第三部 家族編

   一

 肉は極力減らすとして、何で埋め合わせするかだよなぁ、やっぱ
り、問題は。
 うーん……。
 肉厚の唇を尖らせると、みのりは指でつまんだペンの軸をふるふ
ると前後に振った。
 料理の本が重ね開かれたデスクの上は白色のライトに照らし出さ
れ、カーテンが開け放たれた夜の窓には、少し思わしげに眉を寄せ
た丸顔が映っている。
 木俣屋さんのお豆腐の風味を損なわないように、となると。
 宵闇の屋根の連なりを背景に浮かぶ自らの顔をまなこ半分に、み
のりはいくつかの食材を脳裏で回し眺めていた。
 白ゴマを少し混ぜて、精進料理風味にするのも……、いや、ちょ
っと違うなぁ。ひじきを加えるのも悪くないけど、できれば店で仕
入れる野菜主体でいきたいし、がんもどきのまがい物になる気もす
る。だいたい、栄養のバランスをもう少し考えないと。
 お腹に詰まらない、もたれない、健康豆腐ハンバーグ。思いつく
のは簡単でも、いざオリジナリティを出すとなると、予想以上に難
しい。
 座っていた椅子を斜めにすると、九十度の角度に置かれた佳澄の
デスクとの間に置かれたパソコンの電源を入れた。
 ブン、とモニターに電気が通う音が響いた時、背中で空気が動い
た。間仕切りが静かに閉じられる音に、軽く後ろを振り返る。
「……寝た?」
 見上げると、ショートボブの髪の下で、細身の顔がうん、と頷く。
「なんとか。何か、落ち着かないみたい、今日は」
「そっか。どうしたかなあ。興奮するようなこと、あったっけ」
「うう〜ん、やっぱり、明日のお祭りかも。ずっと言ってたもん、
スミママ、花火、バンバンってすごい?って」
 佳澄は、微笑みながらみのりの背後に立った。ライトブルーのT
シャツから伸びた腕を自分のデスクにつくと、広げられた料理本を
覗き込む。
「まだ、メニューの研究?」
「うん、」
 みのりは頷くと、立ち上がったモニターに視線を戻し、言葉を継
いだ。
「ちょっと行き詰まっちゃってさ。ネットで発想探し」
「そっか……」
 佳澄は、短く刈られたみのりのうなじに視線を落とすと、すぐに
後ろへ半歩ほど下がった。切れ長の目を瞬き、真っ直ぐな稜線を描
く鼻を親指で軽く一押しする。そして唇を軽く噛んだけれど、表情
の奥には押し隠したような笑みがのぞいて見えた。
 台所へ歩み去る足音が響き、キッチンで食器がかち合う音が届く。
 みのりが視線を落とすと、タスクバーの時刻表示は九時を少し過
ぎたところだった。
 そろそろ、ティータイム――スミに任せちゃおうか、ネットに繋
いで検索を始めると、料理本の下に隠れたノートを引っ張り出した。
 和風ハンバーグ……あ、これじゃあ検索結果が多すぎるか。
 自然食材 野菜 豆腐ハンバーグ……う〜ん、今度は的外れみた
いなのばっかりだなぁ。
 あたりをつけながらいくつかのページを開き、再度検索をかけて
みたりしたが、参考になりそうな情報は見つからなかった。どれも、
専門学校時代に教わったような、いや、到底そこまでも至っていな
い内容ばかりだ。
 キーボードの縁をポンポンと叩いた時、首筋にちょんと押される
指先の感触と合わせて、少し鼻にかけた高い声が降ってきた。
「の〜りちゃん」
「うん……、ちょっと待って」
 もう少し違った角度から調べてみようか、食材からがいいかもし
れない。
 あ、このサイト、悪くない。肉を使わない自然食材のレストラン、
か。
「……うん、もうちょっと」
 椅子に手がかかる気配を感じながら、きれいな写真が並ぶメニュー
一覧を目で追っていると――。
「ね、のりちゃん。そろそろ」
 語尾を上げて作った感じの声に、タンクトップの肩口から胸へと
かかる温かみ。ほっそりとした腕が組み合わされると、肩にあごが
乗せられた。
 ノートを押さえていた左手を、回された腕にかけると、
「うん、わかってる。このお店、結構参考になるから……」
 その時、耳たぶにびりっとした感触が響いた。
「っ、スミ!」
 マウスから手を放して首を回すと、長い睫のかかった瞳が覗き込
んでいた。茶掛かった色の奥には、紛れもない悪戯っ気が浮かんで
いて、そして……。
「……こら!」
 タンクトップの胸元から、すっと忍び込んだ指が、先端をキュッ
と挟み込んだ。
「も〜う、夕飯の後からずっと」
 さっきよりいっそう作った調子の台詞に、眉根を上げて視線を落
とすと、首に回された腕に力がこもる。
「……のりちゃん、料理が恋人だもんなぁ」
「スミ、もう」
