第四章 二人の想い

 夕食のダイニングに座るのは、佳澄一人だった。
 綺麗にワックスがけされた黒檀色のフローリングの上、花柄のク
ロスが掛かった丸テーブルの中央には、花の生けられた背の高い花
瓶が置かれ、その上には、電球が幾つもついたシャンデリア型の蛍
光灯が部屋を明るく照らし出していた。
 マホガニー製だろうか、木目の美しい食器棚の中にはグラスや絵
皿がインテリアも合わせて配置されて、ベージュの壁に掛けられた
印象派風の絵と共に、整ったイメージのダイニングを演出している。
 しかし、今その空間に響くのは、佳澄が夕食を口に運ぶ素っ気な
い音だけ。ダイニングには、いや、広い家の何処にも彼女以外の人
気はなく、調度だけが美しく並ぶ、美術館のような静けさが漂って
いた。
 切り目の入ったメロンを最後に二欠けほど口に運ぶと、佳澄は椅
子を立って、使い終わった食器の汚れをキッチンシンクで流し落と
した。そして、横に並ぶ細長い食器洗い機に並べると、洗浄のボタ
ンを押した。
 今日は水曜日。母親はダンススクールに行っているはずだ。 す
ぐには帰ってこない。たぶん、深夜まで。
 父親の顔を見たのは……、この一ヶ月ほどの憶えにはない気がし
た。
 でも、そんなことはどうでもよかった。別に、今始まったことで
はなかったから。
 大きなソファにうつ伏せになると、流線型のガラステーブルの上
に置かれたハードカバーの書籍を手に取った。胸の開いたピンクの
Tシャツと白いハーフパンツに、長い黒髪をざっくばらんに束ねた
姿は、いつもの学校での印象とは異なり、少しラフな感じを思わせ
る。
 肘をついて顔の下で開いた本のページを、細い手指が一項ずつ繰
っていく。しかし、ぎっしりと並んだ文字を追う切れ長の瞳の奥で
は、まったく関係のない連想が浮かび上がっていた。
 やがて、文字から仮構された幻想的な恋愛の世界は甘い記憶の影
に隠れ、佳澄はページから離した右の手指を唇に当てて軽く噛んだ。
 みのりと初めて抱き合ったあの日の午後。一週間経っても、思い
出すだけで身体中が切なくなって止まらない。
 ……のりちゃん、可愛かった。普段は凄くきっぱりしてるのに、
エッチの時は、感じやすくて、素直で…。
 あの時、一度快感の山を越えた後も、啄ばむようなキスを続けて
いた。
 裸の腕と腕が絡み合い、交互に重なり合った足が擦れ合うと、ま
た少しづつ意識が桃色の光の方へと吸い寄せられていくのがわかっ
た。
 みのりの開けられていた目が再び閉じられて、佳澄もそれに合わ
せた。唇だけが合わさっていた空間に、再び舌が姿を見せ、唾液の
絡む音が小さく響き始めた。
 今度はみのりもずっと積極的だった。口腔の中に入ってきた舌は、
佳澄の唇の裏を舐め上げ舌の裏に入ってくると、左右に動いて丁寧
に粘膜への刺激を続けていた。
 それでもみのりの舌は、貪るような感じではなくて、優しく、ど
こかおずおずとしていて、佳澄はみのりを強く抱き締めたくなって
しまった。
「もう一回、気持ちよくなろうか?」
 唇を離してみのりの丸い顔を見つめた。
「え、も、もういいよ。スミ。私もお腹いっぱい」
「ウ・ソ」
 身体を合わせていると、どうしてどんどん大胆になってしまうの
だろう。
 組み合わせていた足を解くと、指先をみのりの秘められた場所へ
下ろしていった。手に触れた草むらの感触が切れると、入り口に届
くまでもなく溢れ出した泉の水を感じ取っていた。
「スミ、だめだってぇ…」
 いつもは少し低くてしっかりとした声が、掠れて上ずった感じに
なっていた。濡れて開いた扉の中に指を僅かに差し入れると、大き
な瞳が閉じられ、ハの字型の眉が寄せられた。
 そして、抱き締めた腕の中で顎がせり上がり、小さなため息が漏
れて……。
「のりちゃん。好き、好き」
 不意に身体の奥から湧き上がった愛しさに、本を床に投げ出すと、
ソファの端に置かれたクッションを抱き締めた。
 白いワンピース型の制服では収めきれないほどに張りのある身体
と、小麦色に焼けた腕と足。丸顔に曇りのない大きな瞳。清潔に切
