第六章 Passion

 平日の動物園は入場者もまばらで、気遣いなく園内を歩くことが
できた。
 海洋動物のエリアに入ると、気持ち良さげに水の中を泳ぐシロク
マが目に入って、真雪は真っ直ぐに水色の鉄柵に歩み寄っていた。
 園内に入ってから、なんとなく会話が途切れがちになって、肩を
並べて歩くのを少し気詰まりに感じ始めていた。
「無理して合わせなくてもいいのにな」
 ゲート前で待ち合わせをして、真雪の姿を目にした圭吾の、少し
おどけた笑みが頭から離れなかった。
 膝下までのパープルのカブリパンツに、袖に同系のレースが縁取
られた白に青いロゴ入りのTシャツ。ベージュのストラップサンダ
ルに、アクセントの細いチェーンベルト。
 そんなに若造りにしたつもりはなかったんだけど……。
 やっぱり何処かで年の差を思ってしまう。
 圭吾が昔付き合っていた彼女の事を呟いた夜。あの日から、少し
ずつ変わっていく気持ちを感じていた。
 どうしてこんなこと、思うんだろう。
 隣に立つ、6才も年下の男性。スケッチブックを持って、黙って
自分の横に立っていられると、恐れにも似た感情が湧きあがってき
て。
 でも同時に、肩を寄せて愛の言葉を囁いてみたい、甘い想いも消
えたわけではない。
 そして、そんなに若やいだつもりでもなかった服を、あんな風に
言われると、理由もわからない悲しい感覚が消えていかない。
 シロクマのプールの向こうには、岩肌を模した水色のコンクリー
トから、次々に水面へと飛び込んで行く南極ペンギンの姿が見えた。
「お、ペンギンだ」
 伸ばされた右手が、真雪の左手を握り、ペンギンのいる大プール
へと引っ張る。
 スラリとしたデニムのシャツの背中を見つめながら、大きく息を
吐いた。
 ……久しぶりのデートだもの、楽しまなきゃ。わたしがこんなじ
ゃ、圭吾だって嫌だろうし。
 錯綜した想いを僅かでも横に逸らすと、真雪は圭吾の腕に身体を
寄せた。
 日差しの強い梅雨の晴れ間、触れ合った裸の腕は少しひんやりし
た感じがした。
「真雪ってさ、海の動物っていうの、好きだよな。なんか訳がある
わけ?」
「ううん、別に。どっちかって言うと、ぬいぐるみが可愛いからか
なぁ。ペンギンとか、イルカとか……」
「ふーん」
 圭吾は直線的に水の中を進むペンギンを見下ろす。ミディアムレ
イヤーの髪の下で、涼しげな瞳が動きを追って左右に行き来するの
を、真雪は横目に映していた。
「こうやって見てるとさ、ペンギンって鳥だなと思うよな。泳ぐっ
て言うより、飛んでると思わない?」
「……うん」
 なんとなくあいずちを打つ真雪から身体を離すと、圭吾はスケッ
チブックを開いた。
「いい?」
 真雪は頷いた。今度のデートを動物園に決めた時に、圭吾は少し
考えた後で尋ねた。
『少しスケッチしたいんだけど』
 鉄柵から乗り出すようにペンギンの泳ぐ様を観察している圭吾の
手が、素早く流線型の姿を捉えていく。6Bの鉛筆が一瞬の動きを
描き落とすと、それはみるみる内に『絵』になっていった。
 凄いな……。
 絵の心得はまったくない真雪の目にも、圭吾の手が早い事はすぐ
にわかった。真剣に対象を見つめる様子に、黙って少し離れて置か
れたベンチに腰を下ろした。
 膝上で切られたジーンズにサンダル履き。着崩した濃紺のデニム
のシャツに、茶色の髪。おおよそ、スケッチをする風情には見えな
いのに。
 揃えた膝に肘をついて、手の上に顎を乗せて後ろ姿を眺め始めた
時、メロウな着信メロディが小さなポーチの中から響いた。
 あ、電源切ってなかったっけ。
 携帯のディスプレイを見ると、見慣れた名前の一つがあった。ク
ラスの女生徒の一人だ。
「はい」
 通話ボタンを押すと、低い声が耳に届いた。
『あ、先生。ごめんなさい』
「どうしたの、試験のこと?」
『うん、そう。今、時間ある?』
