第六章 彼とカレ

 「あの娘らにしねぇ? 結構、良さそうじゃん」
 大橋がにやっと笑って、プリクラの辺りでたむろっている女子高
生風の集団を指差した時、俺はどっちでも、って調子でうなずいた。
 実際、別に誰でも関係ねぇような気分だった。
 カラオケ屋の一階、ゲーム機やら飲食用のテーブルが置かれたこ
こは、近辺じゃ一番のナンパスポットだった。
 久しぶりに部の奴らとつるんでやってきた「いつも」の場所。話
はトントン拍子に進んで、三十分後には男四人に女五人で総勢九人、
大部屋にガヤガヤと。
「メガネの子、いいと思わんか? 結構カシコそうじゃん」
 澤本の長い顔が傾げられてのひそひそ声に、俺は一杯目のビール
を飲み干して、まあね、と短く返した。
「ま、タイプじゃないか、お前にゃ」
 ステージに上がった女の子二人組みの間に乱入した高橋が、ちっ
こい身体でくねくねとアイドルの振り真似の調子こき。
 大笑いが部屋にガンガン響く――で、澤本が手元のマイクを持ち
上げて叫んだ。
「いけいけ、オハコや、ピーター高橋ぃ!」
 買ってあったグッズのかつらをかぶり歌い出した高橋に、左手に
並んだ女の子らも大笑いの大喝采。
 俺たちも、机をドンバシに、口笛にヘイヘイ〜。
 まったく、相変わらずだな、高橋のバカは。
「おい、逢沢、おめぇ、歌ってねぇじゃん。いけよ、あれ」
 大橋のでかい顔が向こう側から。
「……ああ、いいって。もちっとな。今、ノリねぇから」
 正直なとこだった。ま、もう一杯飲めば……。
「ダメだって、コイツ。まだひきずってるもんな〜、A嬢ショック」
 いきなり隣で澤本ががなった。曲の切れ目で、部屋に響き渡る声
……ったく、またそれかよ。
「え〜? どういうこと、それって?」
 向かいでショートの子が目をくりくりさせると、まだ舞台に立っ
たままの高橋が、くねくねと腰を揺らしながら、ネコ撫で声で、
「お別れしたばっかなの、あのむさっ苦しいお兄さんは。年下のス
ウィートハートと。ああ〜ん、堅、寂しいよ〜って」
「うあ〜、かわいそぉ。元気だしてねぇ」
 明るい顔立ちの子がこっちへニッコリ。俺は、両手の親指を立て
て返すと、立ち上がった。
 廊下に出て、向こう側の喫煙コーナーに腰掛ける。
 一本タバコに火をつけて、吹き抜けになったフロアーを見下ろし
ながら、一息。
 おお、回ってきた回ってきた。
 そういや、今日、何曜日だったっけか。バイトがおとといだった
から……、火曜か。
 休みももうおしまいだよな……。ホント、だりぃったら、来週か
らまた大学か。
 少しアルコール入り気味で、シャンデリアの下のキラキラしたフ
ロアにたむろする奴らを見ていると、そうか、ここだとあいつらに
会うかもな……。
 高校生だと制服で寄る奴も多い、郊外で一番でかいカラオケ屋だ。
あいつとも、何回か来たからなぁ。
 ばったり会ったらどうすっか……。ま、その時はその時だな。
 滅茶苦茶さっぱりした最後の声を思い出せば、まあ、会ったとし
ても、「よお」かな。
『じゃ、堅、アタシの荷物は家に送ってくれない? 送料ぐらい持
てるよね』
 まったく、さばさばした奴だよ。こうすんなりいく別れ話もある
ってことか? 自分からリタイアだもんな……。あのバカ。
 お、ヤバヤバ。何考えてんだ、俺は。
 だいたい、女の考えてることなんてのは、到底わからん。いや…
…、あいつだから余計にそうだったのかも、だな。
 もう一本吸うか。
 フロアーを右へ左へ、誰かを探すように辺りを見回しながら歩き
回る制服姿が、さっきからちょっと気にかかっていた。
 白いシャツとディープグリーンに朱が入った少しタイトなスカー
ト、間違いなく聖美館の制服だ。
 こんな場所に、やたら来ていいような高校の子じゃないんだけど
な……、ほら。
 さっそくナンパ君たちが登場、胸元を開けた学ランの二人組み―
―西高の奴らだな。しょうがねぇ。
 こっから見ても馴れ馴れしい様子の二人組みを、長い黒髪と手を
振って遠ざけると、聖美の子は死角になった入り口の方へ消えた。
 そうそう、さっさと退散するの吉だな。……さて、と。
 タバコを灰皿に放って、いざ一発シャウト、脳の血管切らしたる
か。
 ライトが照り返す廊下を曲がろうとした時、らせん階段から上が
ってきた制服の女の子と目が合った……、あれ、この子は……、帰
ったんじゃなくて、二階へきたのか。
 肩まで届く長い髪の下、細身の顔がこっちをチラッと。
 ん?