り揃えられ、可愛い髪止めで斜めに分けられた短い髪。よく笑う豊
かな口元。何事も適当な男子勢を向こうにまわして、クラスの行事
を取り仕切る闊達さ。それでいて、誰の話でも聞き入る真剣さと、
受け止める優しさ。
 みのりは自分にはない全てを持っている。
 本当は、転校してきたその日からずっと惹かれ続けていた。挨拶
の時、机を並べた同じような顔の羅列の後ろで、真っ直ぐに自分を
見つめる姿だけが浮かび上がっていた、その時から。
 窓際で一人本のページを繰っている時も、視野の端にみのりの姿
を追っていた。いつも数人の輪の中にいて、楽しげに話しながら明
るく笑う姿を。
 気がつくと、下校するみのりの背中を追って、一つ前の駅で下り
てしまうことも一度ではなかった。
 そして、店先でてきぱきと客を捌く緑のTシャツとベージュのパ
ンツ姿を目にした時。
 その時、みのりは到底自分には手に入れられないものを持ってい
ると、はっきりわかったのだ。
 そして、あの雨の日の出会い。花火の夜のくちづけ。
「スミ…」
 小さな吐息と掠れた耳もとの呟きを思い出していた。絡めた足の
間で、濡れ溢れたパーツ同士が接触し合い、自然に腰が動き始めて
いた。
 仰向けに足を広げた一回り大きな身体を腕の下に、粘膜の擦れ合
うスピードを上げていった。自分のものだけでない甘い香りが鼻腔
に届き、もう我慢することができなくなっていた。
 引き締まった腕の下から身体を抱き締めると、開いた唇にむしゃ
ぶりついた。
 たゆとう時は姿を消して、荒い息と合わせた体の奥底から響き上
がる快感の波が全てを覆っていった。
 さっきまで愛撫していたみのりの秘められた核が、大きく尖り出
し、自分のものと攻めぎ合うのがわかった。
「のりちゃん、私も……」
 キスを続けながら腰を迫り上げた。みのりの喉からは、苦しげな
喘ぎが漏れるばかりで、佳澄も限界まで堪えていた弓の弦を手放し
た。
 のりちゃん!
 何よりも愛しかった瞬間。憑かれたように思い出しながら、佳澄
は唇に当てたままだった人差し指を、強く噛み締めていた。
 のりちゃん、ほんとに可愛かった。エッチの時はあんなに感じや
すくて……。
 でも、どうしてだろう。私って、ずっとされる方ばっかりだった
のに……。
『佳澄ちゃん、好きよ』
 低く落ち着いた、しかし何処かで冷めた響きの声が頭の中で蘇る。
佳澄は反射的に首を振った。思い出す必要もないこと。
 のりちゃんは、ゼッタイに違う。のりちゃんは、私の一番の理想
の人なんだ。
 まだ鮮明な過去の記憶に、自分の不潔さが際立った気がして嫌に
なる。もう、忘れなければいけないことなんだ。
 佳澄はソファから身体を起こすと、小さく息を吐いた。水泳大会
の夜、駅のホームで約束したのは明日なんだから。つまらないこと
を思い出して気持ちを濁らせてしまうのはやめよう。
「初デートだよね」
「ま、そういうことになるのかな。一応」
 人ごみの中で肩を並べて、一瞬だけ握った柔らかい手。すぐに離
したのは、人の目だけではなくて、何処か気恥ずかしさもあったか
らだった。みのりも、ホームの外へと続く線路へと視線をやると、
所在なく隣に立っていた。
「じゃあね、のりちゃん」
「ああ、スミ」
 そして、屈められた耳元で囁かれた言葉。
「好きだよ」
「私も……」
 電車のドアが閉まった後も、白と紺の制服が視界から消えるまで
追い続けていた。小さく手を振って、大きな瞳に穏やかな笑みを湛
えた姿が見えなくなるまで。
 銀色のアンティーク時計を見ると、時刻はもう九時に近くなって
いた。明日の待ち合わせ時間は十時。沿線の最寄りで一番大きな街
でのデートの約束だった。
 束ねていた髪の毛を解くと、小さく伸びをした。明日のために、
身体の隅々まで綺麗にしておきたい。
 佳澄は読んでいた本を手に取り、壁のスイッチを消すと、人気の
ないリビングルームを後にした。

 次の朝。ファッショナブルなビルが建ち並ぶ駅前へと改札をくぐ
った時、佳澄の細い腕にはめられた銀の腕時計は、まだ九時を回っ
