六月終わりの雨が窓を叩き、かすかな雨音が耳元に届いていた。
 みのりはファッション雑誌のページを繰りながら、ぼんやりと想
いを巡らせていた。
 少し落とされた蛍光灯の光の下、艶やかな姿で笑いかけるモデル
達。雑誌の中はすっかり夏色で、そんな季節はまだまだだよなぁ、
なんとなくそんなことを思う。
 時折、佳澄はこんな雑誌を買ってくるけれど、相変わらずみのり
にそれほどの興味はなかった。
 季節の変わり目に服を買出しする時も、佳澄が積極的にみのりを
連れ出すし、最近の流行りものにも疎くて、いつも同じ服ばかりを
ぐるぐると着回している。
「のりちゃん、いい加減にすれば? そのジーンズ、高校の時から
着てるじゃない」
 そうは言われても、着やすいものは仕方がない。だって、だいた
い、あっくんの新しい服で目一杯だし……ホント、どんどんでかく
なるから。
 文章が主のページに目を落とし始めたみのりの背中では、夜にに
じむ光に淡く照らされて、二つの影が寝息を立てている。
 ――三人の暮らすこの部屋は、途絶える事のない雫の音に降り包
まれていた。
 今日は、雨の中、六限まで講義を受けて帰ってきて、食事の後ほ
どなく眠ってしまった佳澄。明日は晴れるかなぁ……。
 繰っていたページは雑誌の後半にさしかかり、広告や通販の案内
が目に付き始めた。
 ダイエット法やアクセサリー、レジャーやスポーツ施設、そして。
 コスメの通販案内の中に、見覚えのある絵があることに気づいた
――浅い青に、爽やかな柄の入った小さなボトル。
 あ、こんなところにもあるんだ……へぇ。
 しばらく前に、佳澄と出かけたドラッグストアのコスメコーナー、
その端で見つけたいくつかのボトルと、こんな文字。
『二人の愛の時間に、潤いとロマンを』
 これ、何?――訊ねると、佳澄はさらっと応えて見せた。
「ああ、それ。ローション、ローション。あの時、使う」
「あの時……? え、って?」
 佳澄は細い眉の根を寄せ、面白そうな様子で頬の稜線を崩した。
「はは、のりちゃん、全然知らない? 潤滑に使うの。ほら、エッ
チの時」
 エッチ、が少し小さくなって囁かれた。え、って?
「……ああ、でも、こんなにたくさん要る? オトコとの、だろ、
その……」
「ああ、違うの、違うの。そういうのもあるけど」
 そして佳澄は、帰り道で説明してくれた。身体全体で使うの。女
の子同士でも、もちろん使えるんだよ。
 へぇ、そんなのが。知らなかったなぁ――開いたページの隅で紹
介されている千五百円のボトル。やっぱり、こんなに普通に売られ
ているんだ。
『いつか、使ってみる?』『え? いいよ、そんなの』
 その時の佳澄との会話を思い返しながら、ページを最後までめく
り終えると、みのりは一つ伸びをした。
 少し冷めてしまった紅茶に口をつける。と、お皿に乗った食べか
けの白いスィーツが目に入った。
 お茶請けに用意したけれど、佳澄が半分残してしまったフロマー
ジュ。まるまると雪のような表面に、ベリージャムの赤が一点、輝
くように添えられていて……。
 ああっ、だめだめ。これ以上食べたら、回復不能になる。
 最近ますます雄大さを増した腰周りを思い浮べつつ、心の中と実
際の首を細かく振る。
『のりママ〜』
 って、おっぱいだけじゃなく、お腹の辺りにまとわりついてくる
のは、どうしてかって。
 すんでのところで残りのスィーツを冷蔵庫に押し込めた後、戻っ
た居間のカーテンの向こうで、真っ暗な夜の色が目を引いた。
 デスクの横に立ってカーテンを僅かに開けると、みのりは、光の
ない暗い空間を覗き込んだ。梅雨の盛りの雨は、垂れこめる黒い雲
から、世界全体を覆って降り落ちている。
 今週の初めから降り始めた雨。まだまだ当分収まりそうにもない。
 カーテンを閉めると、みのりはデスクの前に腰を下ろし、PCの
