第七章 カレと、彼女とカノジョと彼と

 ほら、見てよ。こんなにできたよ、今度のテスト。
 ――すごい、カナちゃん。これ、小学生のお兄さんの問題だよ。
すごいね。
 音楽会のピアノ、僕がやることになったんだ。
 ――よくやったぞ、要。先生もな、お前なら個人教授の方がいい
って言ってる。
 卒業生代表の言葉、ちゃんとできるかな。
 ――カナちゃんなら大丈夫。新しい服、仕立てに行かなきゃね。
 僕、最近、バンドやってみようかな、って。
 ――おお、いいぞ。ギターか? キーボードか? いつ買いに行
く?
 模試、学年一番だったよ。
 ――連続だね。今度は何をご褒美にしようか? また新しいギタ
ーにする? それとも、ノートパソコン?
 ――好きな女の子ができたんだ。
 そうかそうか、で、どんな子だ? そうか、聖美の子か。うんう
ん。欲しいものはあるか? そうだ、そろそろカードでも渡しとく
か。
 ………ねえ、僕さ、何でもするよ。
 楽しい?パパ、ママ。僕が「一番」になれば、嬉しいよね。パパ
とママが喜んでくれるなら、僕も嬉しい。
 パパとママの僕は、僕の僕。
 それが、僕。
 何もいらないよ、ご褒美なんて。
 何も買ってくれなくていい………。そんなことしてくれなくても、
ずっと僕はここにいるから――。
「バカ野郎っっ! あいつら、死んだ方がマシなんだから!」
 沙姉、気持ち、わかるな。いいんだ、僕の前ではいつだって遠慮
しなくても。
「わかるな、沙姉。やっぱ親って、子供を持ち物だと思ってるよね、
基本的にさぁ」
 だから、一緒に気持ちよくなろうよ。
 うん、沙姉に乗っかられて、動かれてると凄く気持ちがいい。
 こすりつけられると、すぐ、いっちゃうそうだよ。
「要、いい? 気持ちイイ?」
 うん、いいよ。沙姉。気持ちよくさせてよ。気持ち良くなろう。
 一杯こすり合わせて……。
「――か・な・めクン。どう、サッチとらぶらぶ? いいなぁ、堅
なんて、ださださなんだからさ」
 杏奈さん、いっつも明るい――いつか行った、タヒチの太陽みた
いだ。
「ねぇ、アタシも、ちょっとらぶらぶ気分、味合わせてもらってい
い?」
 うん、もちろん。杏奈さん、こうやって抱いてもらうの、きっと
好きだよね。杏奈、好きだぞ!って。
「あん、スゴ。要クンの、いいよぉ。ドンドンやってぇ」
 行くよ、杏奈、イかせてやるから。
 アン、いい……。
「だからなぁ、お前、訳わかんないことこねくりすぎなんだって。
決め、だろ。男はさ」
 ありがとう、堅一さん。僕も、そんな風になりたいよ。
 そんな自然を、教えて欲しい。
 僕がこうしたら、教えてくれるのかな……。
 チュ……。うん、すごいよ、堅一さんの。
 使って欲しいな、口も、もっと別の場所も――。
 うん……。
 堅一さん、好きだよ。
 杏奈さん、恋してるよ。
 沙姉、想ってるよ。
 みんなが思うように、僕は。みんなが愛したいように、僕は……。
 キラキラ光が見える。
 黄色、青、赤……。天に流れる河。
 集まって、瞬いて、暗い空を照らすように。
 泳ぎたいな。でも、きっと、僕はあの河をずっと見つめてる。
 あの中を泳ぐことはできない。
 でも、それでいいんだ。
 それで、いいんだ………。
 ……なめ。
 クン。
 え?
 かなめ。
 要クン。
 あ……。
 そ、そうか。これって、車の座席――。堅一さんの車で、寝ちゃ
ったの、か。
 頬の近くに……体温? 首を上げて横目で見上げると――細い目
が優しく笑っていて、丸い目がにんまり笑っていて……。
 沙姉と杏奈さん!