たばかりだった。
 朝の六時には自然に目が覚めて、シャワーを浴びた後に服を選ん
でいると、あっという間に一時間以上が過ぎてしまっていた。けれ
ど、念入りに化粧をしている内、姿見に映る全体のバランスがどう
しても気に入らなくなってきた。何度も着直している内に、次は下
着が気になってきてしまった。
 みのりはどんな服でくるだろう。たぶん、そんなに気取らない格
好で来るはずだ。だったら、自分も肩の凝らない服にしないといけ
ない。
 再び服をベッドから床にびっしりと並べて、次々に身につけ直し
てみた。どの格好も、何処かで足りないものがあるような気がして、
完全には満足がいかなかった。
 これ以上部屋で迷っているのが耐えられなくなり、最後に無理矢
理自分を納得させた服を着て電車に乗った。
 そして今、佳澄はまだ人の流れも少ない駅前の狭い空を見上げて
いた。
 鎖骨まで見える首元の開いたホワイトの襟なしシャツには、赤と
緑の花の刺繍が小さくあしらわれ、七部袖の腕には細い銀のチェー
ンの腕時計、手には箱型の小さなポーチ。
 膝下までのライトオレンジのスカートにも赤い花と実が刺繍され、
裸足の足元には淡いピンクのローヒールのサンダル。
 今日は後ろで編んだ長い髪と相俟って、清潔で可愛らしい姿は、
駅前を行き交う人の中でも一際目を引いていた。
 まだ一時間近くもある。どうしようか……。
 小さく頬を膨らませた佳澄の華奢な肩の後ろから、甲高い男の声
が響いた。
「お、可愛い〜。誰待ってんの?」
 自分にかけられた声だとは思いたくなくて、前方のバスターミナ
ルを見つめたままでいた。すると、声の主はズケズケと前方に回り
込んで、髭の生えた顔を覗き込ませて言葉を続けた。
「早起きだね。俺もだけど。彼氏待ち?」
 何かの香水の匂いが、少し脱色した短い髪から立ち上った。佳澄
は、背中に震えるような違和感を覚えながら、小さく頷いた。
「ふ〜ん。キミみたいな可愛い子、どんな彼氏待ちなんだろ? 想
像しちゃうな、オレ。もしかして、結構ダサ男だったり。……あ、
ゴメ。気悪くしたって?」
 目を伏せて無言のままでいると、更に調子に乗った声が響く。
「彼が来るまで、話しくらいいいんじゃない? オレ、自慢じゃな
いけど面白いぜぇ……、っおい」
 佳澄は敷き詰められた白いタイルに視線を落としたまま、唐突に
歩き始めた。ナンパ慣れしたふざけた調子の声は、聞いているだけ
で身体に震えがくるくらい厭わしかった。
「あ、つれないなぁ…」
 振り返らず、ビルの建ち並ぶ大通り脇の歩道へと早足で進む。一
周回って、しばらくしたら駅前に戻ってこよう。そうすれば、嫌な
思いをせずにみのりと顔を合わせることができる。
 一分ほど歩いてから恐る恐る後ろを伺うと、さっきのナンパ男が
付いてくる様子はない。佳澄は、息を吐いて力を抜くと、歩幅を小
さくして街並みを歩き始めた。
 都心とは反対方向のこの街には、殆ど出掛けた事がなかった。
 まだシャッターの下りたままのデパートやショッピングモールの
入り口が、綺麗に多角形でタイル貼りされた広い歩道に面して並ん
でいる。中央を走る道路との間には、装飾された茶色のガードレー
ルと、流線型の街灯が並んでいて、つづら歩きするには気持ち良さ
そうな様子の街並みに感じられた。
 周りを眺める余裕ができた佳澄は、営業を始めている幾つかの店
を見ながら考えていた。みのりと寄れるいいお店があったら、今の
内にチェックしておこう。
 まだ早いこの時刻に電気がついているのは飲食店ばかりで、装飾
された木や、ガラスの填められた鉄製のドアを眺めながら、佳澄は
ゆっくりと歩いていた。
 ……この街って、結構喫茶店が多いんだ。
 しばらく歩いた先に、道に面した壁全体がガラス張りになった喫
茶店が見えた。透き通った壁面に貼られたアルファベットの店名は、
何処かで憶えがあるものだった。
 そして、何とはなしに覗き込んだガラスの向こう。えんじ色のソ
ファが並ぶ中央辺りに、見間違いようのない姿があった。
 え? 何で。どうして?
