
「あ、うん。いいよ、まったくオッケー、亜矢。マル」
「ほんとに? ずっと弾いてなかったから」
亜矢は、スコアを指で辿りながら、和音を繰り返した。
「ここが、ちょっと難しいかな……、I will ease your
mind〜の後」
ピアノの音ともに、透き通った声が「明日に架ける橋」の最後の
フレーズを歌う。
私は、真剣に音を追う亜矢の顔から視線を離して、窓の向こうを
見た。今日も、天気が悪い。
体調悪いことにして、保健室にでも……、ああ、ダメだ。そんな
ことをしても、うまい風にいくとは思えない。
「美佳」
ピアノの音が止まって、少し曇った表情がこちらを伺っている。
「うん?」
「なんか、パッとしないみたいだけど、美佳」
「あ、ううん、そんなことないって」
手を顔の前でプルプルと振る。
「亜矢こそさ、どうよ。あの朴念仁とは」
「……もう、その言い方、やめてって言ってるのに」
拗ねた感じはすぐに柔らかい笑みに置き換わって、
「また、そのうちに、ね。美佳には聞いてもらってばっかりでゴメ
ン、だけど」
「いえいえ、色恋話は大好きだからねぇ、あたしゃ。耳ダンボ、耳
ダンボ」
両耳に手を当てると、亜矢はクスクスと笑った。そのしなやかさ
に、森島との間が上手く行ってることがよくわかる。
嬉しさを秘めた表情を目にした一瞬、少しだけ兆した暗い想いに、
心の中で首を振った。
そんな類いのものじゃない、この子の気持ちは。私のは、自業自
得だ。
どうしてか、背の低い、からかったような顔が思い浮かんだ。
「カッコいいだろ、あいつら」
そして五限は、いつも通りに始まり、なんてこともなく終わった。
先生の表情はいつもと変わらない。淡々とリーダーを読み上げて、
訳文と注意すべきポイントを解説していく。時折挟まる、からかい
やギャグの声にも、いつも通り感情を交えず、軽く流して授業を終
えた。
そのまま放課後の合唱の練習に流れ込む。
おふざけな男子どもをうまくやり込めつつ、ピアノを弾く亜矢と
打ち合わせしながら、初めての声合わせを終えた。
結局、いつもと変わらない一日だった。
ホッとしてもいいはず。でも、しっくりいかない気持ちをどうし
ても振り払えなかった。
母は、今日は夜のパートの日だった。
一人で食事を終えて、残った分を冷蔵庫にしまう。
このメニューだと、父が文句言うだろうな。「つまみがないじゃ
ないか」――コーヒーを飲みながら、ぼんやりとTVを眺めていた
部屋に突然、電話が鳴った。
一回、二回。
それだけで呼出音が切れる。
うるさく笑い声を立てていたはずの番組も、その他の音も、何も
かもが聞こえなくなって、また。
「はい」
一回だけのコールで受話器をもぎ取ると、予想通りの声が受話器
の向こうにあった。
『……美佳か』
心の中で一度息を吸い込んで、ゆっくり答える。
「…はい」
『あのな……』
声は一瞬途切れて、語調を少しだけ強くして続く。
『来週、暇か』
「来週?」
『この次の日曜日。何もないだろう?』
淡々とした調子。
「ないけど……」
どんなことを話すか、わかる。でも、ダメだ。
『食事でも、するか。前に行った、イタリア料理の店、さ』
いつもの感じで口を開きかけて、私は奥歯を噛んだ。ダメだ、ダ
メだ。
『いいだろ。美佳、気に入ってたじゃないか』
何も変わらない調子、いつも通り――。
『……美佳』
ダメだ。
『聞こえてるか』
「……ダメだよ、行かないよ。この間、言った通りだから」
沈黙が流れる。そして、少し感情をあらわにした声が響く。
『何言ってんだ。変な拗ね方、お前らしくないじゃないか。ほら、
明日でもいいからさ――』
私は、黙ったまま受話器を置いた。
電話台の前に立ったまま、視線を落とす。
