幕あい 旅立つ想い

 低いエンジン音が、窓の向こうの空気を揺らした。
 朝の市場へと店のトラックが辻を曲がっていく様子を思い浮かべ
つつ、みのりは暗いベッドの上で薄目を開けた。狭い窓ガラスの向
こう、灰色の雲が瞳に映り、部屋の中に湿った空気が満ちているこ
とに気付く。厚く垂れ込めたベールに月も星の光も遮られ、いまだ
深夜のような錯覚さえ抱かせつつ。
「スミ…」
 身体を半分起こしたみのりは、その続きの口をつぐんだ。
 …起きてる? 雨、降りそうだよ。降ったら、ビニール掛けるの
頼んでいい?
 息を吐いて、木枠にはまったガラスを指先で叩いた。
 目蓋を開いた時に佳澄の肩を叩くのは、朝着替えるのと同じぐら
い当たり前の習慣になっていた。その姿が朝の風景から消えてどれ
くらい経っただろうか。近くに体温を感じられないのは、やっぱり
寂しいと思う。
 みのりはベッドから身体を起こすと、もともと広くない部屋をさ
らに手狭にしている、四角に囲った木の格子の中を覗き込んだ。
 クマとラッパの絵が黄の地に描かれた小さな毛布の下では、白い
シーツにうつ伏せになった血色のいい横顔が、穏やかな寝息を立て
ている。白い肌着の肩口と柔らかそうな毛の生えた頭の間は、首が
見えないほどに肉付きがしていて、思わず指で押したくなってしま
うほど。
 軋みやすい床を摺り足加減で押入れの方に移動すると、カラーボ
ックスからジーンズとトレーナーを取り出しつつ、可愛らしい寝姿
に変わりがないか、もう一度振り返った。
 歩夢くん、今日もよく寝てる。ほんとに、いい子。
 みのりは手早く着替えると、長く伸びた髪をヘアバントで束ねた。
のぞき込んだ鏡の中、艶やかな黒髪の下の表情は、高校時代とほと
んど変わらない。少し頬骨が目立って見えるくらいで、大きな瞳も、
丸い鼻も、ぽったりとした唇も、いつもの通り明るく活発な色を浮
かべている。
 少し早いけれど、朝の仕事はさっさと済ませてしまいたかった。
だいたい、こんな日にまで午前中だけでも店を開けようとするおや
じの考えが無謀だと思う。頑固にもほどがあるってもんだ。
 シートの掛けられた木台の間を抜けて、薄暗い店の入り口の引き
戸を開くと、案の定、朝の空気はひどく湿っぽかった。
 梅雨っぽいな、やっぱり。でも、六月らしくていいや。なんたっ
て、花嫁って言えば…、
 その時、頬に冷たいものが当たるのがわかって、みのりは反射的
に、薄明すらいまだ差し込まない早朝の空を見上げた。
 …うわ、でも、雨は勘弁だなあ。今降り始めるようだと、明日ま
で続くかも、だもの。
 雨よけのビニールひさしを延ばした後、うるさい音を立て過ぎな
いよう丁寧に木箱を並べ、店の前の掃除をする。そして、空が明る
さを増し始めた頃、東の辻向こうから鈍い音が近づいてきた。
 動き始めた街のざわめきの中でも聞き間違いようがない、軽トラ
ックの掠れたエンジン音。南へと曲がるカーブから姿を見せると、
錆の目立つ白い車体は、店の斜め前でブレーキの軋む鈍い響きを上
げた。
「早いじゃん、おやじ」
 サイドミラーの横に立つと、短く刈り上げられた髪の下で、厳つ
い眉の下の細い目が頷いた。
「まあな。仕入れ過ぎてもしょうがないだろ。どうせ二日休むんだ
からな」
「……わかってんじゃん。だいたいさ、そんなら今日も休めばいい
んだよ。半日ばっか開けてどうなるっての」
「ぐたぐた言ってないで荷を下ろせ、お前は」
 へいへい――頷きながら緑の幌のついた荷台の後ろに廻り込むと、
紐を解いて鉄の押さえを外した。
 さて、と。
 幌をまくり上げて、積まれているはずのダンボールに手を伸ばそ
うとした瞬間、すらりと伸びた足と、薄桃色のスニーカーが目に入
った。
 錆びついた鉄の荷台の上に、あるはずのない眺め。
「へへ、ただいま。のりちゃん」
「す、スミ!」
 膝下までの浅葱色のスカートが翻ると、アウトに広がったセミロ
ングレイヤーの下で、ずっと待っていた愛しい瞳が見下ろしていた。
「ど、どうして……夜に来るって言ってたのに」
「我慢できなくなっちゃった。明日の事考えてたら」
 若草色のブラウススーツの半袖から伸びた手を握ると、荷台から
下りて真正面に立った細身の身体。一ヶ月ぶりの香りが頬のあたり
から広がって、今がいつで、何処にいるのかわからなくなりそうだ
った。
 白いファッションベルトが緩やかにはめられた腰に手を回すと、
自然に唇が近づいて……軽くキス。
「ただいま、のりちゃん」
「あ、ああ」
 ぼんやりと返事をすると、薄い唇が少し不満そうな色を浮かべる。
「だから、ただいま」