 佳澄は目に映った眺めが信じられなかった。丸いテーブルを挟ん
で座る男女二人組み。アロハ風の紫のシャツ、白い短パンに茶髪の
男。その向かいで、身体にピッタリとしたモスグリーンのクルーネ
ックTシャツと、ネイビーブルーのタイトなジーンズを履いたショ
ートカットの女の子は……。
 咄嗟に手前の店の影に隠れて、様子を伺った。
 大きな瞳を見開いて、男に向かって何事かを話しかける姿。とて
も懸命に、真剣に語りかけている様子が見て取れて、佳澄の胸の中
は混乱して、どう気持ちを落ち着けていいかわからなくなる。
 どうして、のりちゃん。私とのデートの前なのに、男と……。
 後は頭が真っ白になって、身体が自然と喫茶店の入り口に向かう
のを止める事ができなかった。

 あの日、駅のホームで佳澄と別れてから、みのりにはずっと考え
ていることがあった。
 身体を合わせて、何度も上り詰めた頂きの向こうで、はっきりと
わかった。
 心にも、身体にもウソはつけない。佳澄との間柄がなんと呼べば
いいかはわからないけれど、こんなに愛おしい気持ちは、今までた
だの一度も感じたことがなかった。
 今まで付き合った何人かの男には、こんな気持ちは微塵も感じな
かった。きっと、男女の間なんてそんなものだと考えていた。友達
が言うような蕩けるような気分なんて、ずっと無縁の女なんだ、と。
きっぱり、さっぱりの八百屋の娘が自分には似合いだ、と。
 でも、佳澄と唇を合わせて、身体中を愛撫された時に感じたのは、
そんな曖昧な気持ちではなかった。熱くて、溶けていくようで、怖
いくらいに強い想い。
 もっと、愛して、スミ。私、感じたい。スミと一緒に感じたい。
 二度目に身体を擦り合わせて頂きに上り詰めようとしていた瞬間、
心の中で言葉が弾けていた。
 私の中にも、こんなに強い気持ちがあったんだ。
 そう思った時、みのりは何より嬉しいと思うと同時に、少し怖か
った。胸が苦しくなるほどの動悸と共に、こんなに一人を想っても
自分は普通でいられるのだろうか、そんな風に感じていた。
 でも、この恋の向こう側にどんなものが待っていようと、中途半
端だけは嫌だった。だから、ケジメをつけなければいけない事があ
った。
 約束した一週間後のデート。それまでに。
 そんな理由で、今、みのりは喫茶店で左千夫と向かい合っていた。
 最初に言葉にする時は、オレンジジュースを持った手が震えて止
まらなかった。
「左千夫、ゴメン」
 事の成り行きを聞いた時、普段は眦が下がりおどけたように見え
る顔が、怒りを含んで強張り、左千夫は言葉を荒げかけた。
「みのり、オマエ、それマジ言ってんのか? オレをおちょくんの
もいい加減にしろよ!」
 みのりは黙って目を伏せると、無言で頭を下げた。佳澄とのいき
さつ以外の事に口を開くのは、言い訳にしかならないと思った。
 何も言い返さず、ただ言葉を待とうとしているように見えるみの
りの姿に、激しくなりかけた言葉も、やがてその手綱を緩めて聞こ
えた。
「マジ、みたいだな……」
 そして大きくため息をついた紫のアロハシャツ姿は、えんじ色の
椅子に沈みこんでいった。
「ごめんな、左千夫。別にあんたのこと、嫌いになったってわけじ
ゃ……」
「ああ、言うなって。びっくりしたけどさ、少しは納得してるとこ、
あるかもしれねぇ」
 左千夫は殆ど口につけないまま、灰皿の上で燃えさしになったタ
バコをつまみあげて、長くなった灰を落とした。
「オレ、オマエといるとめちゃくちゃ気楽だったんだよな。今まで
付き合ったオンナってさ、なんだかんだって煩かったんだよ。みの
りにも、何回か言ったかもしんないけどさ」
 みのりは頷いた。
 ……私も左千夫の事、すごく気楽に思ってた。
「でも、それは何か違ったのかもな。少なくともおまえの言う、
『恋人』って奴じゃなかったのかもな」