ああ、もう。
スウェットの両腿を叩いた時、また。
激しく耳に鳴り響いた呼出音は、長く鳴り続けて、しばらく止ま
る気配がない。
これ以上は――受話器に手をかけた瞬間、機械は鳴り響くのをや
めた。
その後まもなく、父が帰ってきた。
「燗つけてくれ、美佳」
食事の用意をしている間も、いつまた電話が鳴るか、気が気でな
かった。もし、両親にバレたら。
それだけには、ずっと気を遣ってきたのに。
頭からずっとそんな考えが離れず、その夜はほとんど眠ることが
できなかった。
それからしばらくの日々は、空模様以上に、灰色にくすんで感じ
られた。
最初は、それとなく目配せをするだけだった先生の態度は、次第
にあからさまなものに変わっていった。
一度は、四限が終わった昼休み前の廊下で腕を掴まれて、「無視
ばっかりするな」。
たぶん、誰も見ていなかったと思う。でも、どうするつもりだっ
たんだろう、もし、学校にバレたりしたら。
そして、毎日のようにかかってくる電話。帰るたびに子機着信を
優先にして、何とか怪しまれずにはいた。それだって、私の家が留
守がちだから済んでいる事だ。
「もう、やめて」――何度言っただろう。でも、聞こえない。あの
人の中に、私は存在していない。私の幻影が棲み付いているだけな
んだ……。
模試がまた一つあって、受験への準備が進んでいく。いつまでも
こんなことを引き摺っている時じゃなかった。夜、問題集を開くた
びに力が抜けて、ため息混じりのもの思いにふけるようなことをし
ている時じゃ――。
六月も半ばを過ぎ、合唱祭の練習も大詰めの放課後、私は出した
くもない大声を上げてしまっていた。
そうでなくてもまとまらない練習始めに、定番のおふざけをやめ
ない男ども。
椅子を二つ離し並べて仰向けに寝転がり、「明日に架ける橋ぃ」
と幼稚なバカをやっている姿を見ていて、どうにも我慢できなくな
った。
「あんたら、幼稚園児? みんな、部活や放課後の時間削ってんだ
からね、邪魔すんなら、帰りな!」
「おぉ。美佳姉さんが怒った」
「そうそう、も、いいじゃん。みんな忙しいんだし、充分にやった
って」
先生がいないと、余計に収拾がつかない。まわりも面白がって、
にやにや笑いながら取り巻いている。まったく、何で男どもはこう
バカなのか。
「下らないこと、言ってんじゃないっての……」
おふざけ大将の三島と矢川にもう一発かましてやろうと思った時、
椅子の上に横になった三島の腹の上に、ひょいと腰掛ける姿があっ
た。
「おお、柔らかいねぇ」
「痛ぇ。何すんだよ、寛史」
口の端を上げて笑っているのは、寛史だった。まったく、こいつ
も時々調子くれだから。
「おお、力入れろよ。ほれ。これで完成形」
足を離して、三島の腰をピシャッと叩くにやけた顔に、いい加減
何も言う気がなくなりかけた時、足を抑えていた矢川が手をパチン、
と叩いた。
「あ、そうかそうか、lay me down〜ってか」
「おお、わかった? 友達だろ、三島。橋になってくれよ〜」
ちょっと的外れのギャグに、机を下げたままバラけていたクラス
全体からクスクス笑いが漏れる。
「やめろ、寛史。壊れるぅ」
「人間橋」に寛史がギュウギュウと体重をかけた時、教室の前で
座っていた亜矢が、キーボードで軽くメロディを弾いた。
振り向いて目が合うと、うんと頷きが返ってきた。続けて亜矢は、
柔らかく曲の最初の和音を響かせる。
気がつくと、近くには、数人の男子と混じって、森島の姿も見え
た。亜矢を見つめる、穏やかな視線に気付く。
森島、あんな顔するのか――ふぅ、まったく。参っちゃうよ。
私は、パンパンと手を叩いた。