 目が見開かれて、なんか微笑まれたような?
 にしても、かなりの美人だな、この子。スタイルも悪くない……
と、やめやめ。
 聖美の制服を横目に部屋の方へ行こうとした時、控えめな、でも
不意打ちな声が左耳に飛び込んできた。
「あの、すいません、あの……」
 俺? 顔を指差すと、
「……いつも、赤いスポーツカーに乗ってる方ですよね、あの……、
西駅前のコンビニの店員さんの……」
 俺は頷いた。確かに、駅前のコンビニでこの間までバイトはして
たが……何でこの子、そんなこと知ってるんだ?
「ああ、良かった。さっき、通りを走っているの見て、もしかして
このカラオケ屋さんかなぁって。駐車場を探したら、見慣れたのが
あったから。ああ、よかった。部屋までは探せないって思ったから」
 ちょっとハスキーな声で、一気に喋り終えた。
 華奢な顔に、ちょっと下がり気味の目と眉。ちょっと待てよ、結
構なかわいい子だけど、覚えがあるようなないような……。
「……えっとさ、悪い。知ってたっけ、そちらさんのこと」
「ウチの高校の子達、いっぱい寄ってたでしょう? だから、私も」
 瞬きしながら指を指す仕草が、やっぱ、聖美の女の子らしい。そ
っか、ま、確かにあそこは聖美や付属の高校生が寄るけどさ。にし
たって、俺に何の用だよ。
 すらりとした白いシャツににえんじのリボンが似合いの「お嬢さ
ま」は、俺の質問に滅茶苦茶意外な答えを……おい、マジかっての。
 何でも、俺は西駅前のコンビニに来る聖美の子らの間では結構な
人気だったらしい。
 あのバイトの人、いいよねって言ってたんです。あ、ごめんなさ
い――って、おい。それで、バイトやめちゃったみたいだから、み
んなで残念だねぇって?そりゃマジでないだろ。
 聖美館と言えば、幼稚舎から大学まで揃ったバリバリの坊ちゃん
嬢ちゃん校。俺らみたいなバカとはステータスが違う。
 これは、澤本か誰かの「ドッキリ」だな、そう思ったが、話すう
ちにどうやらマジだとわかってきた。
 何で?俺が??
「おまえなぁ、抜け駆けすんじゃねぇ!」
「ホント堅さん、女子高生キラー。しかも、聖美だって?」
「なんでだよ〜、こんなウドばっかに……。殺す。ぜってぇ」
 部の奴らと別れて、棚ボタとしか思えない突発デート?に出発し
た。
 ま、どうこうしようって気はなかった。
 だいたい、「少しお話できますか? 逢沢さんのお話、聞きたい
んです」って、どう考えてもズレてる。
「俺みたいなバカのなに聞きたいっての?」
「え、逢沢さん、そんなことないですよ。いつもきちきち働いてら
して。みんな、言ってましたから」
 そうか? 店長に怒られん程度にボチボチやってただけだったと
思うが……。
 加奈と言います――柔らかに口元に手を当てて自己紹介したその
ままの様子で、控えめに微笑んで見せた。
 ああ、わからん。お嬢が何を考えてるかなんざ。
 でも、まあ、聖美の子とレストランで食事、悪い気分じゃなかっ
た。長い黒髪に、絶対大口を開けて笑ったりしない落ち着いた仕草、
礼儀正しい言葉遣い。
 確かに俺たちの大学でも、高校生と付き合っている奴はいるが、
聖美となると話は別だ。それにしても、俺が人気者とは、参ったっ
てのか、意外と俺もイケてるってことなのか?