 そして、大きくため息をついて、下がった眉を歪めて皮肉っぽく
笑った。
「はあ。にしても、よりによってオンナに取られるとはねぇ。シャ
レにも何もなったもんじゃ……」
 その時、丸テーブルの端に、ライトオレンジの布地が翻った。
 他の客にしては、妙に人のテーブルに近寄って歩いてる―視線を
ずっと落としていたみのりの脳裏で、スカートの端から覗いたサン
ダル履きの素足が、その人物が誰であるかを告げた。
「……スミ」
 後ろで編みこまれ、薄く額に掛かった黒髪の下で、綺麗な曲線を
描く瞳が見開かれ、止まっていた。左千夫もあっけに取られて可愛
らしく装った姿を見つめている。
「のりちゃん……」
 小さく呟いた後ろから、ウェイトレスが足早にやってきた。佳澄
はそのままみのりの横に腰掛けると、無言でメニューを指差した。
 スミ、どうしてこんな所に。待ち合わせ、十時に駅前のはずだっ
たのに。
 暫く三人の間に沈黙が流れた。左千夫は所在なげにガラスの向こ
うの街を見つめ、佳澄は斜め下に視線を落としたまま。そしてみの
りは、何か妥当な言葉を捜して俊巡していた。
「どうして……」
 綺麗な花柄のカップとポットが置かれた後、佳澄が顔を上げた。
結ばれた唇が、次に告げられる言葉が、穏やかなものでないことを
予感させた。
「あ、三瀬さん。ストップな」
 左千夫が手の平を二人の方にかざして言葉を遮ると、佳澄の細い
眉が僅かに寄せられた。
「何か誤解してる、間違いなく。はっきしいってオレ、今人のこと
気遣ってるヨユウないんだけどよ、これ以上えぐられんのヤダから
ね」
 みのりはその時、少なくとも付き合っていたのが左千夫でよかっ
た、そう思っていた。
「みのりさ、ちょうどオレを振ったとこな訳。たった今。それも、
理由は、三瀬さんに『恋してるから』なんだってよ」
 そして、軽い調子で立ち上がった。
「じゃ、邪魔者は去る、去る。……みのり、コーヒー代くらい持て
よな。安い慰謝料だろ?」
 アロハの背中が、短パンのポケットに両手を突っ込み、ヘップを
引きずりながらテーブルの間を抜けていく。
 その姿を見送った佳澄が、小さく舌を出して長い睫毛を伏せた。
編んだ髪が露わな肩口に乗って、ひどく所在無さげに見えた。
「……ごめん。のりちゃん。私、また思いっきり外しちゃったみた
い」
 スカートの膝の上に手を置いて、肩を窄める佳澄の姿に、みのり
はにっこりと笑って、秀でたおでこを人差し指で弾いた。
「許す。だって、スミ、黙ってられなかったんだろ? ちょっと嬉
しいよ」
 佳澄はへへへ、と小さく笑って顔を上げた。

 喫茶店を出た後のデートは至極順調だった。歩き回って見つけた
イタリア料理店のピザとパスタは、値段に釣り合わない本格的な味
わいで、今度のデートでも絶対来ようとみのりと佳澄は約束した。
 その後のショップ巡り。雑貨屋にアクセサリーショップ、カジュ
アルからフォーマルまで、試着だけはし放題のブティックでは少し
煙たがられて。
 最初は人目を気にして普通の友達同士のように歩いていた二人だ
ったが、歩き始めて程なく、佳澄がみのりの横に身体を寄せて、腕
を絡めるいつもの形になっていた。
 今日は一段と清楚で可愛らしい出で立ちの佳澄と身体を寄せてい
ると、人目もはばからずもっと密着したくなって、みのりは胸の中
に湧きあがる切ない愛しさをこらえていた。
「ね、のりちゃん。これいいと思わない?」
 最後に立ち寄ったデパートの中のランジェリーショップ。佳澄は
腕を絡めたまま、コーディネイトされた色とりどりのブラとショー
ツがセットで掛けられたハンガーを指差した。
「あ、うん。いいかもな」
 みのりは、殆どこういうショップには来た事がなかった。服くら
いは見て歩くことはあっても、下着専門のショップと言うと、友達