「始めよ、みんな。いい線いきそうだってさ。グランプリもありか
もよ……な、亜矢」
「うん、いけると思うな。私は」
「お、合唱部副部長のお墨付きか?」
いつの間にか、前に並んだ男子の中に寛史が混ざっていた。
「違うって、寛史君。すぐそういうこと、言うんだから」
「……実質、そうじゃない?」
私も合いの手を入れると、少し呆れた様子で目を逸らした亜矢は、
答えの代わりに、前奏を弾き始めた。
「じゃ、一回、最初から合わせよ」
軽く指揮をとりながら最初のフレーズに声を合わせた時、なぜか
舌の先を噛みたくなった。
I'm on your side, when times get rough かぁ……。
それは、土曜日の午後だった。
午前に行われた合唱祭の結果は、三年の一位。グランプリは二年
にさらわれたけれど、充分満足な結果で、一度家に帰った後に有志
で打ち上げをすることになった。もっとも、有志といっても、少し
はアルコールも入るかもしれないお騒ぎ会、ほとんど全員出席にな
るだろうことは疑いなかったけれども。
学校を出て自転車で走り始めた空は、相変わらず重苦しい色で、
私は、家路を急いでいた。
この一週間は、ほとんどあの人と顔を合わせることもなかった。
電話もかかってこない。
このまま、立ち消えていくのかもしれない。きっと、時々耳にす
る恋の終りがそうであるように。
あの人も、いつまでも教え子に拘ってバタバタするほど、バカじ
ゃない。そうだよ、いくらなんでも、もうすぐ三十になるんだから
……。
考えながら街中を過ぎた時、初めて何かに気付いた。
信号を曲がって、大通り沿いの歩道を走り始めた時、見慣れた色
の車が、視界の端にかかったような……。
頭の中に、間違いのない像が結ばれた。
青い、セダンタイプの四ドア。
振り返ると、上下二車線の大通りの端を自転車と同じスピードで
ゆっくりと走ってくる。そして、フロントの向こうには、ハンドル
を握る、眼鏡をかけ、頬骨の張った顔が。
反射的に自転車のハンドルを切って、わき道に入っていた。
視線が合ってしまった――あんな目をする人だった?
いつか見たはずの、優しい色はどこにもない。落ち窪んでねめつ
けるような単色の瞳だった。
走ったことのない道。ううん、ここを出ると、むこうはバイパス
のはずだ。
けれど、再び広い道が見えてきた時、立ち並ぶ街路樹の脇に見え
たのは――。
私は自転車のブレーキをかけて、サドルから腰を外した。
「美佳」
開いたドアの前には、背広姿のあの人が立っていた。
細身で身長が高く撫で付けた頭の、神経質そうな顔立ちの男が、
立っていた。
「どうして」
それしか言葉が出てこなかった。その男は、近寄ってきて、私の
目の前に立つ。
「俺が、悪いのか?」
眼鏡の奥の目をギラギラさせて、薄い唇が言う。
そんなんじゃない、悪いとかじゃない。
首を小さく振った。
「じゃ、どうしてだよ」
意味がわからない。音にしか聞こえない。
「何度も言ったじゃない、何か、違っちゃったんだよ」
自分の声も、自動販売機の機械音のようだ。
「違ったって、何が」
押し潰れた声。いったい、誰の声だろう。
「全部、何もかも、全部だよ」
歩道を、傘を広げた中年の女の人が歩き過ぎていく。わき目に私
達を見ながら……ああ、この冷たいのは、雨だったんだ。
また一歩、近付いてくる。
ああ、やめて欲しい。これ以上、傍に寄らないでよ。
腰に手がかかった。
「ダメじゃ、ないだろ。好きだろ、俺が。な、美佳」
頭の上から響いてくる空虚。なんの意味もない言葉。息が近づい
て、唇に暖かさが触れた。
「やめて!」
掛かりかけた息が、何かに火をつけた。こんなこと、言わなきゃ
いけないのか。言いたくなかったのに!