「どうせ、わたしなんて、付け合わせみたいなもんだけどぉ」
 一度、はぁ、とみのりも作り加減の息を吐くと、佳澄の指先を握
って、腕を解きながら身体を離した。
「まったく、すぐそういうこと言う。どしたの? スミ」
 下唇をわずかに突き出し気味、こらっ、とからかい一杯に見つめ
ると、佳澄の顔からも押し隠した情笑が溢れ出している。
 言いたいことは九十九%わかった気がした。ホント、スミは。
 佳澄の髪の中に軽く指を差し入れると、みのりはグラスの置かれ
たテーブルの前に腰を落とした。アイスコーヒーの隣には、丸いフ
ロマージュが白さを際立たせている。
「うわ、美味しそう。これ、駅南の、ほら、なんて言ったっけ…、
だよね」
「アマデウス」
 クラシックの古典作曲家にちなんだ店の名前を短く告げて、佳澄
はそのままデスクに寄りかかってこちらを見下ろしている。
「はあ。私をこれ以上太らせる気だな、スミは」
 フォークを取り上げながら、座る気配を見せない佳澄の顔を見上
げる。にんまりと笑うと、みのりは自分の隣をポンポンと叩いた。
「はい、どうぞ」
 緑のホットパンツがぴっちりとした足を崩した瞬間、疾風の勢い
で細身の身体が傍らに滑り込んだ。
 肌蹴た腕に、Tシャツの肩が寄り添う。みのりが右手を下ろすと、
佳澄の左手が軽く乗せられた。ふふふ、ともへへへともつかない息
が漏れて、頭が軽く肩に預けられる。
「お邪魔しちゃった?」
 抑えた声が耳元で揺れると、みのりはからからと笑った。
「お邪魔、お邪魔。ウチの大ネコは」
「やっぱり?」
 肩を触れ合わせたまま、並んで白く柔らかいスイーツを口に運ぶ。
ほんわりと口の中で広がる甘味が、くすぐったさに重なって、二人
はざっくばらんに言葉を投げ合った。
 バイト先での出来事、卒論へ向けて忙しくなり始めた大学のこと、
まだまだ空想の域を出ないけれど、簡単なメニューから始まって、
少しずつ絵になり始めた将来。
「明日、晴れだよね」
 佳澄は、みのりのタンクトップの胸元に目を落としながら、グラ
スに残った氷をストローでツンツンとつついた。両手を後ろにつく
と、みのりは天井を仰ぐ。
「きれいな夕焼けだったしさ、大丈夫じゃない?」
 テーブルと身体の間にできた隙間。小麦色に焼けた太ももは、う
んと柔かそうで……。
 みのりは吐息混じりに鼻から笑い声を漏らすと、大きく丸い瞳を
こちらに向けた。今の気分が伝わっているのがわかって、嬉しさに
まかせてそのまま頭を膝の上へと。
「クーラー、かける?」
 頭の上から声が降ってくると、うなじに手がかかった。いつも通
りの、少しの固さに暖かさがじんわりと伝わる手の平。
「ううん、いい」
 身体を上向きにすると、足を伸ばしたふとももは低くなり、見下
ろされた目と視線が合った。
 気持ちいいなぁ。
 佳澄は、ギュウと伸びをした後で、みのりの腰に手を回した。
「う〜ん、幸せ〜」
「スミの甘えネコ」
「ダメ?」
「ううん、」
 うなじにかかった手が、肩口から背中へと。
「全然。可愛い、可愛い」
 じんわりとひろがる充足感に身を任せて目を閉じた時、吐息がそ
ばに近づくのがわかった。頭を少し持ち上げると、薄目を開けて、
そのまま。
 キス。
 じんわりと閉じた唇を合わせて、止まったままでいる。お互いの
首筋に手を回し合って、それがどちらのものかわからなくなるまで。
 息が漏れて、唇が開きかけた瞬間、佳澄はすばやく、もう一方の
手をタンクトップの裾から忍び入れていた。
 ひんやりとした手。
 わき腹からブラのサイドストラップまで辿り上がる指先の感覚に、
合わせた唇が少し離れ、みのりは目を薄く見開いてからもう一度、
今度は舌先を羽根のように触れ合わせる。
 佳澄の指先は、ブラのカップを下からくぐり、胸の先端ぎりぎり
に届く。でも、そのまま脇へと辿ると、脇の下の周辺へと。
 ん……。
 少し弱い場所をくすぐられると、喉の奥から漏れそうになる声。
代わりに、舌をさっきより大きく突き出して、佳澄の舌と擦り合わ
せる。
 身体を辿る指先と、何度も確かめ合うように重なり、時に音を立
てるほどに強く、唾液の交換を続ける口腔。
 どれくらい、ゆったりとした相愛は続いただろうか。タンクトッ
プの中でブラが外され、初めて指先に頂きを捉えられた時、みのり
は大きな吐息を漏らしてしまった。
 いつのまにか、テーブルは大きく間仕切り側にずれ、後ろに置か
れた座椅子型のソファに寄りかかり、佳澄が上になる形になってい