スイッチを入れた。寝る前に、少し調べものをしておこう。
 今日は少し、夏に向けた旬の料理を見ておこうと思った。ネット
上には本に載っているような正統派・本格的なものとはいかなくて
も、ちょっとしたアイデア料理が見つかる事があって、自作の参考
にするにはちょうどよかった。
 ナスの料理、カボチャの料理、スタミナをつけるもの、食欲が出
ない時の特別メニュー、色合いにこだわった涼やかな中華……。栄
養や料理の言われなど、興味深い内容が書いてあるページもあって、
気がつけばいつもながら、小一時間ほどが過ぎてしまっていた。
 さてさて、明日のデモは確か、二回は乗り継がないといけない場
所だ。そろそろお風呂に入って寝た方がいいな。
 ウィンドウを閉じて接続を切ろうと思った時、不意に思い浮かん
だことがあった。
 う〜ん。どうしようかなぁ。
 一瞬考えて、すぐにワードを打ち込んでみる。ちょっとした興味
を満たすのに、たいした抵抗はなかった。
 何て入れればいいのかな、普通に『ローション』、と。
 ずらりと検索結果がウィンドウに並ぶ。化粧品、美容グッズ、怪
しげな文章、ラブローション……あ、これかな。
 うわ、すごい。
 可愛いのから素っ気ない瓶まで、写真がずらりと並ぶ。へ、へえ
……。
 爽やかな肌の感触に、ほどよい潤滑度。あまり粘つかず、素敵な
愛の時間のサポート役に。
 たっぷりサイズで、長い夜にもしっかり対応。ロングセラーです。
 聞き慣れない言葉に、じっくりと読んでしまう。本当だ……スミ
の言う通り、いろいろあるんだなぁ。
 改めてページを眺めてみると、それがコスメやアダルトグッズの
通販店だとわかった。左側のフレームを見ると、あれ……。
 ちょっと目を背けたくなるような名前に混じって、「ビアン用ア
イテム」とある。何が提示されているかはだいたい予測がつく。昔、
いろいろとネットで調べた時、行き着いたことがあった。
 でも、ちょっと興味かな……。
 モニターから目を離して、後ろの寝室を振り返る。薄暗くなった
部屋には、小さな明かりが灯っているだけだった。
 ゆっくりとポインタを合わせて、クリックする。
 ドン。
 効果音がしたような気がした。そして、並んだ写真は……。
 様々な色・形状をした、男根を連想させる模造物。ビアン用と言
う事でそれほどリアルなものはなかったけれど、使い方は想像する
までもなかった。
 以前はろくに見ずに退散してしまったこの手のページ。今日は、
しばらく眺めてみる。そうか……こういうのを使う人もいるんだな
ぁ。
 自分たちとはどうもリンクしなかった。やっぱり少し、冷たい感
じがする。
 これ以上見ても意味がなさそうだ――ブラウザのバックボタンを
押した時、ミシッと背中で音が鳴った。
「のりちゃん、まだ起きてるの?」
 佳澄だった。少し乱れた髪に手を入れながら、四つん這いになっ
て襖の隙間から出てくる。みのりは素早くウィンドウのクローズボ
タンを押した。
「うん、もう私も寝る。スミ、ちゃんと着替えた方がいいよ」
 PCを落としかけた時、佳澄はちょっと待って、とみのりを制し
た。
「そのままにしておいて、のりちゃん。インターネット、繋がって
るよね?」
「うん、まあ」
「ちょっと、見ておきたいことがあったんだ。ゼミで、発表しない
といけないから」
 大丈夫?――眠そうに腰を上げた佳澄に、みのりは席を譲った。
台所に向かうと、風呂場の電気をつけて、湯加減をみる。追い炊き
をした方がよさそうな感じだった。
 サイドパネルを操作して湯温を設定すると、後ろに気配が近づい
て――
 ギュッ。胸の下にいきなり手が回され、背中にぴったりとくっつ
いてきた。
「のりちゃん」
「どうしたの、スミ」
 ふふん、押し殺した吐息が響いて、肩越しに顔がのぞく。