「あ、うん。お帰り。スミ」
 薄く装った顔に満面に笑みが浮かぶと、首に回される手が少し懐
かしい。
 もう一度キスを、今度はもう少し深く……思った瞬間、鉄を叩く
音が背後から聞こえた。
「あのな」
 近づきかけた顔を離して斜め後ろを振り返ると、シャツから突き
出た赤褐色の腕を車体に副えて、皺の刻まれた口元が呆れた調子で
結ばれていた。
「そういうのは、親の前ではやめろって言ってるだろうが。何でい
つまで経ってもそう節操無しかな、お前らは」
「……そんなこと言ったってさ」
 いきなりスミを連れてきたのはどこの誰だよ、だいたい、市場に
行くんじゃなかったのか――父親を睨みかけた時、みのりから身体
を離した佳澄が、顔の前で両手を合わせて上目遣いに頭を下げるの
が見えた。
「ごめんなさい、お父さん。のりちゃんに会えて、凄く嬉しかった
から、つい……」
 みのりの父は軽く唇を噛んで眉をハの字にすると、息を吐いた。
ただ、表情に反して、細い瞳は優しげな色を浮かべている。
「わかったわかった、佳澄。俺も、佳澄から携帯あって、ついつい
飛んでちまったからな。それに、用意は早い方がいい」
「……おい、おやじ、話が違うだろ?」
 みのりは、「正式のもんでもあるまいに、普通にしてりゃいいん
だよ」――つい昨晩まで、興味なさげに言い放っていた様子を思い
返して、手元に垂れ下がった緑の幌を拳で叩いた。
「……だいたい、店はどうすんだよ。仕入れ無しで開けるのか?」
「今日はやめだ。三連休にする。佳澄、店の前にPOP出してくれ
るか?」
 みのりの方を見上げた佳澄は、目を見開いておどけた様子を作っ
て見せた。素っ気なく背中を見せた父は、並べられた木箱を無言で
元に戻し始める。
「あ? それ、私がずっと言ってたことじゃんか。何でそうやって
簡単に転ぶかなぁ、スミに言われると」
「……うるさい。さっさと片付けろ」
 低く呟いた声に、少しばかりの怒りが込み上げて、声が大きくな
る。
「あのなぁ……」
 その時、ポンポンと手の感触が腰の辺りで響いた。
「いいのいいの、のりちゃんもお父さんも。私が無理言ったんだか
ら。それに、びっくりさせよう、って言ったの、お父さんなんだか
ら」
「……佳澄。余分なこと、言わなくていい」
 みのりとの間に立って、しゃがみ込んだ父の背中を振り返った佳
澄が、面白そうに口の端を上げるのがわかった。
 まったく、おやじは。心の中でため息をつきながら、佳澄の変わ
らない態度に、みのりは安堵に似た穏やかな感情を抱いていた。
 しょうがないか。それに、ここに寝止まりするのも、今日で最後
だしなぁ。
 さっき広げたばかりのひさしを丸め始めた時、泣き声が小さく耳
元に届いた気がした。
「……あれ、泣いてない?」
 店の中に入りかけた佳澄が呟いた時、紛いようもない甲高い叫び
が、みのりの立つ路地にまで響き渡ってきた。
「マズ、あっくんが起きた」
「私、行こうか?」
「ううん、いいよ。たぶん、オムツ」
 佳澄の横を通り抜けて店奥の段を上がったみのりは、バタバタと
廊下を歩いて、赤ちゃんの眠る奥の部屋へと向かった。

 「一ヶ月見ないと、ホントに大きくなるもんだよね」
 トレーナーの腕をまくって浴槽の脇に立った佳澄は、みのりの腕
に支えられて湯船に浮かんだ小さな身体に顔を寄せた。
 布のかかったお腹のあたりへ指を押し付けると、まん丸い顔がく
すぐったそうに歪んで、小さな笑い声がぽったりした唇から漏れ出
た。
「あ、今の笑い顔、のりちゃんそっくり〜。いい子でしゅね、あっ
くん」
「へへ、だよな〜、あっくん」
 唇を尖らせて顔を寄せると、丁寧に後ろでまとめた髪が一房解け
て、顔の大きさに不釣合いなほど大きな瞳の側に落ちた。
「……あ、ごめん」
 慌てて髪の毛を払うと、みのりは小さく舌打ちをした。
「たく、やっぱ短くしちゃおうかなぁ。昔みたいに」
「もったいないよ。……ほら、歩夢くんも言ってるよ。のりママの
髪、好きだって」
 関節の部分がえくぼになった小さな手が、さっき落ちた一房を握
って、じっと見つめている。
「う〜ん。あっくん、好き? のりママの髪?」
「だよね〜」
 佳澄はニコニコと笑うと、ようやく生え揃った柔らかい髪の毛に
手を伸ばして、張られた湯でゆっくりと流し始めた。途端に笑い顔
が弾けて、嬉しそうに掴んだ髪を引っ張る。
「イタタ。ホント、きれい好きだよな、こいつ」
「それは、スミママ譲り。いっつも綺麗にしてあげてるものね。ス
ミママがいない間、ちゃんと洗ってもらってた?」
「ちゃんとしてたよな〜、あっくん」