 真雪は、圭吾の様子を確かめた。まだ、熱心にペンギンのスケッ
チを続けている。その後ろには、面白そうにスケッチブックを覗き
上げる幼児の姿。
「……いいわよ」
『すいません。ちょっと、文法のことなんだけど……』
 今の状況とは程遠い、英語の例文を思い浮かべながら、真雪は質
問に答え始めた。

 うん、いい感じだな。
 数匹のペンギンが群れ泳いでいるラフスケッチが出来上がると、
全体のバランスに小さく頷いた。
 そういや、真雪。
 九割方意識の外に去っていた彼女の姿を探すと、後ろのベンチか
ら声が聞こえた。
「違うわよ、そこは、had beenにしないと。うん、そう、そう……」
 真剣な表情で携帯を持つ姿が木陰のベンチにあった。
 圭吾はスケッチブックを畳むと、ペンギンの柵を背中に、しばら
くその場で真雪の様子を見つめていた。
 デート中に、こうやって携帯で話しているのは今が初めてではな
かった。でも、不思議と憤りを感じたりはしない。
 女子の間でも、時間を問わずに相談に応じてくれる真雪が、学期
初めの印象とは違った受け入れられ方をしているのを、圭吾は気付
いていた。
「ゴメン。長くなっちゃった」
 立ちあがって歩み寄ってくる真雪。圭吾は、腕を組んでわざと少
し顎をそびやかして言った。
「完全、時間外労働じゃん」
 視線を逸らすと、携帯を両の手で包み込むようにした。
「……電源切っとくね」
「いいよ」
 近づくと、手を握った。
「俺、全然嫌じゃないし。って言うか、真剣に先生してる真雪、カ
ッコイイとおもうから」
 目を見つめると、恥じらいとも困惑ともつかない表情が浮かび、
握られた手が引っ込もうとする。でも、そのまま手を離さずに次の
ゾーンへと歩き始めた。
 最近時折、真雪が何とも取り留めのない表情を浮かべるのに気付
いていた。
 そんな時、胸がわけもなく高鳴ると同時に、どうしていいのかわ
からなくなる自分を感じてもいた。
 今こうして、可愛い表情を浮かべる女の子と、教壇に立つ凛々し
いイメージ。
 ……もちっと、しっかりできねぇかな、俺。
 黙って手を握り締めると、真雪の手が握り返してくる。うつむい
たショートボブの旋毛が見えて、切ない気分が湧き上がってくる。
 しかし、その気持ちをどう扱っていいのか、圭吾にはわからなか
った。
 あらかた園内を廻り終わって、出口のゲートをくぐった時、真雪
は圭吾から少し離れた場所で立ち止まった。
「ね、圭吾」
「ん?」
 うつむいて、定まらない視線を地面に這わせたまま、言った。
「わたしの事、好きだよね」
 薄いピンクのルージュの唇が紡いだ言葉は、確認すると言うより、
独り言のような雰囲気で、圭吾は一瞬答えに詰まってしまった。
 真雪、なんでそんな切羽詰った目で……。
 圭吾が口を開きかけたその時。
「……わあ、凄い数」
 顔を上げた真雪の眼前、園前の広場には無数のハトが、群れ飛ん
では降りる動きを繰り返していた。
 圭吾は問いにならぬ言葉に応じるきっかけを見失って、所在無く
辺りを見廻した。
 『ハトのエサ200円』、と看板の掲げられた売店が見えた。
「エサ、やる?」
 既に何事かを期待して集まり始めたハトを足元に、真雪は圭吾の
呼びかけに振り向いた。そして、無言の頷き。
 全力で走って、カップに入ったエサを二つ、手に持って戻った。
その様子だけで、次々に空から、隣の公園から飛び降りてくるハト
の群れ。
「こ、こりゃ凄いな」
 エサを地面に投げた瞬間、灰色と白の羽ばたきで目の前が覆われ
た。
「キャ!」
 真雪の姿が見えなくなって、小さな悲鳴が聞こえた。
「おい、だいじょぶ?」
 そして、更に飛び降りてくる翼のはためきと、大きな笑い声。
「も、もう。お前達、そんなに慌てなくても……」
 気がつくと、同じエサを持っているはずの自分の周りにはあまり
ハトが集まっていない。