「見ちゃった。何調べてたのかなぁ」
 やっぱり、みのりは大きな瞳を下目遣いにして、佳澄の顔を軽く
睨む。気がつくと思ったんだよなぁ。検索ワード、残っちゃうから。
「ああ、あれは、ちょっとした興味。深い意味はないんだから」
「本当?」
 肩で顎をぐりぐりしながら、唇を尖らす。切れ長の目の中には、
茶目っ気が溢れ返っていた。まったく、スミは。
「ほんとほんと。なんとなく」
「ふう〜ん」
 身体を離すと、テーブルの所に下がって、ちょこんと椅子に腰掛
ける。
 みのりは風呂のドアを閉めると、乾燥機から皿を取り出して、食
器棚に戻し始めた。その間、佳澄はこちらを見上げて黙っていた。
「何か飲む?」
 聞くと、唇を少し鼻に寄せて、上目遣いにしている。何かお茶目
をしようと思っている時の顔に間違いない。
「スミ?」
「ね、のりちゃん。ちょっと、いい?」
 立ち上がると、寝室の方へ引っ込んでいって、すぐに戻ってくる。
手には、緑色のビニール袋が持たれていた。もう一度椅子に座ると、
がさがさと膝の上で包みを開き始めた。
 もしかして……。
 思った通りだった。
「なんで? ……買ってきたの、スミ」
「うん」
 頷くと、佳澄は青いボトルを静かにテーブルの上に置いた。そし
て、黙ってこちらを伺う。目を瞬いて、どうぞ、という感じで。
 ボトルを手に取ると、ポップ調のイラストを見た。
「興味ありありだったでしょ、のりちゃん。この間」
「いや、別に……なんとなく聞いただけなんだけどさ」
 かなり重たい感じだった。何か、液体と言うより、固形物がつま
っているような……。
「開けていいよ」
 キャップを見て、うう〜ん、そう言われても。
「いいや。なんか、変わってる」
 みのりがボトルを返すと、佳澄はそうかあ、という様子で表書き
を見てから、ポンとキャップを外した。自分の手の上に傾けると、
ツウッと糸を引いて少しだけ透明な液体が落ちた。
 しなやかな指を二本そろえてくるくるとすると、いかにもぬるっ
とした感じに見える。
「ほら、結構スゴイでしょ」
「あ、ああ」
 少し胸がドクンとした。何だか、本当にぬるぬるしそうだ……。
「はい」
 ボトルが差し出されて、う〜ん――手の平を向けると、液体が落
とされた。水飴みたいにゆっくり落ちると、
「うわ、冷たい」
「でしょ」
 佳澄はへへへ、と笑った。みのりは手の平を目の前まで持ってく
ると、左手の指で押してみた。ぬるりと指先が滑る。
 へ、へぇ。スゴイな、こんなになってるんだ。手の平に少し広げ
て指を離すと、細い糸を引く。
 と、佳澄の手の平が重ねられてきた。何となく互いに擦り合せる
と、ぬるぬるとして変な感じだった。
「ね、結構面白いでしょ」
「あ、うん」
 さっきの胸のドックンが止まっていない。これ、ちゃんと使った
ら、やっぱり……。
 指同士を絡めて少し動かすと――、佳澄がふふふ、と笑った。
「結構スゴイよね……どうする、のりちゃん? 使ってみる?」
 あの時の、からかうようで密やかな声だった。
「う、うう〜ん」
「せっかく買ってきたし」
「そ、そうだなぁ……」
 曖昧に返事をすると、もう佳澄のペースだった。
 じゃあ、ちょっと場所を作って――あっくんの様子を確かめなが
ら、居間にシーツを引くと、二人で立ったまま向き合った。
 上半身だけ裸になると、佳澄は手の平に透明な液体を垂らした。
さっきよりずっとたくさんの量だ。
「じゃ、のりちゃん」
 佳澄が先に、みのりの首元に手をつけた。
「うわ、冷たい!」
 本当にひんやりした感触だった。でも、そのままぬるっと手を下
ろされると、何だか、腰の辺りがじんわりと……。
 そのまま、両手が広げられて、胸の下からゆっくりと撫でられる。
前に、お風呂で石鹸の泡を付け合った事があるけれど、それとはち
ょっと違った感じで……。
「どう?」