「ホントに?」
「もう、信用ないなあ」
 お風呂から上がって、この春までは佳澄の部屋だった奥の間に三
人で収まると、みのりの腕の中の小さな頭が、ネグリジェの胸元を
探る動きを見せた。
「スミ、頼める?」
 前合わせの下着とオムツだけの「ウチの赤ちゃん」を預けようと
した時、佳澄の方が先に立ち上がった。
「いいいい、私がやるから」
 少し胸を肌蹴ると、丸く開けられた歯のない口が、あるべきもの
を探ろうと頬をすり寄せてくる。
 暖かい感覚が背中の辺りでゆっくりと広がっていく。愛し合って
いる時の感覚に似て、どこか違う甘い痺れ。いつものように乳房を
取り出して、乳首を含ませてあげると、熱さに包まれて強い吸引が
始まり、すぐに止まる。
「ごめんな〜。もうちょっと待ってね」
 通り過ぎるべき時期を経験していない以上、実用に耐えるわけも
ない女性の証し。少し寂しく思うのは仕方がないことだと、みのり
は自分に言い聞かせていた。
 お父さん、このお湯、今沸かした奴?――佳澄の声を聞きながら、
吸引を止めて眉を寄せた顔を見下ろすと、小さく揺らしながら背中
をさすった。
 ……やばい、泣く。
「スミ、まだか?」
 いくら求めても望みのものが得られない事態に、喉の奥が震えを
見せようとした瞬間、大きな哺乳瓶をタオルにくるんだ佳澄が、小
走りに台所から姿を見せた。
「ゴメンね〜、あっくん。ミルミルできたよ」
 佳澄から哺乳瓶を受け取ると、大きく開いた口が一目散に黄色い
飲み口にかぶり付き、間髪入れずに頬が定期的な律動を始める。瓶
一杯に詰まった白色の液体は、細かい泡を立て、はっきり視認でき
るほどのスピードでかさを減らしていった。
「すごいね……。なんか一月前と全然違う」
 みのりの傍らに腰を下ろして肩口から覗き込んだ佳澄は、ため息
混じりに呟いた。
「そうなんだよ、ほんと、先生も言ってたからなぁ。こんな勢いよ
く飲む子も珍しい、って」
「……のりちゃんもそうだけど、お兄さんも身体が大きいから。や
っぱり、血だよね、そういうところは」
「うん、でかくなるんだろうなぁ」
 肌蹴た胸を直しながら、みのりは何処か自分に面差しが似た赤ち
ゃんの顔を見下ろして、さっき抱いた甘い感情が再び兆すのを感じ
て目を細めた。
「そうやってると……、」
 二の腕のところで響いた声が、少し躊躇いがちになると、小さく
続けた。
「ホントにのりちゃんって、お母さん、だよねぇ」
 ミルクを飲み終わった幼い甥っ子の身体を肩に抱き上げて、ポン
ポンと背中を叩くと、大きなゲップが耳元で弾けた。
「……お、いいゲップ」
 口の端から漏れた涎混じりの白い液体を、手ぬぐいで素早く拭う
と、丸い瞳は半開きになった目蓋で覆われ、すぐに寝息が続いた。
「お母さん、か……」
 佳澄の言おうとしていることは、それ以上聞かなくても予想がつ
くことだった。でも、こだわらなくたって、いい。こんな気持ちが
確かに自分の中にあるとわかっただけで、とても満たされるから。
「スミ」
 しばらく二人無言で、瑕疵の一つもない円満な寝姿を見つめ続け
たあと、みのりは柔らかい声で佳澄の名前を呼んだ。
「私さ、やっぱりスミ以外とは考えられないから。きっと歩夢、そ
れがわかって私らのところにくることになったんじゃないかなぁ。
ほら、どんぶらこっこって」
「桃太郎みたいに?」
 眠った歩夢を佳澄の腕に渡すと、その唇から頬に浮かんだ切ない
ような笑みは、自分が今味わっているのと同じ感覚から兆したのだ
と素直に信じられる。
「兄貴の女はバカオンナだったかもしれないけどさ、それはそれで
いいのかな、って」
「……うん、そうだね。がんばろ、のりちゃん」
 顔を上げた佳澄の茶がかった瞳は、出会った頃と変わらない、い
や、一層強い情熱を秘めて輝いている。
「明日は、いよいよだし、な」
 世間的には突拍子もないことをしようとしているはずなのに、佳
澄と一緒に歩めると思うと、全てが当たり前の事に感じられた。
 それはこの二年間、みのりがずっと感じ続けてきたことでもあっ
た。
 そして、愛しい「子供」の身体が、布団の上に横たえられた後、
「菜香町屋」の奥部屋の電気は、夜が更けるまで輝き続けていた。
 佳澄が大学の講義で学んだ経営のこと、みのりが専門学校の授業
から発想した新しい料理、そしてまだ、二人の間だけに秘められた
将来の計画……。
 明日が新しい始まりの日になる。
 最後は布団にうつ伏せに並んで、花の散らされた鮮やかなインビ
テーションカードを見ながら、二人は穏やかな夢の世界にまどろん
でいった。