 そりゃ、ないよな。
 そのうちどうも難しめの話が始まり、カタカナが続いた後で、加
奈ちゃんは窓の外を見ながら呟いた。
「何でも手に入るってこと、あるんでしょうか。逢沢さん」
 欲するものとか、自然に生きることとか、何だか俺にはついてい
きにくい話に突入――やっぱ、俺らとは違うわな……。
「……そりゃ、無理だろうな」
 そして、「ハイソサ」な世界のこまごま。そりゃもう、俺なんか
じゃ想像外の、おい、そんなもんまで買うのか? そんなとこまで
行ってるのか、って調子の。
「私、時々思うんです。大事に思うって、好きってなんだろう、そ
んなことは全部、自分が欲しい、って思ってるだけなんじゃないか、
って。だから、結局全部買えるんじゃないかって」
 意味がわからん。正直思った。
 ただ、下がった目じりが寂しそうで、俺は一瞬、こっちを向いた
つむじをパンと……たぶん、杏奈の奴にだったらやってた。おい、
訳わかんないこと考えてもしょうがねぇだろ。
「考えすぎ、加奈ちゃん。大事は大事、好きは好き、欲しいは欲し
いじゃんか? 素直に楽しいでさ、そりゃあ、買えるとかとは別だ
ろ」
 ホント、お嬢はお嬢でわからん。でもなぁ、俺もなに言ってるん
だかだ、しょうがねぇ。
「……ってな、ホント、バカだろ、俺。説得力ないわ。三流大学、
でも一留ってな」
 ガハハ、笑った瞬間、窓の外からこっちへ向けられた視線が……
何とも嬉しいような、優しいような……。それに、どっかで覚えも
あるような……。
 そして、トントン拍子だった。
 ――マジか?
 酔いの覚めた俺の隣には加奈ちゃんがいて、車を住宅街へ走らせ
ていた。
「家に来てもらってもいい?」――意味わかって言ってるよな、さ
すがに。
 で、名前だけは超有名な高級住宅街、車を停めたのは……、おい、
冗談じゃない。
 洋風から和風まで、塀や生垣が高く囲う豪邸ぞろいの中、おいお
いおいおい! 待てって。
 ほとんどどっかで見た外国の映画の中。
 何で門にどでかい鉄扉が付いてるんだよ。車道があるけど庭、だ
よな……公園じゃない。これ、四階建てか? 屋根と窓、いくつ付
いてるんだよ。城じゃねぇか、ほとんど……で、あっちに暗く光っ
てるのは……プールか?
 こっちです――車を停めて豪邸の隣を過ぎると、また建物が……。
 とんでもないところにきたんじゃねぇか――「離れ」ったって、
俺の実家並みの建物に招かれると、はっきり言って俺は相当ビビっ
てた。
 入ったのは、応接間らしきところ。紅茶を出されて、
「シャワー、浴びますか? 逢沢さん」
って、いいのか?マジで。後から執事かなんかが出てきて殺される
んじゃないだろうな。
 離れどころじゃない、立派でピカピカのバスルームでシャワーを
浴びている間も、どうも信じられん。うまく行き過ぎの気がするし、
イチモツもいまいち反応が……。
 あんな上品なお嬢さまだぜ、だいたいこれって、ほとんど逆ナン
だろ?
