エピローグ

 曇り一つない、キラキラ磨き上げられたウィンドウの向こう側。
 溢れ注ぐ光は、レッド、イエロー、グリーン、ターコイズブルー、アクアマ
リン……名前の定義を遥かに超える、揺らめく万色の夜の海。
 高くそびえる壁面は輝きの潮流を導き、そこに群れ歩く夜の回遊魚。
 華やいだコートに、ワイルドなジーニングに、清楚なカーディガンに。
 豊かな長い黒髪に、光散らす銀のショートヘアーに、主張の強いブラウンの
ドレッドに。
 そして。
 店内までも流れ来る、激しい音のムーブメント。
 それはもう、アクティブでファニーな話し声。スクリーンから流れ落ちる、
派手なセリフと効果音。
 加えて、どこからか響き届くミュージック&ミュージックが、十重二十重の
シンフォニー。
 カラン。
 手元で揺らしたグラスが、軽やかな氷の音を響かせる。
 バイオレットの腕輪が、付かれた肘、七分の青い袖口まで落ち、ライトベー
ジュの足が伸びやかに組まれる。
 ウィンドウの外に広がる海に呼応するように、輝き満ちる水槽の中。
 幾何学カットのガラステーブルへ、木目流麗な板張りの床へ、シックなシャ
ンデリアが光を散らし。
 さりげなく置かれたアンティーク、その向こうから密やかな恋人同士の囁き
が聞こえ――。
「ねえ、これからどうする?」「いいよ、ナァミに任せるぅ」
 淡く紫に塗られた唇に笑みが浮かび、形の良い顎が上を仰ぎ見ると。
 いいね、まだ付き合い始め、スタートラインの初々しさ、かな。
 持ち上げていたグラスをカチン、テーブルの上に響かせれば、同じく紫の光
る指先が、ブルーのアクセントが入ったストレートレイヤーを、軽く耳元で流
して首筋に止まる。
 そのまま顎に指を、視線を外の海へと流してlook around。
 長い睫毛の流れる瞳が淡いシャドウに彩られ、魅惑の色を放ちながら、魅惑
される色を探して漂い続ける。
 流れる七色の光、冬の透き通った空気の中。
 艶やかな黒髪が揺れる華奢な茶色の背中が、死角から現れて、歩道の片隅で
立ち止まった。
 一瞬だけ見えた横顔――丸顔に、大きな瞳、秀でた額の。
 クリスマス間近の人波の中、just focus。
 紅美悠は、紫と青、ベージュに彩られたしなやかな長身を跳ね上げると、取
り出した財布から札を一枚、ポンとテーブルの上に投げ――
「キーちゃん、ペイメント、テーブルに置いといたからさ」
「って、美悠さん? どうかしまし……」
 ウェイトレスの声を後ろに、飛び出した夜の海。
 さっき見た姿を探す。全方位、360度。
 確かに、ピピッと感度、間違いナシ、だった。小柄で、ミディアムロングの
ふんわりとした黒髪、シックな茶のハーフコート、賢そうな横顔と、凛とした
歩き方……。
 巨大なモニターから流れ落ち・弾けるCG、中空を彩るネオンの輝き、行き
交う人の背中。
 スクランブル交差点の向こうを見遣った時、いた。
 ブティックのショーウィンドウ。小さな背中を少しだけ屈めて、緑のドレス
に見入る姿。間違いなく。
 今まさに止まったゴーサインの生音と、点滅する西洋風の歩行者用信号。
 人の海を軽やかに抜け、走り渡り、その少女の後ろ、数メートルで止まる。
 そして、ゆっくり、ゆっくりと。
 隣のカフェテリア、きらびやかなエントランスとメニュー表が掲げられた左
手へと歩み回る。
 それとなく近寄りながら、ウィンドウを見つめるその表情を、もう一度。
 頭一つ分以上も低い頭、少し内側へ巻いた黒髪は、滞りのない稜線を描く丸
顔を彩り、秀でた額の下では、大きな瞳がいっそう清しさを際立たせている―
―。
 よし。
 歩み寄りかけたパンプスの足が、銀のネイルを爪立てて止まった。
 唐突に。
 眉根が寄り、人差し指が口元に添えられて、ん、唇がわずかに突き出される。
 何かが胸の中で詰まり、違和感を訴えて、首を傾げたくなった。
 う〜ん……。
 しばし立ち止まる間、その少女はウィンドウから視線を逸らし、
 フイ。
 横を向くと、駅へと続くアーケードの方へ歩み去っていった。
 みるみる小さくなっていく茶の背中。
 どうして躊躇したかな――見送る瞳は、まだ少し疑問の色。いや、でもまあ、
ちょっと違う感じだったかもね。
 かなりピッと、アンテナに触れた気がしたんだけど……。
 美悠はふぅっと息をひと吐き、落した指先をポポン、太ももで奏でると。
 まあ、よくあること。一度や二度で、かなうハズもない。いやいや、その千
倍、万倍だったとしても。
 何しろあたしが探しているのは、一番星。
 輝き溢れるミルキーウェイの中で、あたしだけが見つける、ワン&オンリー。
そんな簡単に見つかるはずもナシ、だとしたらつまらなすぎる。
 必ず、いつか、GET!だから。
 その日がくるのは、わかっている。そして、きっと、それは間もなく。
 確かな予感がするんだ――。
 さっき見た少女の横顔がもう一度、微かな風を起こして返りかけたが、スト
レートレイヤーの髪が軽く左右に揺れ、すぐに散っていく。
 さて。
 紫のリングの腕がしなやかに、ブルーのシャツとベージュのパンツに引き締
められた腰が揺れると。
 美と恋の女神の背中は、躍りながらステップを踏んで、星の海へと歩み入っ
ていく。
 小さく、恋の歌を口ずさみながら。


   第1部 完

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