 みのりの知り合いの洋食店を借り切って開かれた「出発式」は、
とても賑やかな展開になった。
 佳澄の大学のサークル仲間から、みのりがネット上で知り合った
友人、そして、高校時代からの旧友までが集い、歌や楽器の演奏に
始まり、果てはダンスからミニ演劇まで、四方十五mほどの空間に
は、笑いと話し声が尽きることなく続いていた。
 立食形式のパーティにしたのはみのりのアイデアで、佳澄は計画
にはほとんどタッチしていなかった。
 佳澄は、裾が少しフレアになった薄緑色のドレスを纏い、一番大
きな長方形のテーブルで友人達に囲まれているみのりを見遣ると、
丸テーブルから淡い金色の注がれたグラスを持ち上げて、軽く口に
つけた。
 ……のりちゃん、ほんとに楽しそうだ。
 これから一緒に住むからって、わざわざ「式」を開く必要はない
んじゃないか、気張って反対していたことを、不意に思い出した。
 その時のみのりの答えはこうだった。
『スミの言うこともわかるけどさ、形が重要じゃない、って。でも、
私らは恵まれてたんだもの、ビアンのカップルとしては。こうやっ
て自然に一緒に住む計画を立てられるのって、みんなのおかげだと
思う。だから、挨拶代わり。堅っ苦しい式じゃなくてさ。これから
も、よろしく。一緒にやっていこう、って、当たり前のことだけど、
ちゃんとみんなに言っておきたいんだ』
 凄いね、のりちゃん。こんな楽しい「式」だもの、やっぱり言う
通りだった。
 いつも私の一歩も二歩も先を行ってる。でも、私も頑張る。ずっ
と一緒にやっていきたいから。
「おめでと」
 脇から声がかかると、細い腕に持ち上げられた緑色のシャンパン
ボトルが、空になったグラスに当たってカチンと音を立てた。
「……あ、うん。ありがとう」
 タイトなライトブルーのソフトスーツを着たショートカットの女
性は、サークルで知り合った川中真澄だった。
「ホント、大したもんだね、佳澄の彼女。あんな普通にやれるもん
じゃないと思うよ。私みたいなひねくれもんまでペースに巻き込ま
れちゃう」
 大造りな唇を歪めると、手に持ったグラスを佳澄のグラスに合わ
せて、細い目に笑みを浮かべた。
「それに、すごい美人だしね。……ホントにおめでと、佳澄」
「ありがとう、真澄さん」
 佳澄はもう一度、シャンパンの入ったグラスに口を付けると、み
のりの姿をじっと見つめた。
 結い上げた髪を、ドレスの色に調和したモスグリーンのレースリ
ボンで飾り、露わになった耳元ではハート型のイヤリングが彩りを
添えている。そして、淡い紅に染められた頬に、軽くフリルのつい
た袖からのぞく腕、レースが華やかなドレスを際立たせる大柄な身
体……。
 三、四人と語らっていた笑顔が、不意にこちらを向いた。みのり
は、顔の横に手をやると、嬉しそうにパラパラと手を振ってみせた。
「ほら、みのり姉さん、花嫁が留守!」
 懐かしい声に押されると、みのりはゆっくりとこちらに近づいて
きた。
「……ドレスって、歩きにくいよなぁ」
 裾を気にしながらテーブルの間を抜けてくると、みのりは少し顔
をしかめてみせた。
「でも、のりちゃん、似合ってるからいいじゃない。私なんて、細
いから全然ダメ」
 お揃いのドレスを見下して唇を尖らせると、脇に白い造花を飾っ
た髪に、みのりの手が延ばされるのがわかった。
「すぐそういうこと言うんだから、スミは。……すごく似合ってる。
向こうから見て思った、私」
「ホントに?」
 少し照れ臭そうに言われると、ちょっと甘えてみたくなるのはど
うしようもなくて。
「ホントに? なら、ちゃんと言って、のりちゃん」
 耳元に唇が寄ると、小さな声が響いた。
「可愛いよ、スミ」
「へへ……」
 自然に笑みが漏れた時、ウィンドウ側に設えられたマイクスタン
ドから、陽気な声が響いた。
「さて、主役の二人の雰囲気も最高のようですし、ここで、特別ゲ
ストをお迎えしましょう!」
 みのりがあれっ、という顔で演壇の方を見た。
 マイクを握った眼鏡の顔が、こちらへ向けて悪戯っぽく笑うのが
見えた。確か、この時間が終わった後は、二人で挨拶をしてお開き
にする予定のはずだった。
「ゲストって……」
 みのりが呟いた瞬間、聞き覚えのあるメロウな音楽がフロア−に
響き渡り、後方の木扉が大きな音を立てた。
 並んで振り向いたみのりの指先が、ビクリと震えるのがわかった。
思わず、その手を握り締めてしまう。
 入ってきたのは、タキシード姿の二人組み。
 一人は、髪を真ん中で分けた背が高い細身の男性。
 もう一人は、がっしりとした体格の、中年の男性。不釣合いに締