 脇からお腹まで透明な液体が広がる。そのまま腰に手が回される
と、ぎゅっと身体が寄せられた。
「やっぱり、変な感じ。うわ、すごいなぁ」
 胸元を見ると、淡い光に照らされて、水でコートされたように身
体が光っていた。
 どちらともなく、身体を上下に動かしてみる。胸の先が触れ合っ
た瞬間、鈍い燭光が頭の奥に広がり……。
「ふふ」
 密やかに笑うと、佳澄の方が大きく上下動した。手がみのりの脇
から背中に回され、全体がぬるっ、ぬるっと潤滑する。
「うわ、ちょっと、んん」
 鈍い光が、次第に広がって、熱さに変わりつつあった。太ももが
絡んでくる。みのりの方から腰を動かすと、足と足が擦れ合って、
切なさが腰から背中へと駆け上がってきた。
 そのまま無言になって、ゆっくりと身体を合わせ続ける。時々、
胸や腕の間でギュッとくぐもったような音がして、何かを言うのに
躊躇するような、とてもイケナイことをしているような……。
 切なさが腰から全体になり始めた時、「脱いじゃお」――佳澄に
促されてアンダーを落とした。そのまま仰向けになって、上に重な
られる。いつの間に用意したのか、洗面器からお湯を少し取って身
体に塗られる、と、ぬめりが増して、ああ、ちょっと……。
 スミって、結構こういうこと、知ってるよな――考えたのは少し
だけで、潤滑する感触に埋もれてしまう。合わさった胸と胸、尖り
出した先端同士が押し付けられ、せめぎ、絡んだ足と足が、ふくら
はぎまで密着し合い、立てられた膝へと、腰を高く競り上げてしま
う。
「ね、ねえ、スミ。大丈夫なの? 中とかに入っても」
「うん、化学物質は入っていない、海草と同じ成分って聞いたよ」
 言うか言わないかの内に、体勢が入れ替わり、シックスナインの
形で、横臥しあう。佳澄の手がボトルを取って、自分の太ももの辺
りに落とすと、みのりはそれを広げて、足ごと胸元に抱き締めてい
た。胸の間に太ももがぬめり上がり、必死に感覚を追う。佳澄も同
じようにみのりの足を抱き締め、緩やかに上下動する二人の動きは、
秘められた吐息と共に、長くゆっくりと続く。
 決して、昂まり切らない感覚。体全部が均等に熱くなった時、腰
を割る感覚があった。
「あ……」
 みのりは、低い声を漏らしてしまった。佳澄の指が、中を抉って
いた。溢れ出している場所と、そこから奥まった場所と。埋められ
ている感覚はほとんどなくて、ゆっくりと出入りしているのがわか
る。
 ああ……。
 ため息が出るような、上りきらないような……。
 それでも、奥に届いた指の感覚は鮮烈で、いつもより遥かにスム
ースに後ろに入れられた指が、ゆっくりとうごめくと、喉の奥を開
けて、ああ、と声を上げたくなる。
 んん、ああ……低い声で昂まり切らない感覚を追い続けてどれく
らいか。
 お尻や太ももを撫でられ、上下動を繰り返す内、次第に熱は飛び
始めて、頭が冷静に動き始めた。
「はあ」
 小さく息をつくと、佳澄も動きを止めた。足の間に頭がある状態
で視線を合わせると、手がこちらに伸びてきた。みのりはその手を
握ると、もう一度、ふぅ、と息をつく。
「何か、変な感じだね。やっぱり」
 佳澄の言葉に頷くと、身体を起こして、ゆるやかな曲線を描く腰
に手をかけた。
「ほんと、ぬるぬるだなぁ」
 少し潤滑度が落ちたローションの感触を確かめる。佳澄も身体を
起こすと、「ほんと」――みのりの胸元で手を擦らせた。
「お風呂、入ろっか」
「……そうだね。ベトベト」
 佳澄が頷くと、みのりは立ち上がった。うわ、髪までベトベトだ。
「流せるんだよね、これ」
「うん、大丈夫。シャワーで流せばオッケーだよ」
 だよなぁ、流せなきゃ大変だ――みのりは頷くと、浴室のドアを
開けた。

 変なかんぐりしないでよ、みのりは前置きをした上で、佳澄に聞
いた。