 それでも、160センチくらいか、すらっとした身体と肩口を思
い浮べながら……おし、ここで引いたら男じゃねぇ。
 用意されていたふかふかのバスタオルで身体を拭くと、彼女はも
う、応接間にはいない。間口から覗き込んだ廊下の先に淡い光。歩
いていくと、扉が半開きになっていた。
 ゆっくり開けると、ほの暗い部屋には大きなベッドが置かれてい
て、長いタオルを身体に巻いたすらりとした姿が、うつぶせに……。
 うお、マジ。いいのかよ。
「加奈ちゃん……、オッケー?」
 加奈ちゃんは身体を斜にしてニッコリ、そして頷き。
 おし、じゃあ……。長い髪の中、首筋に手をかけて引き寄せよう
とした俺を制して、
「待って、逢沢さん。私から、してあげる」
 かすれた感じの声。
 で、いきなり腰のタオルを取って……、お、う。
 両足を前に投げ出す格好で、いきなりのフェラ。
 でも、これは……滅茶苦茶に……。
 ギュニュニュっと先を吸い込むように、で、すぐにひねりが入っ
て、飲み込んだまま、舌の腹でレロレロレロ……。
 な、慣れてんじゃんか……。そっか、それならなにも遠慮なんか
いらんか。
 やっぱ、お嬢とか言ったって、他の奴と変わんないよな。
 一瞬かすめた考えもすぐに吹っ飛ぶ。もう、ちょっと薄目を開け
て見れば、根っこから先まで唇でニュニュニュ、で、先をペロペロ、
最後は袋を揉まれて、すげぇ勢いで出し入れ……。
 ま、マズ。いっちまう。
 頭を抑えて止めようとすると、クチュクチュ混じりに、
「いいです、イって……」
 う、やば、う。
 震え上がる感触と、唇に包まれたままのあったかさと。
 おお、いい子だよ、マジ。
 そのまま、噴き出す俺のものを飲み下してくれる。
 ジンワリと、気持ちよさと満足感――うっし!
「次は、加奈ちゃんの番な」
 肩を押して仰向けにさせると、長い髪がベッドの上に広がる。
 ふくらはぎから撫で上げて……、
「……逢沢さん、ちょっと、待って。私……」
 いいのいいの、俺にお任せコース。
 バスタオルの裾から腰の外側へ、お、足閉じちゃって、可愛いじ
ゃんか。
「待って、堅一さん」
 内側に手を持ってって、グッと。さて、濡れちゃってるよな、加
奈……。
 ん?
 んん?
 なんだ、今のフニッってのは?
 待てよ……、違うよな、なんか。
 あるべきものがない、じゃない、ないべきものが、ある??
 待てよ、違うだろ、そりゃ。やわやわの、その先が……芯のある
固い……って。おいぃぃっ!
「な、加奈……、あんた……」
 ふかふかベッドに埋もれ加減の顔が、まっすぐにこっちを見上げ
る。
「堅一さん……、ゴメン。でも……」
 華奢な顔と、下がり気味の目と眉と、おとなしそうな口元……繋
がりかける。誰だ……。
 誰だよ……? もうちょっとで思い出せる。
 加奈………カナ……かな…。
 要! おい、お前って。
「お前……」
 頭が驚天動地、噴火山っ。どうなってやがる、こいつ、要だ。沙
瀬美の彼氏の!
「何だよ、お前! どうして」
 何で、こいつが。男が女のカッコして、しかも、俺に!
 おい!
 俺の両手の下で視線をそらした口元が、何かを言おうとした時。
「何してるの? 要、それに、堅一さん、あんたも!」
 な、なんだ!?
 斜め後ろから、聞き覚えのある声が甲高く響き渡った。
 振り向いた先には……嘘だろ、なんだってんだ、どうなってる!
 扉の前には、ヘアピンで髪を分けた、小柄な制服姿の女の子――
沙瀬美、だ。
 そして、さらに、後ろから飛び出て、鼻にかかった声は! おい!