め付けた白いシャツの首筋は逞しく赤褐色に焼けて、短い髪の下で
は厳つい眉と緊張気味の瞳が紛れもない……。
「兄貴……、オヤジ……」
「お父さん!」
 さっきまでそこで食べてたはず……。それに、お兄さんもあっく
んの面倒を見てくれていて。
 一番奥の椅子つきのテーブルを振り返ると、そこには「そんなに
しゃちほこばるこたぁない」と普段着で座っていた父の姿はなく、
青紫の和服を着た白髪の老婆が、幼子を抱いてニヤニヤと笑ってい
た。
 状況を把握したみのりが、舌打ちをするのが聞こえた。
「……まったく、しょうがない」
 テーブルの並ぶ会場の真ん中に立った自分達に、四十人余りの視
線が集まるのがわかって、佳澄は少し苦々しい表情をするみのりに
寄り添って目を伏せた。
「お二人をずっと見守ってきたお父さんから、お祝いの言葉がある
そうです。それでは、お父さん、お願いします」
 さっきまで騒がしかった会場は、初めて発される「式」らしい言
葉を待って、華やいだ静けさに包まれた。
 注目される緊張感が解けて、伏せていた視線を上げると、やはり
どう見ても不似合いなタキシード姿が目に入った。
「のりちゃん、」
 せめて、和装にすればよかったのにね――息抜き混じりに軽く言
おうとした瞬間、大きく見開かれた瞳の色に、それ以上の言葉が続
けられなくなった。
 瞬きもせず、真っ直ぐ正面を見据えたみのりの視線の先には……、
やはり身じろぎもしないで見つめ返す固い瞳の色。
 そして、みのりの父と兄が軽く頭を下げた時、感動とも戦慄とも
つかない重い感覚が背中を占めて、佳澄はどこに心を置いていいの
かわからなくなっていた。
「本日は、不肖の娘達のために、忙しい中を集まって下さって、あ
りがとうございます。どうにも、こうやって人前で話す事に慣れた
人間ではないので、ざっくばらんに話すことを許していただきたい。
みなさんの前ではありますが、いや、だからこそ、かもしれんが、
娘達にしっかりと言っておきたいことがあります」
 言葉とは裏腹に、父の態度は堂々として、少しの揺らぎもないも
のだった。さっきから合わさっていたみのりの手に、強い力が篭る
のがわかって、乱れ始めた気持ちが余計にかき回されるような気が
していた。
「……この式、お前達は「出発式」なる名前をつけて、自分達なり
に考えているみたいだが、親としてはやはり「結婚式」だと思って
いる。これから社会へ出て、二人で支え合っていくんだ、それはど
んなものであれ、家族を作る事だと、俺は思う」
 厳しさを帯びた口調を止め、少し息をついた後、父は会場全体に
視線をやって、ゆっくりと口を開いた。
「みなさんに正直に申し上げれば、この二人が我が家の屋根の下で
暮らすようになった頃、「そんなことがあるものか」と思ったもん
です。
 いくら時代が変わろうと、変えちゃならんものがあるんじゃない
か、と思っておりました。仲の良い娘同士など、昔からいるじゃね
ぇか。時間が経てば、いつか普通に暮らすようになるんじゃないか、
とも思っていました。
 それまで、この二人の娘を見ていくのが、せめてもの親の務め
じゃねぇか……」
 唇を噛んで言葉を切った剛毅な顔立ちは、一瞬天井を仰いで溢れ
るものを押し止めているに見えた。
 合わさったみのりの手が細かく震え始めるのを感じて、そして、
深く自分達を受け入れてくれている父の姿に、心の底から熱いもの
を覚えつつ、同時に佳澄は、何処か切ない気持ちが湧き出すのを止
めることができなかった。
 響き渡る力強い声に会場は静まり返り、鼻をすする音も聞こえた。
「……けれど、それは間違いだった。一緒に暮らした二年間、どう
見たってこの二人くらい似合いの組み合わせはいねぇ、いい悪いの
問題じゃねぇ、だからうそ偽りなく、みなさんに紹介して差し支え
ないと思っております。
 ……みのり、佳澄」
「はい」
 数歩先から柔からく見下ろした視線に頷くと、頬の横でみのりの
顎が大きく動くのがわかった。
「お前らのやろうとしてることは自分流だ。自分流は嘘がないぶん、
わだかまりがないぶん、風当たりが強い、覚悟がいるやり方だ。俺
もそうだったから、よくわかる。
 でもな、今日ここに来て思った。こんなに大勢の仲間がいるなら、
大丈夫だ」
 そして、深く頭を下げると、
「みなさま、まだまだ到らない二人ではありますが、どうぞ力にな
ってやってくださるよう、よろしくお願いいたします。
 居は別になりますが、二人とも、かけがえのない、……自慢の娘
達です」
 皺の刻まれた頬の稜線が僅かに崩れると、鼻をすする音がマイク