「スミってさ、結構いろいろ知ってるよね、ああいうエッチなこと」
 ローションを流し終えた後の湯船で、佳澄がみのりの足の間で背
中を寄せる、いつもの体勢で始まった会話だった。
「うん……まあ、ね」
 タオルで纏め上げた髪――濡れた後れ毛のうなじを見せた佳澄は、
俯き加減で答えた。
 背中だけで表情が伺えない。ただ、どことなく答えにくそうな様
子だった。
「あ、まあ、いいんだけどさ。純然たる興味。なんか、昔っからそ
うじゃん、もう、スミにヤられっぱなしで」
 ちょっと間があって、佳澄が鼻で息をする音がした。
「……ヤられる、だって。のりちゃん、ヒワイ、相変わらず」
「だってさ…」
 みのりは佳澄の腰の辺りに回した手で、おへその辺りの肉を摘む
と、
「ああ、いいなぁ。スミは相変わらずスリムで。…ほら、高校の頃
から、スミにお任せだろ、私。そりゃ、私は基本、受け身一辺倒だ
からいいけど。……ねぇ」
 自分で言っておいて、「ねぇ」の意味がわからず、みのりは苦笑
いを浮かべた。何を言いたいやら、私は。
「まあ、のりちゃん、ネコだから。私は、最初っからわかってたけ
ど」
 身体を返して向かい合わせになると、上目遣いの瞳が茶目っ気を
混じえて、
「聞きたい? ホントに」
「あ、できれば、ね」
 ちょっとドキマギしながら返事をする。
「本当に?」
 細い眉が寄せられて、う〜ん、そう確認されると困っちゃうけれ
ども。
「無理じゃないけど。ホント、興味持っただけだから」
 だいたいの予想はついている。それらしい話は聞いたこともある
し。でも、ちょっと気になる、かなあ。
 ふん、一つ息をついた後で、佳澄は手を湯船に落としてチャプン
と音を立てた。
「……まあ、結局、教えてもらったんだけどね」
 視線を外したまま、ゆっくりと呟く。やっぱり――みのりは、自
然に声のトーンを落としていた。
「高校の時の、だよね」
「うん」
「でも、結構いろいろだよね、その……」
「うん……。まあ、何でも『知ってる』人だったから」
「へえ……」
 佳澄が自分に会う前に「付き合っていた」先輩。最初の恋人につ
いて、何度か話を聞いたことはあった。ただ、細かい話はしたこと
がない。特に知る必要もなかったし、あえて聞きたいと思ったこと
もなかった。
「もう、そういう雑誌とかも、すごくよく読んでて、何でも知って
た人だから。どうやって女の子同士で愛し合う、か」
「……て、じゃ、スミより前にも?」
「たぶん。最初に誘われた時に、佳澄ちゃんが今までで一番好き、
とか言ってたから」
 一番好き、と言う言葉に、少しだけドキンとする。
 佳澄の話し方は、だんだん平板な感じになってきていた。だいた
いわかったし、いいかなぁと思う。
 スミ、オッケー。わかったから――言おうと思った時、はあ、と
ため息が響き、低い声が響いた。
「やっぱりあの頃、よくわかってなかったんだと思うな。私」
 身体の向きを再び変えて、みのりに背を向ける。肩に預けられた
頭からひとふさ髪が解け、みのりは頬を寄せて、佳澄の声に耳を預
けた。
 淡々とした一人語りの口調に、あえて口を挟もうとは思えない。
スミがつらつら話してくれるなら、それでいいかな。
 うん――みのりが低く促しの言葉を送ると、佳澄はゆっくりと話
し始めた。
「何度も聞いたんだよね、私。「先輩、私のこと、好き? 愛して
る?」って。本当、まだ、不安だらけで。実際、家には居場所がな
かったから、先輩が全部に思えてて、ね。その辺はまあ、のりちゃ
んも知っていると思うけれど。
 人として、愛してるから。全然関係ないのよ、女同士とかそうい
うのは、って。
 いつも言葉で言ってくれるから、嬉しくて、先輩に言われる事な
ら何でもしたんだけど……もう、言われるまま。だから、受け身だ
なぁ、ってずっと思ってて。ネコとかタチとかフェムとか、そうい