「あ、え? け、堅! どうしてぇ?」
「……おまえ、杏奈か?」
 間違いない、杏奈のとぼけ顔だ。
 くそ、マジか。こいつら、どうなってんだよ。
「ど、どういうことだよ!」
 もしかして、嵌められたのか? 思った瞬間、下から切羽詰った
声が上がった。
「沙姉! ち、違うんだ」
 加奈――要が身体をねじって手を伸ばした瞬間、沙瀬美は背を向
けて部屋から飛び出していった。
「もしかして、要クン?」
 目をまん丸にして叫ぶ杏奈。いい加減にしろよ、叫びたいのは俺
の方だ。なんで、お前までここにいる。
「……う、うん」
「ど、どういうこと?」
 そして、俺を睨むと、
「……サイッテー、堅。お前なんて、死ね!」
 思いっきり口を開けてしかめっ面を作ると、くるりと背を向ける。
沙瀬美、待って、の声と一緒に、杏奈の姿も廊下の暗がりへ消えた。
 頭ん中が真っ白だ。
 何も考えられん。
 どうなってるんだ。俺を誘った加奈は要で、いきなり沙瀬美と杏
奈が現れて……。
 いったい何なんだ、こいつら。
 ……俺をはめたのか?
 じゃねぇ、そんなんじゃねぇ。バカにすんなよ、なに考えてんだ
よ。このままじゃ、俺がアホみたいじゃねぇか。
「要! お前、来い。あいつらの行きそうな場所、わかるだろうが。
雁首そろえて、わけ話させてやる」
 頭がはっきりしてくりゃあ、腹が立ってどうしようもない。ぜっ
てぇ、こいつら、トチ狂ってる。
「ち、違うんです、堅一さん。僕が……」
「うるせぇ。話は後だ。あいつらと揃ってじゃなきゃ、話にもなら
ん」
 要の肩をぐいっと掴むと、おい、そのカツラ外せよ……いや、違
う。
 聖美の制服着せたままあいつらの前に付き出さにゃ、意味ねぇ。
 後は、思いつく場所から場所へ車をぶっ飛ばす。携帯は出ねぇし、
絶対、見つけてやる。このまんまで、腹の虫が治まるか。
 夜の国道から市街へ、制服来たまんまのこいつが何か言いかける
が、聞く耳持つか。だいたい、考えるだけでむしずが……。くそ、
オンナの格好なんてしやがって。
 ファミレスからゲーセン、カラオケ屋に100円ショップまで、
何軒回ったか……。
 くそぉ……。
 だんだん、こいつのセリフも耳に入ってくる。だから、聞きたく
ないんだよ、お前の話なんか。
 パッと光る、あの瞬間。うぉ、やめろって。考えたくねぇ! 男
に……。
「悪いのは、僕なんです。沙姉……沙瀬美さんや杏奈さんは何も…
…」
 だから、聞きたくねぇんだって。
「こんなことにするつもりじゃなかったから……。本当は堅一さん
ともちゃんと話さなきゃって思ってたんだけど」
 堅一言うな。馴れ馴れしい。
「普通にしたら、とても話してくれそうになかったし、それに……」
 何だよ、だから女装かよ。全然筋通ってないだろうが!
 何軒目だったか、一番人の入りの悪いファミレス、もうこいつを
連れてくのも面倒くさくなって、
「お前は車で待ってろ。逃げてもおっかけてくからな」
 無言で下を向いて、「そんなことしない」、首を振る様子が……、
くそ、何だよ。
 シュンとした横顔が、くそぉ……。
 わけわかんなくなりかけながら店に入ると、客はまばら。
 そして……、いたよ。あいつら!