 モノトーンの濃淡に囲まれているのは、パープルとホワイトに身
を包んだ真雪ばかりだった。
「ほら、これで最後!」
 手からエサが投げ放たれると、地面で啄ばむ数百匹と、渦巻きの
ように飛び立ち降りる羽の波に、飲み込まれる細い身体。
 そして、午後の太陽が輝きを返した瞬間、ほとんど全てのハトが
空中に舞い上がっていた。
 広がる青を見上げた真雪が、上空へと寄せる翼の流れに打ち揚げ
られて浮かんで行くように見えた。
 圭吾は、その眺めにしばらく言葉を失っていた。
 鮮烈な絵が、頭に焼き付き、真雪への愛しさと混じり合って心が
激しく動くのを止められなかった。
「圭吾……」
 肩の上から抱き締めた。胸の中で固くした真雪の身体が、やがて
ゆっくりと解れる。そして、細い腕が腰に廻された。
「好きだよ。真雪」
 目を閉じた真雪の息が、肩口に暖かい。そして、小さな頷き。
「うん」
 揺れ動くこの気持ちを、なんと表現していいのかわからなかった。
でも、ひとつだけわかっていること。掴めなくても、愛しくても、
心の奥から兆すこの気持ちは、真雪がいて
初めて感じるものだという事。
 圭吾の頭の中で、ハトの群れに包まれた真雪と、この所ずっと向
き合っていたもう一つの像が重なった。
 でも、明日はもう、学校がある。
「真雪、まだ時間ある?」
「うん、大丈夫。わたし、もう少し圭吾と一緒にいたい」
 確か、今日は夜まで誰も家にはいなかったはずだ。
「少し、付き合って欲しいことがあるんだ。いい?」
「うん」
 真雪は屈託なく頷いた。少し前までの儚げな様子は、今は姿を消
していた。

「うん、そのポーズでいいよ」
 両手を掲げて上を見上げると、カンバスに向かった圭吾は、短く
頷いた。
 初めて訪れた圭吾の自宅。教師としてならともかく、恋人として
圭吾の生活の場に入ることに、相当な緊張を覚えていた。
 もし、家族の方に会ったら、何と言い訳すればいいか。
 でも、それは杞憂だった。
 裕福だ、とは聞いていたものの、圭吾の家の大きさは予想以上だ
った。樹木と花々が植えられた庭から自宅の建物までは、歩いた、
と言えるほど長い石畳があった。そして、案内された『裏口』は、
普通の家の玄関以上の広さを持っていた。更に、圭吾の部屋のある
2階は、実際は圭吾専用と言えるフロアで、誰かが訪れていたとし
ても、さらに広い1階の部屋べやからは伺いようがない程、広大な
造りの邸宅だった。
「うーん」
 板張りのフロアの上、椅子に腰掛け、絵筆を持ったまま、圭吾は
低くうめいた。
 大きなカンバスに隠れて、目より上しか表情を覗うことができな
かったが、何かイメージを追って、真剣に考えを巡らせているのは
わかった。
 でも、こうして手を上げて固まっているだけでいいのかな……。
「ね、真雪」
 身体を傾けて顔をのぞかせた圭吾が、視線を僅かに逸らしてこち
らを見た。
「何?」
「……やっぱ、いいわ」
 再びカンバスの向こうに引っ込む姿に、ポーズを取るのをやめて、
歩み寄った。
「どうしたの?」
 モデルなんて初めての経験だった。でも、絵筆を持った圭吾は、
見知った姿とは違う、強い意志を思わせる集中ぶりで、できること
なら何でもしてあげたい、と真雪は感じていた。
「いや、さすがに、さ」
 絵筆を止めたカンバスを覗き込むと、清麗な青い風の中に、手を
広げて彼方を仰ぎ見る白い女性の裸身が踊っている。風の一筋一筋
は、光を纏った翼の連なりで表現されていて、斜め上方へ導かれ、
女性が飛び立とうとしている様にも見えた。
 綺麗、すごく……。
 絵を見て、胸を突かれる感覚を覚えるなんて、初めてのことだっ
た。
 こんな絵が描けるんだ。いったいこの子の何処に、こんな力が隠
されているんだろう。
 締め付けられるような息苦しさが身体を縛り付けて、真雪は息を
吐いた。不安に近いような動悸が始まって、どうしていいのかわか