「あ…」
 一気に戻ってくる。ついさっきまでの眺めがフラッシュバックし
た。
「ご、ごめん。どうしても眠くなっちゃって……見つかったんです
ね。あ……、け、堅一さんは?」
「いるよ、ここだ」
 運転席からぶっきらぼうな低い声。ああ、しまった。どうして横
になんか……。
「あ、いいのいいの、要クン」
「要。大丈夫?」
 慌てて身体を起こそうとすると、緑のリボンと白いシャツの肩が
並んできて、狭い後部座席に3人――。
「あ、あの……」
 そうだ、どうなったんだろう。
 堅一さん、ものすごく怒ってた。それに、家で見られて、飛び出
していった沙姉と杏奈さん……。
 何か言わないといけない。
 全部、僕が悪かったんだ。そうだ、さっきまで考えていたことを
言わないといけない。
 選べない人間は、誰かと付き合っちゃいけない。僕は、それがわ
かっていなかった。みんなのことが、それぞれ好きなのは、間違い
ないけれど……。
「ごめんなさい。僕は……、本当は………」
 唇に、少し冷たい指。沙姉?
「いいの、要」
 ウンウンとうなずく杏奈さん。
「要が眠ってる間に、みんなで話して、だいたいわかっちゃった。
謝るのは、私。もっと、要の話、聞けばよかったね」
「さ、沙姉……」
「ウンウン。そうそう。悪気なかったんでしょ。だいたい、サッチ
は独りよがりだからね。妄想激しいしさ」
「……あんたに言われたくない」
 僕の肩越しに杏奈さんを睨みつける沙姉。
「で、でも……」
 それじゃ、済まない。杏奈さんの気持ちがわかって、それだった
ら一緒に楽しくしようと思ったのも僕。そして、きっとそれを沙姉
にわかってもらえると思ったのも僕だから。それに――。
 前を見ると、短い髪が前を向いたまま、低く言った。
「俺は、納得してねぇからな。こいつらはべらべら喋ってたけどな」
 そうですよね。堅一さんまで巻き込んじゃって……うまくいくと
思った僕が、馬鹿だから。
「何言ってるんだか、堅は。『たぶんだけどな、欲しいものは買え
るとか買えないとか言ってたのは、マジじゃねぇかと思う』って言
ったの、誰だよ。堅一〜」
「うるせぇ。馬鹿野郎。だいたい、偉そうなんだよ、お前は。口の
きき方を知れ!」
 肩口で、沙姉のくすくす笑い。
「もう怒ってねぇって言っただけだろうが。さっきは。……で、お
前、要」
 低い声が後ろに飛んできた。ミラーに映った真剣そうな顔を見て、
そして、僕の姿も。そうか、まだ、この格好だったんだ。
「……一個だけ聞かせろよ。それだけ聞けば、後はお前らのこと、
忘れるから」
「は、はい」
「何で、女装なんてして俺のこと誘ったんだよ。そりゃ、騙しだろ
うが。俺をはめて、面白がるつもりだったのか?」
 言われると思っていた、僕も話したかったこと……少しでも、真
摯に答えなくちゃいけない。
「ごめんなさい、堅一さん」
「だから、謝るなって。謝るならするなよ」
「はい……。騙そうと思ったんじゃないんです。ただ、本当に、馬
鹿みたいに単純なことで……。こんなんで高校生かと疑われそうな
んですけれど……。沙姉と付き合ってるのに、杏奈さんとしちゃっ
て、それで、みんながギクシャクして別れて、沙姉とも会いづらく
なって……」
 沙姉が手を握ってくれる。杏奈さんが、頬っぺたをつんとつつく。
「だから、堅一さんと会って、もしいい感じになれたら、うまくい
くんじゃないか、って。でも、男のままじゃたぶん、無理だと……。