に拾われて、小さく響いた。すぐに拍手のさざなみが打ち消し、や
がて会場全体を包み込む大きなうねりになった。
 佳澄は俯いて目を伏せ、滲んできた涙をハンカチで拭った。
 ……お父さん、ありがとう。
 感謝の言葉を呟いた時、さっき感じた重苦しい切なさは消えて、
握った手の震えとしゃくり上げる声が鮮明に心に入ってきた。
「……のりちゃん」
 ドレスの背に手を添えると、佳澄より一回り大きな身体は細かく
震えていた。大きな瞳からは涙が次々に溢れ、紅色に染まった頬を
流れて、顎の先までも濡らしている。
「それでは、主役の二人から、来席のみなさんにご挨拶があります
……」
 マイクの方に向かう間も、みのりの涙は止まらなかった。持って
いたハンカチで頬を拭ってあげると、祝福の声と拍手が包み込んだ。
 少し脇に下がった父が、小さな声と共にみのりの肩を押した。
「ほら、しっかりしろ、みのり」
 そして、唇を引き締め、佳澄に頷いて見せる。涙でぐしゃぐしゃ
になったみのりは、声にならない声で、「うん」と言って頭を振っ
た。
 また少し、胸が疼いた。
 けれどそれは一瞬で、二人並んでお礼の挨拶を始めると、一斉に
弾け始めたクラッカーや紙ふぶき、コルクが飛び出す音と、拍手や
歓声に満たされて、佳澄はみのりの手に身体を委ねていた。

 ホテルの十階から見える夜景は、窓越しでも濡れた感じを思わせ
て、街の光もどこか滲んでいるように見えた。
「ホント、参っちゃった。オヤジがタキシード着て出てきた時は、
ジュースが鼻に逆流しそうだったっけ」
「ふ〜ん。そう? そのわりには、ベロベロだったじゃない、のり
ちゃん」
「……それを言うなって、スミ。だってさ、意表突かれちゃったし。
なんか企んでるのは知ってたんだけど」
 寝返りを打って仰向けになったみのりは、大きく伸びをした。
 「式」がお開きになってから始まったよもやま話は、時に脱線し
ながら、夕食の間も、二人でバスタブにつかっている間も、ずっと
続いていた。
 スツールに座って、薄紫のインナーだけでベッドに横になったみ
のりの伸びやかな肢体を見遣ると、佳澄は小さくため息をついた。
 抱き締めて肌を合わせたい、兆した思いはお馴染みのものだった
けれど、今夜は、何処かで記憶をくすぐる、ある強さを持って囁い
ているように感じた。
「……どしたの、スミ」
「ううん、あっくん大丈夫かなぁ、と思って」
 みのりは眉間を持ち上げると、ふーんと小さく言った後、軽い調
子で続けた。
「一応、父親なんだし。一晩くらいは何とか見てくれると思うよ、
兄貴も。オヤジもちっとはできるようになったしね。何か、信じら
れない気はするけど」
「そうだよね」
 佳澄は笑いを返すと、恐々と赤ちゃんを抱き上げていた数ヶ月前
の父の姿を思い浮かべていた。
「お父さん、やるようになったよね。最初は悪態ばっかりついてた
もんね、バカ息子にバカ嫁、子供なんか知るか!って」
「そうそう。それが今じゃ、あっくん〜だもんなぁ。気持ち悪いか
らやめろっての。そういうキャラじゃないだろ、って」
「まあまあ」
 大きな枕を背もたれにして身体を起こすと、みのりは緩やかに微
笑んで見せた。
「……ホントのとこ、私も気になってしょうがないんだ。何か、こ
う、当たり前のものがいないってのは……」
 そして、肉付きのいい足が組み合わされると、
「でも、せっかくみんなが気をきかせてくれたんだから、少しは羽
伸ばすのも悪くないと思うよ」
「そうだよね」
 艶やかな言葉の響きは、間違いのないシグナル。でも、今夜はそ
ちらに話がいくと、何故か息苦しい。普通の話題で笑っている方が
ホッとする。どうしてだろう……。
 佳澄は、さっきから手元に置いていたグラスを口に当てると、ビ
ールを喉に流し込んだ。大学に入ってから覚えたお酒だけれど、今
日は一段と苦く感じる。
「のりちゃん……」
 口を開きかけて、何を言おうとしたのかわからなくなった。
 頬の横に風が起こって、化粧台の上に置かれたビール缶が取り去
られた。
「にが……。やっぱ、ダメだな、私には」
 そして、膝の上に肘をついた顔が見上げると、みのりは少し頬を
膨らませて言った。
「どうしたの、スミ?」
「うん……」
 自分でもよくわからなかった。式が終わってからずっと、何かが
胸に詰まったような感じがして抜けていかない。
 応える言葉が見つからずに視線を逸らすと、そのままみのりはロ
ーブから覗いた佳澄の太腿の上に腕を組んで、頭をもたれた。
 夜の十一時を回った時計が刻む音がベージュの壁に響き返り、後