らなくなる。
 気持ちを落ち着けようとして、カンバスをさらに覗き込むと、腕
の辺りが、まだ乾ききらない絵の具で光っている。
 上半身ばかりでなく、中央に立つ裸の女性の姿は、何度も重ねて
塗り直されているのがわかった。
 あ、もしかして……。
 圭吾の口篭もり方を考えた時、何をして欲しいのかがわかったよ
うな気がした。
「……いいよ。圭吾」
 カンバスを見つめていた視線を真雪に向けると、圭吾は眉をひそ
めた。
「何を?」
「だって、この絵、わたしがモデルでしょ? わたしより、ずっと
綺麗だけど……」
「そんなことないさ。もともと、真雪に会って、初めて浮かんだ絵
だもの」
「うん。でも、これ、服着てないでしょう。……ね」
 圭吾は無言で真雪の顔を見つめた。真っ直ぐに視線を合わせられ
るとそのまま瞳を覗き込んでいられない。
「いいのか?」
「……うん。だって、別に初めて見られるってわけでもないし」
 そのまま圭吾の傍を離れると、西側に切られた大きな窓を見た。
紅い陽光が差し込み始めた夕暮れの住宅街は、屋根と所々の緑が見
えるばかりで、この部屋を見つめる者がいるとは思えなかった。
「カーテン、閉めない方がいい?」
 圭吾は頷いた。
「もし、真雪が構わなければ。凄くいい光だと思う」
 熱い視線に見つめられたまま、Tシャツの裾に手をかけた時、と
んでもない事実を思い出して、頭の奥が沸騰しそうになった。
 でも、もう、嫌なんて言うわけにはいかない。
 真雪は素早くズボンとTシャツを脱ぎ落とした。
 その下から現れたのは、淡いピンクがレーシィなキャミソールと、
布地が極端に少なく、フリルが派手にあしらわれたライトパープル
のTバック型のアンダー。僅かな布地の向こうには、誘うような黒
い陰影が透けている。
 デートの後を考えて、セクシーになんて思うんじゃなかった。
 限りなく場違いな気がして、一気に下着を取り払うと、全裸にな
った。
 しかし、圭吾は一瞬視線を上方に向けただけで、真雪の方を真っ
直ぐ見つめると、淡々と言った。
「うん。さっきと同じ格好、いい?」
 頷くと、両手を上げて天井を仰ぎ見た。
 もう、わたしってば、ホントにピントがずれてるんだから……。
 頬が熱くなり、微かな風が何も纏っていない身体を触り流れて行
く。
「ごめん。もう少し、正面向いてくれる」
 言われるままに身体の角度を変えた。形よく上を向いたドーム型
の乳房、スレンダーな腰、直線的に伸びた足、そして、その間で楕
円の陰影を描く奥まった場所―全てが圭吾の目に触れている。
 心の所在がなくなるような恥ずかしさに覆われながらも、必死に
ポーズを続ける。
 しかし、数刻後。静寂に気付いて、響き続ける筆とカンバスが擦
れ合う音だけが耳に届き始めた時、意味のない羞恥心は、注ぎ照ら
す紅い陽光の中に溶け、姿を消していった。
 真雪は瞳だけを動かして、一心に筆を動かす圭吾の姿を捉えてい
た。
 その表情は微塵の紛れもなく、自らが描き出す色をひたすらに追
い続けていた。
 あんな真剣な顔、できるんだ……。
 再び胸を突く想いは、不安よりむしろ、抱き締めたいような愛し
さを強く呼び起こしているようで、真雪は穏かな充足感を感じなが
ら、ポーズを続けていた。
「よし」
 数分? それとも数十分経ったろうか。大きな声と息をついた圭
吾は、立ちあがると、パレットと筆を傍らに置いた。
「ありがとう、真雪」
「できた? 見せて、見せて」
 裸のまま近づこうとした真雪の肩を掴むと、圭吾は小さく舌を出
した。
「まだダメ。仕上げ、残ってんだ。完全に出来たら、真っ先に見せ
るから」
 そして、熱い手が突然腰のくびれを押さえると、唇が軽く合わさ
る。
「……な、圭吾」
 不意打ちのキスに目を瞬かせると、圭吾は大きな笑いを口元に作
った。
「このまま、する?」
 ……え、え。