う言葉もその時教わったんだよね、全部。まあ、のりちゃんと会っ
てから、そんな受け身でもないかなぁって、だんだんわかってきた
けれど。……ふふ。
 でも、それって概念じゃないんだなあって、今は思う。
 人として、って先輩は言ってくれてたけど、それ、本当は「私が、
特別なことをしてる」って裏返しだったんだよね。だってねぇ、そ
う言いながら時々言うんだもの。今度はこんなことしよう、こんな
のものも使ってみない? こんなエッチなら、女の子同士、もっと
気持ちいいかもね、って。
 だから、学校とか親とかにばれて、「あなた達、いったいどうす
るつもり」って詰め寄られた時、あっさりこう言ったのよ。
「真剣にしているわけじゃないんです。お互い、慰め合うって言う
のか、半分遊びって言うのか、そんな気持ちで。ね、佳澄ちゃん」
 本当、ショックだったなぁ。私、本当にバカみたいに真剣で、信
じていたから。そんなに簡単に脱いだり着たりできてしまうものな
んだ、って。
 でも、考えてみれば、私は基本的に同性が好きで、先輩はそうで
なかった、ていうだけのことかもしれない。何もかもが終わっちゃ
った後、いつか必ず、本当の、新しい恋を見つけるんだ、って思い
込んでたけれど、じゃあ、男の人が、って方向転換したかって言う
と、さらさらそんな気はなかったんだから。
 だからもう、のりちゃんを見つけた時は嬉しくて。確信してたも
の。絶対、告白するんだって」
「はは。それは光栄」
 みのりは腰の位置をずらすと、佳澄の肩に手を回した。
「それで、教えられちゃったわけか、私は」
「んん、そう言うこと。ごめんね、なんかいらない経験してるみた
いで」
「そんなことはないけどね。ずっと前にも言ったけれど。おかげで、
私はいっぱいいろいろしてもらえるわけだから」
 重なった腕をたどり、手首を柔らかく握り締めると、視線を落と
し、くすっと笑ってから佳澄は言った。
「のりちゃん、ほんとにそのまんま。でも、少し思うかな、のりち
ゃんと最初だったらなぁって」
「まあ、ね。でも、わかると思うけど、そういうのはあまり気にな
らないよね、やっぱり」
「うん……」
 最初がスミだったら、かぁ。私も、そういうんじゃなかったしな
ぁ。
 ちらっと左千夫の顔が思い浮かび、すぐに消えた。
 まあ、結局私もエッチは大好きだし、スミとなら何でもしちゃう
かもしれないけれど、あれもこれも色々、ってのとは違う気がする
なぁ。
 佳澄が首をひねると、横目で後ろを確かめた。気持ちが伝わって
いる気がして……キス。
 最初は軽く、そして、唇を開いて押し付け、溶け合うように。添
えていた手首から、手の甲へと伝わって、指が絡む。
 もう片方の手は、湯船の中で柔らかく揺れている膨らみを、包み
込むように。
 はあ、のどから奥まった息が漏れて、佳澄は頭をみのりの肩に委
ねた。
 そのまま唇の求め合いは激しさと優しさの間で満ち引きを繰り返
し、時間がしばらく円環を作る。
「のぼせちゃうね」
 環が解けた時、佳澄の方が声を上げた。
「うん。出ようか。あっくんの様子も見ないと」
 みのりは、身体を起こしながら佳澄に聞いた。
「……続き、する?」
「うん、さっきはちょっと、何だかなぁ、だったし……」
 そして、少し考えを巡らせる素振りをして、言葉を繋いだ。
「やっぱり、こういう方がいいよね、結局、私たち」
「ま、たまにはいろいろしてもいいけどね。結構楽しかったし、さ
っき」
「あ、また。のりちゃんのエッチ。そう言うこというと、あれやこ
れや、しちゃうからねぇ、私」
「おお、こわ。でも、痛いのだけは勘弁ね」
 もう、そんなことばっかり言って――密やかな笑い声が交わし合
われると、浴室のドアが開けられた。
 そしてほどなく、もっと秘められて艶やかな声と、長く甘い吐息
が部屋に響き始めた。