エピローグ
・・・ああ、時間になっちまうぞ。
試合の中継が始まるのはもうすぐだった。
BSTV放送のアンテナとチューナーを、なけなしの預金通帳の中から買ったのが昨日。この出費で、当分は自炊生活を強いられるだろう。
まあ、おふくろの世話で慣れてるから、問題はない。
それより、予想外だったのはベランダに取り付ける金具が合わなかったこと。朝一番でホームセンターに走ったものの、戻ってくればもう10時半。試合中継が始まる11時までに、受信のセッティングをしなければならない。
・・・それにしても、この部屋の暑いこと。入り口を全開にしても、まだ涼しくならない。5月でこの調子では、夏が思いやられる。
亜矢は、生で見られるんだろうな・・・。
まだシアトルにいるはずの亜矢を思う。今年、帰ってくると手紙に書いてあったけれど、年度の終わりは6月。シアトルはドジャースのあるロスと同じ西海岸。正直、うらやましい。
アンテナの方向を調整して、サンドストームが意味のある画像に変わるのを待つ。
・・・よし。
時刻は10時58分。間に合った。
さあ、見られるぞ・・・。ドクターKの快刀乱麻。
俺は、ニュースキャスターの映る画面が、大リーグ中継になる瞬間を待って、TVの前で身を固くしていた。
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きっと、驚くだろうなあ。
大きなボストンバックと、肩にしょったナップサックがわたしの全財産。ダミーで借りた小さな下宿から荷物を全部持って、日差しの強い5月の空の下を歩いていた。
ジーンズに青いTシャツだけのラフな格好に、伸びてきた髪を、久しぶりに頭の上で束ねてみた。
もう、二十を越えたら、ちょっと似合わないかも。
いやいや、まだまだわたしだって、乙女だもの。それに、昔のままの自分がいること、武史君に見て欲しいから。
手紙に、すごく狭い部屋だって書いてあったけれど、まさかわたしのいる場所がないってことはないよね。
3月に届いた、大学に受かった旨と、父親が入学の諸経費を払い込んでくれた経緯について書かれた手紙を思い出していた。
ただ、そんな内容は僅かで、ほとんどはトルネードのアメリカ上陸の事で埋め尽くされていたけれど。
電信柱を見ながら、下宿の立ち並んだ小路を入っていく。
・・・4丁目55番地・・・。
あった。
確かに古びた二階建てのコーポだった。階段も錆が目立って、築20年と言う所だろうか。
でも、日当たりは良さそう。それに、部屋も一間ってわけじゃないみたいだし。
二階の三つ並んだ一番端のドアを見上げると、わたしはひとり、ほくそえんでいた。
さ、びっくりさせちゃうから、武史君。
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足音が、後ろから響いてきた。
(誰だ、今、いい所なんだから。)
Tシャツの背中が、TVを覗きこんでいる。
(あ、BSアンテナ。大リーグ中継だ。・・・でも武史君の背中・・。もう、全然変わってない。)
「誰ですか。今取り込み中・・・・」
振り向いた顔、でも、驚きは一瞬だった。
「ただいま・・・。」
「・・・うん、お帰り。」
TVの画面に、青々とした芝生が大写しになった。
(亜矢、あの時のままだ。本当に、2年経ったのだろうか・・・。)
「入っていい?」
笑顔。
「どうぞ。ってもう出て行かないつもりなんだろ?その荷物。」
「へへへ、バレた?・・・あ、来たよ。」
威風堂々とマウンドに向かう背番号16。表情一つ変えずにホームベースを一瞬見やると、ロージンバッグに手を伸ばした。
「ここ、来なよ。一緒に見よう。」
バッグを下ろし、座った傍らで触れ合った手と手。そのまま添えられると、どちらともなく名前を呼び合った。
「・・・亜矢。」
「武史君。」
プレイボール!掛け声と共に、振り絞られた体から渾身の第一球がキャッチャーミットに吸い込まれて行く。
もちろん、そのボールはストレートだった。
完