 さっきまでの静かな雰囲気との一変ぶりに、ドギマギしている自
分。
 耳元に寄せられた唇が囁く。
「真雪、あんなインナー付けてんだもん。それ、しかないよな」
「もう」
 少し意地悪い調子の圭吾に、心臓が大きく動くのを感じて。でも、
見つめた瞳は、穏やかで優しい色を失っていない。
「……ここでも、いいよ」
 掠れた声で言うと、首に手を廻して、唇を合わせた。はだけた胸
元から汗の香りが鼻をついて、それだけで身体の奥が熱くなってい
く。
 そして、素早く衣服を脱ぎ捨てた圭吾の引き締まった身体。真雪
は、躊躇なく唇を這わせていった。
 デートの時からずっと続いていた気持ちの揺れは、引き絞られた
弓のように、愛欲へと熱量を解き放っていく。
「そのままで、いいよ」
 所在なく立ったままの圭吾の身体の中央で自己主張する昂ぶり。
少し左に傾いて立ちあがった、張り詰めて輝く先端を見つめると、
ざわめきははっきりした官能の潮になって、心まで満たすのがわか
った。
 片手を添えると、ゆっくりと舌を這わせた。お腹にくっつくばか
りに怒張した逸物は、敏感な裏側のくびれを露わにしている。血管
の浮いた逞しい幹から、ゆっくりと舐め上げ、行き着いた先端で、
幾度も舌を往復させる。
 圭吾の手が、髪の毛を掻き分けてこめかみの辺りで動く。
 愛してあげたい。わたしで、気持ち良くなって欲しい……。
 自分は愛撫を受けることができないこの姿勢が、身体よりむしろ、
頭の何処かから発する溶けるような官能を呼び覚ます。
 口を大きく開けると、角度のついた上から差し込むように肉樹を
飲み込んだ。
「う…」
 圭吾の小さなうめき。
 そう、圭吾、感じて。
 心の中の声と共に、口を窄めて3分の2程も導き入れると、首を
捻るようにして刺激を強めた。開いた左手を、緊張を増しつつある
袋の下に添えると、柔らかく揉み上げる。
 少し浅く、そして深く。抽送の速度を上げると、圭吾の手が、髪
をかきむしるような動きに変わった。
 そして、舌に広がる、少し酸っぱいような味覚。
「……ま、ゆき、ダメだ。いっちゃうよ」
 頭に添えられた手は、真雪の口の動きを阻もうとするようにも感
じられた。
 ダメ。圭吾。感じて、わたしで……。
 頭の芯が痺れてくる。
 真雪は、両手を圭吾の腰に廻すと、口だけで激しい抽送を始めた。
喉の奥近くまで肉樹を押し入れると、舌を動かして更に快感を高め
る。
 唾液が潤滑する音が響き、それが一層官能を導き入れて……。
 あ、おっきくなっ……。
 口の中で太さを増した圭吾のシンボルが、激しく弾けようとした
瞬間、真雪は喉を大きく開いて更に奥まで受け入れた。
 喉の中に、脈動を繰り返しながら間欠的に噴き出す精。目を閉じ
て嚥下した瞬間、小さな震えが身体を過ぎて行った。
 舐め取るように、ゆっくりと唇を離した。
 大きく息を吐いた圭吾が、膝を付いて真雪の頭を抱き締める。暫
く、細かく震える息だけが、二人の間にあった。
 そして、肩が押されると、冷たい床の上に仰向けにさせられた。
「冷たくない? 俺の部屋からシーツでも持ってこようか。どうせ、
スキンも持ってこないと……」
「ううん、大丈夫」
 そして、両手を広げて圭吾の目を見つめた。
「今日、心配しなくていいから。昨日、生理終わったばっかりだか
ら……」
 最初からそのつもりだった。それに、今、圭吾が傍からいなくな
るのが嫌だった。この濃密な空気が解けたら、どんな気分が待って
いるのか想像できない。
 淀みのない瞳の色を浮かべて、圭吾の顔が近づく。そして、もう
すっかり潤った泉の中心に、熱い充足感が満ちた。
「あ…」
 それだけで、軽い絶頂が背中から首筋に走る。圭吾の手が、腰を
捉えて自らの分身をゆっくりと引き戻した。
 知らぬうちに頬にかかった髪が掻き分けられると、再び視線が絡
んだ。
 胸に溢れていく気持ち。どうして、どうして、悲しいような感じ