の付き合いで来る時も、適当にお茶を濁して普通のショーツやブラ
を選んでいた。何より自分には場違いな所に感じられて、照れくさ
かった。
「あ、これ。のりちゃんに似合うと思うな〜」
 屈託なく言うと、佳澄はラベンダーグリーンのセットを取り上げ
た。白い花の刺繍が縁から当てまでレーシィで、どう考えても透け
て見えてしまうだろうデザインのもの。
「う〜ん」
 身体を離してみのりの胸の辺りに当てると、頷く佳澄。そして、
同じデザインのピンクの奴を取り上げると、小首を傾げて考え込ん
でいた。
「スミ、そろそろ行かないか?」
 殆ど紐状のものや、その部分だけに切り目の入ったショーツが目
に入ると、どうにも落ち着かない。
「う〜ん、もう少し。そうだ。ね、のりちゃん。これ、買わない?」
「え? だめだよ。値札見なって。到底……」
 佳澄の身体が寄せられると、耳元で囁いた。
「初デートのプレゼントっていうので、どうかな」
「ダメだよ、高すぎる」
 小さな唇が、形のいい鼻に寄せられて拗ねた表情を作った。
「ダメなの?」
「ダメ」
「どうしても?」
「うん」
 下から上目遣いに見つめる佳澄の目を見ていると、『人から意味
もなく貰い物をしたらいけない』と、いつも戒められていた母親の
声が遠くなる気がした。
「もう、お揃いにしようと思ったのに。これだったら、のりちゃん
と私、どっちでも似合うと思うんだ」
 未練がましく呟く小さな肩を見ていると、少しでも喜ばせてあげ
たい気持ちが止まらなくなった。
「……わかった。スミ」
 頬を膨らませて息を吐いた後で、みのりは小さな声で言った。
「ホント?」
 無言で頷いた。そして、何度見ても眩しいような満面の笑み。ま
た、胸の奥が痛くなるような切ない想い。辺りを窺った佳澄が、再
び耳元に口を寄せて言う。
「今度、お揃いで着て、学校に行こうね」
「……え?」
 鼓動が早くなった。そして、答えに窮して瞬きをするみのりの唇
に、軽く触れ合う佳澄の唇。
「スミ!」
 目を見開いて、小さな声で叫ぶと、佳澄はすぐに身体を離して、
軽くウィンクをした。
「大丈夫。誰も見てないよ〜」
 そしてレジの方に身体を回転させると、ライトオレンジのスカー
トが、フレアーに翻った。
 今日もまた、そんな風だったから、シティホテルのベッドサイド
で肌を合わせ始めた時も、みのりは佳澄の愛撫に身を任せるばかり
だった。
 少しは綺麗なのを選ぼう、と思って付けてきた少しレースの入っ
た下着も、すっかり剥ぎ取られてしまい、みのりの張りのある身体
は、青いシーツの上で、佳澄の止まることのない愛撫を受けてほの
かに色づき始めていた。
 細い指先が、太腿から腰のラインまでを静かに撫で上げる。そし
てまた戻り、ふくらはぎから足指の先までをそよ風のように行き過
ぎると、それだけで膝が震えるような感覚が兆して、みのりは唇に
当てた指を軽く噛んだ。
 やがて、指先は湿った唇に変わり、ひんやりとした舌先が、足の
先から上へと這い上がってくる。
「ああ、スミぃ……」
 声を出してしまってから、その大きさに自分で驚いてしまった。
でも、それに応える様に外から内腿へと佳澄の唇が動き、押し入れ
られた両手が、閉じていた足を開いて、合わせ目の近くまで、立て
た指でなぞり上げた。そして反対側の内腿には、唇があたり、足の
付け根の寸前まで柔らかいキスを続けると、淡い毛で縁取られた外
側の肉の重なりに、微かな吐息がかかるのを感じた。
 どんどん息が荒くなって、止まらない。
 次は、きっと……。
 でも、入り口の寸前までで佳澄の頭は動きを止め、お尻を両手で
愛撫しながら、生え揃った楕円形の陰影へとせり上がっていく。
 舌が若草の生え際をなぞり、みのりは増していく切なさに声を上
げそうになった。
 スミ、お願い。愛して、私の身体を。いっぱい、全部。
「のりちゃん……」