どっかで話すつもりだったんです。本当は、初めて会った時から、
気になってました、前にみんなで一緒になった時もって……」
「ああ、もういい。わかった!」
「ははは〜、ほら、堅。アタシの言った通りじゃん。要クン、人は
めるような男の子じゃないよってさ。きっと、堅のこと、気に入っ
てたんだよ……」
「お前は黙ってろ!」
 もう一回、沙姉の、今度は明るい笑い。あ、良かった。この笑い
方をする時、沙姉は気分がいいんだ。手が、ぎゅっと握ってくる。
「ごめんなさい……。勝手な思い込みだし、こんな格好してするこ
とじゃないですよね……。でも、このままになったらどうしよう、
ずっとそればっかり……、一人で家にいて考えていると……」
 頬っぺたに暖かくて湿った感触。沙姉……。
「あ、ずるい〜」
 こっちの頬っぺたにも、杏奈さんの匂いと、柔らかい感じ。
「も、要クン、可愛い。ね、サッチ。イエ〜、三姉妹」
「う、やめてよね。要はともかく、あんたと姉妹はヤダ」
「あ、そういうこと言うんだ。さっきまで、他人じゃなかったのに
なぁ……」
「あ、杏奈、あれはねぇ!」
 え? って、杏奈さんと沙姉、もしかして。
「そうやって、カッコつけるからダメなんだって、サッチは。しょ
うがないじゃん。アタシら、気持ちいいの、好きだもん」
「そ、そうだけど……」
「ああ、やめろ。耳が壊れる、お前らの話聞いてると。車出すぞ。
送るからな。もうこれ以上、聞きたくねぇ」
「え〜ホント? 堅だってさ、みんなのお相手、しちゃってんじゃ
ん。もう、エロ大生〜。ねぇ、加奈ちゃんもでしょ」
 あ、杏奈さん。もう。
「う、うん」
 耳元、囁き声で、
「…で、どこまでいっちゃったの? 入れちゃったりとか、した?」
「え、そこまでは……。でも、堅一さんなら、後ろにしてもらって
もいいかなぁ、とか……」
 あ、ちょっと暴走気味のこと、言っちゃったかな。杏奈さんと話
してると、つい……。
「や、やめろよ。そういう話はよ!」
「え〜、組み敷いてたの、誰だったっけ。ホントはさ、堅も……」
「やめろってんだ!!」
「も、もう。要。こんな奴のどこがよかったのよ。ホントもう、ち
ょっと嫉妬だなぁ」
 沙姉。ううん、沙姉のことだって、すごく。
「え、大丈夫。沙姉、好きだよ。いつも」
「おお〜、告白告白。ね、アタシもアタシも、要クン」
 杏奈さんが身体を寄せてくる。
「あ、ええ。杏奈さん、大好きです」
「ああん、可愛い。チュッ!」
「あ、私には、『大』は?」
 沙姉のちょっと拗ねて作った声。何だか、胸が躍る。楽しくなっ
てきた……。
「あ、もちろん、沙姉もすごく、好きだよ」
「うんうん。チュッ!」 
「ああ、ヤメロ、病気になる! このイカレども!」
「え、堅も混じれば? まだまだ、若いんだからぁ」
「俺は大学生だ! ガキどもが」
 すごく、暖かい。杏奈さんと沙姉が両方から肩寄せてくれて。
 いきなり、カーステレオのスイッチを入れて音楽をガンガンにか
け出す堅一さん。
 すごく、気持ちいいよ。ありがとう、みんな。
 笑い声と騒ぎ声、怒鳴り声。勢いのいい音楽。全部が混じり合っ
て、ずっと向こうへ、星の流れる夜空の向こうへ、僕らを運んでく
れる――。
 しばらく、こんな幸せが続くといい。そうだよね、杏奈さん、沙
姉、堅一さん。

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