がするの。
「好き。圭吾。誰より、好き」
 頬を伝う涙は、流そうと思って落ちたものではなかった。
「真雪……」
「大丈夫。大丈夫だから、思いっ切り抱いて!」
 足が押し広げられると、激しい律動が膣の奥を抉る。
 何もかも忘れさせて欲しかった。この掴み所のない曇った気持ち
を、消し去って欲しい。
 人形のように裏返されると、腰だけを上げた態勢で更に激しく貫
かれる。背後から掴み上げられた乳房に、痺れに似た官能が湧き上
がる。
 そして、立ち上がらされて、壁に手をつくと、そのまま挿入のス
ピードは上がっていく。
 足の間に入り込んできた指が、充血し始めた核を捉えた。
「あ、圭吾!」
 取られた片手に指が絡む。角度が僅かに変わると、張り詰めた横
の壁に、律動が行き当たり、目の前まで迫った官能の大波が、心体
を全部さらっていこうとしぶきを上げて。
「真雪、いいぞ。感じな、感じろ!」
「うあ、う、ヤダ、いっちゃう、ヤダ……」
 大きな鐘の音が頭の奥で響き渡る。声を限りに叫ぶと、中の壁が
自分の意志とは関係なしに震え、意識が一瞬、何処かへ消え去った。
 気持ち、イイ……。
「う」
 小さく呟いた圭吾が、昂まりを抜き取るのがおぼろげにわかった。
そして、背中にかかる生暖かい感触。
 そのままずるずると床に崩れると、フローリングの上は、零れ落
ちた汗で冷たかった。
 荒い息を吐いて、目を閉じる。圭吾も傍らで大の字になった。
「……連続でしちゃったよ」
 そして、少し物思わしげな様子で真雪の方へ顔を向けた。
「わざわざ、外に出さなくてもよかったのに」
 滓のように残る曇った気持ちとは関係のない台詞を呟いていた。
「いいんだ。もしも、ってこともあるだろ。それより、真雪、大丈
夫か? どっか、痛かった? 喉にでも詰まったか?」
 そして、悪戯っぽく笑った。真雪も、つられて軽く笑う。
 なんて優しい人だろう。でも、今のわたしには、この人への気持
ちをどう扱っていいのかわからない。
 官能が高まった一瞬ですら、ずっと陰り続けている曖昧な想いを
完全にかき消すことはできなかった。
 そして、タオルを取りに自分の部屋へと出て行った圭吾を待ちな
がら、冷たい床に身体を横たえていた。
 これでいいのだろうか。
 教師と生徒。
 絵を描く、真剣な瞳。
 出会い。
 恋したいわたし。
 誰より優しい、あの人の未来。
 ……わたし、いったい何を求めて圭吾と付き合ってるんだろう。
どうして、こんなに怖いんだろう。何を恐れてるんだろう。インモ
ラルなことをしてるから? いつかすれ違ってくことが怖いから?
 ううん、違う。そんなことじゃない。
 真雪は身体を起こした。何かが胸の内で形を取りつつあった。
 違う。わたしは、わたしを怖がってる?
 わたしが思っていた恋を超えて………。
 その時、部屋の隅に置かれたポーチの中で、携帯がバイブレーシ
ョンする振動が聞こえ、それが収まった後で、メールの着信音がし
た。
 誰だろう。あ、もうこんな時間。帰らないと、圭吾の家族と会っ
ちゃうな……。
 四つんばいになってポーチに近づくと、携帯のディスプレイを見
た。
 番号非通知。メールは……。
 一瞬、携帯を持つ手が凍りつき、視野が急速に狭くなる錯覚が襲
った。
 こうなる事、予想していなかったわけじゃない。でも……。
 『センセイ、見たよ。生徒と淫行、いいのかな〜。学校に、チク
ッといっちゃうからね』
「ごめん、真雪、タオル見あたらなくてさ」
 バタンとドアが開くと、ロングの青いTシャツを羽織った圭吾が、
大きなタオルを手に立っていた。
 真雪は唇を噛み締めると、圭吾に向けて上目遣いに目を細め、眉
を寄せた。
 発すべき言葉が見当たらなかった。

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