胸に手を当てて、押し離すと、目を睨みつけて、
「もう、やめて。これ以上すると、出るとこに出るよ。学校にぶち
まけたって、いいんだから! あんたは……」
心から溢れ、口にしかけた荒れ狂う言葉を、すんでのところで飲
み込んだ。もう、やめて――。
「美佳……」
一歩下がった先生を後ろに、自転車のペダルをこぎ始めた。
追いかけてこないで。追いかけてくるな!
頬に、冷たいものを感じた。
額に張り付いた髪の毛の先から、顎へと落ちていく濡れた雫。
空を見上げると、激しい雨が降り始めていた。前カゴのカバンの
中には、折り畳み傘と、携帯用の雨合羽――でも、いい。いらない。
ずっとそのまま走り続けて、家の前に自転車を止めた。
ずぶ濡れのまま、鍵を差し込んで開けた玄関には、誰もいなかっ
た。
――少しだけホッとする。
『好きだろ、俺が』
吐息が身体に纏わりついているような気がして、そのまま、浴室
に飛び込んだ。
頭にシャワーを当てて、ゴシゴシと洗い上げた。何度も繰り返す
ように、目の裏で止まらないモノクロ写真。思い出してもどうしよ
うもない、一瞬一瞬。
どうして、あんな奴と……。
零れかけて、思う。
ううん、違う。一生懸命やれた時だってある。している何もかも
に勢いがついた時だってあった。先生と「恋してる」と思っていた
時には。
二年生が終わる頃までの、夢のような記憶が私の驕りを撃って、
後は、もう、何も考えたくなかった。
そして暗くなった窓の外。階下で鳴り響く電話の音が、まどろみ
から私を叩き起こした。
ああ、しまった。子機に着信を変えていなかった。
階下から、呼び声が響いた。
さっき、帰ったばかりの母の声――ああ、これで、親にも……。
「電話。クラスの、安部くんだって」
寛史? どうして?
私は、Tシャツの裾を直しながら飛び起きると、子機の通話ボタ
ンを押した。
「あ、はい」
『お、美佳姉さん、元気そうじゃない』 ▼
男子にしては高い声が、受話器から聞こえた。緊張が解けて、自
然に息が漏れてしまった。
「あ、うん、まあね」
『何だ、体調悪くなったってからさ、どうしたかなぁ〜ってさ』
ベッドに丸まりこむ前、亜矢には電話していた。「ちょっと疲れ
たみたいだから、打ち上げキャンセルで」
「……はは、あの日か〜って?」
軽口が叩きたくなって、鼻笑い混じりに声を出していた。
『ったく、何でそういうこと自分から言うかな、姉さんは』
何だか、いつもより一層軽い調子で話しかけてくる寛史に、私も
ざっくばらんに応えた。
しばらく、何てことはない会話を続けていた。
「女の家に電話してくると、厄介だよ」
『前に自分で言ってたじゃない、適当にかけてよってさ』
そんな言葉をやり取りしながら。
そして、受話器を置く一瞬前、やけに神妙な声が聞こえた時、天
井を見上げていた。どうにも照れ臭いような気がして。
『ま、無理しすぎるなよ。美佳姉さん』
「どこが、かさの小さいあんたに言われたくないね」
自然にグーを作りながら言うと、笑いながら声が返ってきた。
『お、差別発言。ほいじゃ、退散しますわ、チビは。じゃね』
通話が切れた後、ベッドに仰向けになって倒れた。背中がじんわ
り痺れるような。気持ちがいいのか、そうでないのかわからない感
じ……。
ああ、今日はもう、何もしないでおこう。
電話の設定を変えると、CDのトレイに、いつもの一枚を放り込
んだ。