た。
「はあ……。大丈夫?」
 間仕切りの方に視線をやりながら言うと、佳澄は、開けた隙間か
ら寝室を覗き込み、
「大丈夫。よく寝てるよ」
 そして、タオルケットを引っ張り入れて傍らに置く。タンクトッ
プの裾も、ホットパンツのボタンも、すっかり着衣が乱れてしまっ
ていた。赤みの差した顔が寄せられると、
「サイレントでね。のりちゃん、時々大きいから」
 ちょっと「攻めモード」なからかい混じりの表情を睨み返した。
「……このぉ。スミだってじゃん」
 後は、溢れ始めた情欲の迸るがままに。
 いきなりの口付けは、ホットパンツからのぞいた腰骨の上。勢い
よくTシャツとブラを脱ぎ落とした佳澄は、もう、下半身を覆うイ
ンナー一枚だけだった。
 下着ごと一気に脱がされると、さすがに少し恥ずかしい。でも、
唇は柔らかく円形に萌え出す叢には向かわず、外腿から膝、そして
腰骨へと戻っていく。
 じんわりから切なさを増していく感覚。う、そこは弱いよ……。
 キュッとした感覚が響く。臀部に回った佳澄が、軽く歯を立てる
のがわかった。そして、甘い歯の感触は、位置をずらしながらあち
こちへと。
「あ……」
 声が漏れかけて、スミのも、と思う。目の前にあるライトブルー
のインナーの裾から指を忍び込ませると、縁沿いにお尻へと滑らせ
る。触らなくても、一番奥深い場所が充分に潤っているのはわかる。
でも、スミがその気なら……。
 両手をお尻にかけると、やわやわとした愛撫を繰り返しながら、
伸びた内腿に、吸い出すような強い口づけをする。さらに、後ろか
ら指を進めると、肉の合わせ目の深く、すぼまった辺へと。
 太ももの周辺に甘噛みを続けていた口が離れた。
「いや…」
 小さく喉から声が漏れた。
 いつの間にか、追われる立場になっていた。喘ぎは、みのりの漏
らすものより大きくなって……。
 中途半端に下ろされたインナーの後ろから、指がくすぐったい動
きを続けている。時折、皺をほぐすように円を描きながら。
「スミ」
 呼びかけられると、肩に手が掛けられ、引き起こされた。そして
そのまま、仰向けになったみのりの身体の上に、同じように上を向
いて折り重なる。
 もう、二人とも何も身にまとっていなかった。少し苦しい体勢の
まま、顔を下に捻って舌と舌を触れ合わせる。力強い腕が、脇の下
から胸にかかり、周辺を揉むような動きを繰り返した後で、胸の先
端を捉えた時、佳澄は眉根を寄せて、みのりの腰に当てた手に力を
込めた。
 じんわりと広がる、浅い痺れ。
 みのりの愛撫が、少しだけ停止し、大きなうねりへの道のりを辿
らない。
 自分の感覚が、全て伝わっているのがわかった。
「好きだよ」
 囁くと、うん、と答えが返った。お腹のあたりでたまる心地良さ
をそのままに、少し腰を浮かせて、後ろ手にみのりの泉を探す。
 すぐに見つけ、届いた瞬間、下から回されたみのりの指も、叢を
切り開いて、繊細な頂きに触れた。
 二本の指で、弾くように。そして、溢れ出す雫を掬い取り、戻り、
時折濡れた入り口をくすぐり、軽く開き。
 触っている自分の指が、形を変えて自分を愛撫しているような気
がした。そして、もう一方の手を首に回しあい、唇を合わせた。
 身体がみのりの上から落ちると、舌が忍び込み、向き合う形にな
った。そのまま、隙間なく身体を密着させ、深く求め合う。
 根っこまでを擦るように舌を絡ませ、胸と胸を押し付け、形が変
えながらこね、腰を強く抱き寄せ合い、指先は互いの深い場所で、
揺らめくような愛撫を続ける。
 ああ、気持ちいい。
 高まりかけては戻り、また少し高まり――何度か繰り返した後で、
どちらからともなく、身体を離した。そして、無言のままで柔らか
く唇同士が出会う。
「しちゃったね。結構、久しぶりかも」
 裸のままで、みのりが伸びをすると、屈託ない様子に佳澄はへへ
へ、と笑った。
「うん、そうだね」
 再び寝室を覗くと、ぼんやりと黄色の明かりの下では、やんちゃ
な丸顔の幼児が、タオルを蹴り飛ばして大の字になっていた。
 可愛いね。あんな格好、しようと思ってもできないよ。
 ひそひそと言葉を交し合った後で、みのりが言った。
「お風呂、入ろうか。どうせ、裸になっちゃったしさ」
 うん、佳澄が頷くと、居間の電気が消され、後はバスルームの扉
の閉じる音がそれに続いた。

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