は二人の息遣いだけが続いた。
 今日あった事がぐるぐると頭の中を行き交って、少しずつ心の居
場所を明らかにしていく。
 そして、この怒りにも近いわだかまりの元にたどり着いた時、佳
澄は心の中で大きなため息を付いた。
 ……こんなこと、今日のりちゃんに話すわけにはいかない。あん
なにいい式だったのに。本当にイヤな奴だ、私って。
「スミ」
 素肌にかかっていた吐息が離れた時、時計の針は十二時に近くな
っていた。
「昔、言ったの覚えてる? わたし、スミだったら何でもいいんだ」
「うん……」
 でも、今の気持ち、ぶつけたくない。だって、私達は家族だから
……。
 そのまま身体を屈めると、言葉の代わりに唇を合わせた。長い髪
の中に指を差し入れると、静かに引き寄せて。できるだけ柔らかく、
曇った気持ちを逸らそうとしたはずなのに、すぐ奪うように激しく
なってしまう。みのりの肉厚の唇を押し開くと、舌を奥深く差し込
み、口腔のすべてを吸い出そうとするほどに激しく……。
 みのりの喉が苦しそうに空気を求めると、佳澄は身体を離して唇
を噛んだ。
「ごめん、のりちゃん」
 一息をつく気配の後、下から伸びた手が不意に頬を挟み込んで強
く下へと引き寄せられた。
 さっきほど激しくはないけれど、長く続く唇の求め合い。みのり
の舌の動きに身を任せると、首筋を愛しんでくれる手が暖かくて、
いびつに尖っていたものが少しだけ和らいでいく気がした。
「……スミの悪い癖。すぐにそうやって完結しようとするんだから」
 仮初めの叱責を伝える寄せられた眉の下で、黒く深い色が真っ直
ぐに見据えていた。
「うん……」
 顔を横に向けると、少し掠れた声だけが耳に届いた。
「ごめん、スミ。たぶん、だけど……、違ってたらホントにゴメン、
だけど……」
 抑えた口調で続けられた言葉はコアを突いて、佳澄は伏せがちに
していた顔を上げて、愛しい人の切なげな顔をまじまじと見つめて
しまった。
「スミ、今日は嫌だったろうなって思うんだ。招待状の返事、やっ
ぱりスミのウチからは返ってこなかったしさ。なのに、あんな派手
なことやっちゃって、私もまあ、ずいぶん乗せられちゃったから、
ゴメンって言うしかないけど……」
 どうして……。どうしてこの人は私の事をこんなにも知ってくれ
るんだろう。背中を伝った漣が身体中に広がって、幸せとしか形容
しようがない満ち足りた気持ちが湧き出してくる。
「ううん……」
 佳澄は唇を噛むと、目を閉じてから、笑顔で頷いた。
「いいんだ。のりちゃんのオヤジさんが、私のお父さん。お父さん
が言ってくれた時、私、ホントに泣いちゃったもん。自慢の娘だも
んね、私達」
 胸の中に閉じ込められていた氷は溶け出して、全て暖かいものに
取って代わられていく。
「ね、スミ……」
 幾つかの言葉の後、笑みを浮かべて頷いた艶やかな表情を、今度
は当たり前に受け止めることができた。
 花の散らされたキャミソールの背中に手を回すと、長い髪を払っ
て肩口にキスをした。そして、首筋を丹念に伝い上がると、耳朶に
小さく歯を当てた。
 ローブ越しに回されたみのりの手に力が篭り、吐息が漏れる。
 そのままベッドに倒れ込むと、激しさを増して確かめ合う。一糸
纏わぬ豊かな裸体が隠すところなく晒された時、佳澄はみのりの耳
元へ少し掠れた声で囁いた。
「どこ、愛してあげようか」
 答えは簡潔だったけれど、譬えようもなく官能的な響きを帯びて
いた。
「全部。スミが欲しいところ、全部」

 膝の上で腕を組み目を閉じて、無言の対話が始まってすぐ、みの
りは佳澄の不透明な気持ちの源に思い当たっていた。
 式の途中、扉を振り返る様子を目にしていた。でも、いつの間に
か華やかな雰囲気に心を奪われて、話して回る事に夢中になってし
まっていた。
 私、変わってない。一番大事にしなきゃいけない人を置き去りに
して、愛想をふるってしまう時がある。スミの両親に招待状を送っ
たのも、スミの気持ちを想ってのはずだったのに……。
 一緒に暮した二年余りの日々、佳澄が両親との関係に苦悶する姿
を目の当たりにしてきた。けれど、未だ佳澄の父親と顔を合わせた
ことすらない。母親の方から、何か言葉をかけられたこともない。
 私が、誰より考えなきゃいけなかったことだ。
 オヤジは、わかってた。一度だって、私達を分け隔てて扱った事
がない。そして、今日の挨拶でも……。
 「のりちゃんのお父さんが、私のお父さん」――佳澄の笑顔が答
えをくれた時、深い想いを湛えた切れ長の瞳を、みのりは輝かしく
さえ感じていた。