 ドンドンとテーブルの間を抜けて、クソガキ二人の前に立つ。
「おい」
 見下ろして声をかけると、まず、杏奈のバカが顔を上げた。
「……どちらさん? やめてよね。声かけられたくないんだけど」
 沙瀬美は、一度こっちを向いた後、すぐに窓の外を向いて、コー
ヒーをゴクリ。
 こ、こいつら……ナメやがって。
「あのなぁ、わかってんのか、お前ら」
 二人とも無言。俺の声だけがすいた店内にこだまして、何でここ
でまで恥かかなきゃならねぇ。
「おい。聞いてんのか。失礼だろうが」
 沙瀬美はつむじを見せたまま。杏奈がでかい息を吐くと、一言。
「あのさ、何が言いたいわけ? 堅。もういいの。あんたがなんだ
ろうが、何ヘンタイしようが」
 厚ぼったい唇を尖らせて、
「はいはい、帰れ帰れ」
 手をシッシと払う素振り。
「違うだろうが! 我慢なんねぇんだよ、俺は。お前ら、勝手しや
がって。言うことあるだろ」
「……何が? 言うことなら、あの時言ったじゃん。これ以上サッ
チ泣かせると、大声出すから。ああもう、こんなカッコ悪い奴って
思わなかったよ、アタシは」
 俺の知ってるよりずっと短くなった頭をツンと。
 沙瀬美が泣く? 泣きたいのは俺の方だっての。くそ、このバカ
は……。
「いいから、来い。あの野郎も来てるんだよ」
「ちょっと、掴むなって。……ああん、ヘンタイのチカンがいるぅ」
 でかい声で杏奈が叫ぶ。隅っこの席の二人組みがこっちをちらっ
と。
「杏奈、てめ……」
「堅一さん……。要、一緒なの?」
 沙瀬美の口だけが、いきなり声を出した。
 滅茶苦茶勢いのない、のっぺりした感じ――
「お、おお。連れてきてる。お前ら全部一緒じゃないと、話になら
んからな」
 くそ、何だよ。そんな顔されりゃ、俺がまるっきり悪者みたいだ
ろうが。
 目をそらしたまま、髪が揺れてすっと立ち上がった。
「……サッチ。行くの?」
「うん。だって、あれからちゃんと話してない。ゴメンね、杏奈」
 そんなことないよ、言いながら俺をちらっと見て、出口へ先に立
って歩き出す沙瀬美と杏奈。俺が付いて行く格好だ――なんて勝手
な奴らだよ。それに、なんだよ、こりゃ!
 杏奈の手が俺のポケットにオーダー表を――。
 車のところまで戻ってくると、よし、こいつら、まとめてわから
せてやるからな……と、助手席に影がない。
 あ、あの野郎。やっぱ逃げやがった。
 くそぉ――言いかけたとき、杏奈が斜め下で小さく呟いた。
「これ、要クン?」
「……うん、そうだよ」
 なにぃ? 後部座席へ身体を屈めると、聖美の制服を着たままの
要が、横になって丸まっている。
 何で後ろになんか……まあ、いい。
 ロックを外してドアに手をかけると、冷たい感触が手首を握った。
 沙瀬美の広い額と細い目が下にあって、首をフルフル。
「そのままにしといてあげて」
「何で。俺は、こいつに……、ほらよ、この格好……」
「……だいたいわかった。でも、今は寝かしといてあげて」
「どういうこと? サッチ」
「要がね、こうやって寝るの、ホントに休みたい時だと思うから。
前もこういうこと、あったから」
 しんみりした調子の沙瀬美の声。
 くそ……、何だってんだ。俺がわざわざ……。
 俺は、でっかく深呼吸した。……はあ。まったく、しょうもねぇ。
やめだ、カッカするのは。
 もう、何もかんも、どうでもよくなってきた。
 人前でこういうこと、しない子だから。すごく疲れると、急に寝
ちゃうんだ――そんなことを、沙瀬美がボソボソと呟いている。
 気がついてみりゃ、知ってるよりずっと青白い顔に見えた。肩に
手を掛けてうなずく杏奈の奴も、何だよ、結構落ち着いて見えるじ
ゃんか。こんな顔もできるのかよ……。
「可愛いね。要クン」
「うん、でしょ? この制服、たぶん、私と遊んだ時のだよ」
「あ、やっぱ、そういうこと、してたんだ〜。いいなぁ」
 バカか。こいつらのしそうなことだぜ、まったく。
 リアに寄りかかったまま、車の中をちらっとのぞくと、カツラを
かぶったままのあいつが、両手をほっぺたの下に当てて、すやすや
と……。
 ………。
 ……………。
 よく寝てやがる。まったく、しょうがねぇ……。
 怒る気もすっかり失せた。
 ほんとこいつら、しょうがないガキどもだよ。
 ふぅ……、ま、それは俺もそうかもだな。仕方ない、こいつが起
きるまで待ってやるか。

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