 身体を離した佳澄が、下から見上げていた。薄目を開いて視線を
合わせると、自然に言葉が口をついていた。
「スミぃ、気持ちいい。さわって……。私に……。お願い」
 佳澄の口の端に、普段からは微塵も見えない謎めいて深い笑みが
浮かび、低い声が響く。
「可愛い。のりちゃん。私が、感じさせてあげるね。声、出してい
いから……」
 中指が、濡れて流れ出した扉の奥へと入れられた瞬間、みのりは
今まで出したこともなかった大声を上げている自分に気付いていた。
「ああ、スミ、いい……」
 顎が反り上がり、腰を浮かせてしまう。佳澄の指が、もっと深く、
奥まで届くように。
「う、……」
 指は中で折れ曲がり、前側の深い部分をくすぐるように動く。か
き分けられて細かく指を動かしながら刺激されると、膝だけでなく
て、腰までが震え出して止まらなくなった。
 暫く動き続けていた指が抜き出され、佳澄が身体を離した時、華
奢な腰が、みのりの足先に擦りつけられているのに気付いた。
 スミも、感じてる。
 みのりは身体を斜にすると、浅黒く焼けた手を伸ばして、佳澄の
豊かな胸に触れた。柔らかくて、しっとりとした感触。すぐに反応
を返してくると、埋もれた感じの乳首が、立ち上がって手の平の下
でコロコロとした感じになっていく。
 佳澄の唇が、みのりの溢れ出る源を捉えた。優しく舐め上げられ
るラビア。少し吸い上げるように窄められた唇。
 じんわりとした痺れが増していく中で、少しずつ身体を動かした
みのりは、ようやく佳澄の腰を手に捉えた。
 自分だけ感じてしまうのはやっぱり恥ずかしかった。
 儚げにさえ見える細い腰の曲線に手を添えると、ゆるゆるとお尻
へ続く曲線を撫でる。四つん這いになった太腿で遮られて見えない
けれど、垣間見える黒い陰影から、少し酸っぱいような香りが漂っ
てきていた。
 膝に手をかけて匂いの源に指を這わせようとすると、佳澄の腰が
少し逃げる素振りを見せる。
「スミ」
 小さく言って腰を抑えると、身体を足の間に滑り込ませた。
 これが、スミの匂い……。
 目の前に迫った逆三角形の茂みと、腰が動くたびに僅かに見える、
赤い肉の合わせ目。初めて目の当たりにする、自分以外の女性の部
分。
 僅かに開き、姿を見せた内側の花びら。透明な滑りで光り、微か
に震えるその場所に、自然に唇を這わせていた。
 舌に届く僅かな酸味。そして、鼻腔を満たす自分のものでない香
り。
 自分で愛撫する時を思い出して、優しくくちづけた。まだ閉じて
いる扉の上からいとおしむように。両手を白い太腿に回し、舌先を
少し差し入れた。入り口に届く前に、豊かに溢れ出す愛情の徴を感
じ取ると、切なさとは違った熱い気持ちがみのりの胸の内に湧き上
がった。
 少しだけ、唇で扉を開いて吸い上げるようにした。
 自分の足の間で動いている佳澄の唇が一瞬止まり、小さな吐息が
漏れた。
 嬉しかった。私もスミを感じさせてる。もっと、感じさせてあげ
たい……。
 でも、みのりが続けようとする愛撫以上に、佳澄の唇の動きは速
くなっていく。やがて、柔らかくクリットが包み込まれた危うい感
覚が、吸い上げられる強い快感に置き換わる。そして、指が再び深
く、身体の奥を抉る。やがて一つだった指は二つに増え、別々の動
きをもって、中の壁を刺激し始めていた。
 もう、佳澄への愛撫を続ける事はできなかった。あ、あ、と小さ
な声を上げて、みのりは快感の行く末を追い始めていた。
 また、あの瞬間が近づいてる。
 スミ、スミ……。
 目の前の細い腰を強く抱き締めると、身体を強く押し付けた。隙
間なく密着した姿勢のまま、みのりは忘我の一瞬に身を浸した。
 お腹の奥を中心に、頭からつま先までを震わせながら……。

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