 私だったら、耐えられないだろう。私は、いつもたくさんの人に
囲まれて、守られてきた。決してスミのようにはなれないだろうけ
れど、私の持っているものを分かつ事なら、できる。
 愛の交歓が始まった後も、その気持ちは続いていた。キャミソー
ルの中に指が忍び込んで、頂きが丁寧になぞられ、内腿を伝いなが
ら、ショーツの上から熱い吐息がかかっても、溢れ出す快感は激し
い波を呼び起こさず、柔らかに広がるばかりだった。
 そして、ベッドライトの下で全てが晒されて、佳澄の白い裸体が
両脇に手をついて見下ろした時、この夜、みのりは初めて強く思っ
た。
 いっぱい愛し合おう、スミ。
「どこ、愛してあげようか」
 一月ぶり、ずっと待っていた聞き慣れた言葉の響き。少し恥ずか
しいけれど、感じたままを口にする。
「全部。スミが欲しいところ、全部」
 あ……。
 言葉より早く、唇がそこを捉えていた。いきなりだからこそ、痺
れるような感覚が頭の芯に届いて、舌の動きだけが意識を占めよう
とする。
 腰を丸ごと抱え込んだ手が、持ち上げるように唇へと泉の源を押
し付けている。内側の花弁をくすぐった舌先は、もっと奥へと忍び
込み、張った外側の壁を叩き、上部で重層した粘膜をかき分けて…
…。
「ダメ、スミ……すぐ……」
 抜き出された舌が素早く小径を上がり、突き出した場所の根元を
弄った瞬間、堪え切れない潮が過ぎて、切ない痺れが背中を過ぎ去
った。
「……もう、感じちゃった?」
「うん……。だって、スミ、いきなり激しくするから……」
 胸元からせり上がって、ちょっと悪戯っぽく笑った佳澄は、
「でも、まだまだ、でしょ? のりちゃん、エッチだもんね〜」
「う。はっきり言われると……、まぁ、そうだけど……」
 確かにさっきの蠢きは軽いものだった。まだ、お腹の辺りにわだ
かまったものが……、あ……。
 横臥させられ、背後に回った佳澄の柔らかい乳房が押しつけられ
る感触と共に、左手が内腿の間から、右手がお尻から忍び込んでく
る。
「いっぱい、イって……」
 耳元に吐息がかかると、みのりも後ろ手に佳澄の濡れた場所をま
さぐった。すぐに、愛し慣れた場所にたどり着く。
 スミも、凄い……。
 萌え出た叢の下を捉えると、自然に開いた花弁は、外の丘を濡ら
すほどに溢れ出した雫で潤って、容易に指先が滑り込んでいく。
 でも、佳澄の官能を推し量っていられたのは僅かな間だけだった。
 前に回された指先は奥へと差し込まれ、手の平が剥き出しになっ
た核をなぞり、お尻から忍び込んだ右手は、窄まった場所に押し付
けられている。
「のりちゃん……」
 自分でもわかるほどの潤いを得て、親指がお尻の中に押し込まれ
た。
「うぅ……、ダメ……」
 そして、泉の中に差し込まれた指が、少し曲げられて前の奥深い
部分を抉る。後ろの窄まりの中の指は、グリグリと回されて更に奥
へ……。
「いい? のりちゃん」
「うん、イイ。凄くいい……、あ!」
 下半身を挟み込んだ佳澄の両手が、激しく前後運動を始めた。
 背中で擦り合わされる柔らかいふくらみが、一層の熱さを呼び覚
まして……。
 もう、何も考えられなくなった。後ろに回した手で、何とか佳澄
を愛撫し続けるのが精一杯。官能の大波がすぐそこまで来ているの
がわかる。大きな叫びを上げたくなって、でも、唇を噛み締めて耐
えようと思った時、
「感じて。いいよ、いっぱい……」
 うん、スミ、私、気持ちイイ……。
「イク…、して、いっぱい!」
 久しぶりの、愛しい人に愛撫される快感。一瞬遅れて、佳澄の身
体にも小さな痙攣が走るのがわかった。
 そのまま二人息を荒くして、互いの足の間に手を差し入れたまま、
身体を合わせていた。
「はあ……気持ち良かった」
 快感の潮が遠ざかった後で小さく呟くと、みのりは佳澄の方に寝
返りを打った。
「もう、のりちゃんの正直もの」
 額を合わせて肩に手を回すと、鼻と鼻とをくっつけ合った。これ
以上言葉を繋がなくても、想いを共有している確かな実感に満たさ
れて、自然に頬が緩んだ。
 横臥したまま紅潮した身体を肩口に抱き寄せ、少し汗ばんだ甘酸
っぱい香りを頬に、もう一方の手指を佳澄の指に絡めた。すぐに五
本の指同士が会話を始め、みのりは静かに目を閉じた。
 明日から、ずっとスミと一緒だ。そして、あっくんと三人、頑張
って生きていくんだ。
 そして、来年には……。
 佳澄の体温を感じながら、みのりは未来の写真を思い浮かべてい
た。それは、少しの曇りもない風景を映し出して、比類のないほど
美しいものだった。

扉ページに戻る 前章へ 第2部へ