番外編 一葉、真夏のモノローグ

 あいつを見かけたのは、繁華街のはずれの陸橋を渡っている時だ
った。
 赤いシャツと短いデニムのスカートを履いた髪の長い女の肩を抱
いて、中心街へと歩いていく背の高い姿。遠くからでも見間違いよ
うがなかった。
 何かを話しながら笑っている大げさな身振り。
 今さらどうでもいいオトコのはず。でも、脳裏に焼き付いたその
姿が離れない。
 家に帰ってからも、なんとなくあの頃の事を思い返していた。
 窓の外は、青々とした空に、白い雲。夏の盛りの風が、部屋に吹
き込んできていた。
 『俺達、気楽なカンケイだよな』
 不意に蘇るあいつの言葉。
 確かにあの日も、いつものようにラブホで抱き合っていたっけ。
「俺の、うまいだろ?」
 跪いて見慣れた逸物に手をそえると、上目遣いに表情を確かめな
がら、喉の奥まで導き入れて。そのまま捻るように首を動かすと、
伸ばされた手が髪の毛を梳き上げ、耳元を擽られていた。
 一回り大きさを増したソレと、首筋を這い回る指の感触だけで、
腰の奥が溶け出していくのがわかった。
「欲しいか、一葉。もうビショビショだろ、お前」
「うん、欲しいよ。頂戴、大っきいの……」
 飛びきり淫乱になった自分を思い浮かべながら、四つん這いに突
き出したあそこを片手で広げた。
 そして、乱入してくる容赦のない暴君……。
 ……何を思い出してるかな、わたしも。でも、いつもそんな調子
だった。あの頃は。
 オヤジやオフクロの適当さに辟易して、考えてみりゃ、八方破れ
になってたのかもしれない。でも、浮世離れした妹と弟の面倒まで
見て、17才、盛りの女子高生がストレス溜めるなっても無理だと
は思うが。
 だから、あいつといると全てが適当で楽しかった。
「ほんと、いいセックスフレンドだな、わたしら」
「おう、身体の相性バッチシだかんな。ほんと、おまえとは気楽で
いいわ」
「だろ? 愛だの恋だの、わたしを見てだの言わないしね」
「ホントホント。おい、まだ時間あるぜ、もうちっとヤッてくか?」
「たく、お前って、ほんと底なし。腎虚になっても知らんよ」
 茶目っ気一杯の、でもどこかすかした表情。ホントに、適当な奴。
でも、それがわたしには心地良かった。細々とした面倒な事―家事
やオヤジから受け取った金の管理、中学3年になってもサッカーに
しか興味を示さない弟、最近帰りが遅くなった双子の妹、そして…
…。頭から離れない全ての雑事が、横においておけばどうにかなる
ような気がしてた。
 だから、あの日の夜、二葉から聞いた言葉が信じられなかったの
かもしれない。
『今は内緒』
 帰りが遅い事をそれとなく聞く度、秘密めいて瞳を逸らす様子に、
この一月、何が進行しているのかおおよそわかっていた。
 どこでどう分かれたものか、夢と幻想の世界に浸りきりの妹にも、
春が来たらしい。伊達に17年、自分と瓜二つの存在を脇にしてき
た訳じゃない。オトコの影くらい、何も口にしなくても直ぐにわか
っていた。
「ね、一葉」
 明らかに妖しげなろれつの回り具合だった。
 誰だ、こいつに酒なんか飲ませた奴は。まったく、ロクな男じゃ
ないらしい、そんな事を考えていた。
 深夜0時過ぎ、いい加減寝ようかと思っていた矢先に帰ってきた
二葉は、長い髪にシャンプーの匂いをさせていた。
「ね、話してもいい? 今日ね……」
 自分で言い出しておいてからに、口篭って下を向く、長い髪の中
の顔。わたしと同じ、丸い目と少し上がった眦。
「今日ね……」
 居間のソファーで向かい合ったまま、言葉を止めた妹。自然にた
め息混じりになって、口を開いていた。
「はいはい、どうだった? なかなかいいもんだろ? オトコと抱
き合うのも」
「……一葉! もう」
 少しだけ睨みつける二葉。でも、真剣に怒ってはいないように見
えた。
「なんでそういう言い方しかできないかな。……それは、付き合っ
ている人、いるよ。一葉の推測通り。でも、大木戸さんとわたしは、
想い合ってるんだから。ようやく、最近わかってきたんだ。身体の
方も……」
 名前より先は、よく聞こえなかった。そうはあるはずのない苗字。
「二葉、ちょっと待って。今、大木戸って言ったか?」
「……うん。どうしたのよ、一葉……」
 次の日、呼び出したファミレスで。テーブルを挟んで向かい合っ
たあいつは、あっさりと事実を認めた。
『ナンパしてみて、びっくりさ。ホントに瓜ふたつじゃん。でも、
中身は全然違うだろ。おまえと同じ姿でさ、純でLOVELOVE。俺色に
染めるのもゾクゾクするかなってさ。おまえもそう思わんか?』
 その場で殴り倒してた。
 でも、わたしの適当とあいつの放縦はそんなに差があったのか。
今思うとそんな気もする。
「ニ葉、あいつだけはやめとけ」
 そして、正直に告げた時の二葉の取り乱し方は、今思い出しても
本当に可哀相なくらいだった。
「どうしてよ! 結局、一葉のせいじゃない!! 自分ばっか要領
良くやって。いつもそうだ。わたしの事、心の底ではバカにしてる
でしょう。同じ遺伝子持ってても、あいつはダメで、わたしはこん
なに上手くやってるって!」
 どうしようもなかった。謝ってどうにもなるものでもないし、こ
んなに傷付いて混乱した妹を、どうにかしてやりたい、それしか頭
になかった。
 結局、わたしの適当さが二葉を苦しめて、真も大人にしない。わ
たしは、弟や妹よりずっと強く、先を見ることができるのだから。
それならば、二人を守るのがわたしの役目……。
 だから、自然に愛撫していた。わたしと同じ身体を。
「か、一葉……。やめて……」
「いいだろ、身体でわかりかけてたなら、わたしが教えてあげる」
「あ、だめだって……」
 一ヶ月くらいだったかな、何度も身体を重ね合ってたのは……。
 相変わらず窓の外は、夏の盛りにしては涼しげな青空。こうやっ
て部屋の中でぼんやりしてるのが勿体無いくらい。
 ……まったく、久しぶりに思い出しちゃったな。あんな場所であ
いつの姿を見たせいだ。
 階段を上ってくる音が唐突に響いてきた。
 ああ、三時か。さて、どんな調子だったかな、二葉の奴。
「帰ったよ〜。一葉」
 ピンクのタンクトップにシックなシルバーのパンツ姿が、部屋の
入り口に立っていた。明るい表情がベリーショートの髪に思いっき
りマッチしてる。
「お、首尾は上々みたいだな。いい奴だったか?」
「うん」
 二葉はにっこりと笑った。ほんと、真との一件以来、完全に吹っ
切れたよな、こいつも。
「コンパの時はどうかな、って思ったけど、いい人。話してるだけ
でわかるよ。今度は変な幻想なし、だしね」
 ウィンクしてみせた妹を見ていると、笑いが少し掠れてしまう。
「そうだな。ほんと、いい感じじゃんか、二葉。引きずるかと思っ
てたりしたんだけどな」
「そんなこと、あるわけないじゃん」
 踵を返しかけた二葉が、少し眉を潜めてこちらを向き直す。
「……一葉、何かあったの? 足の具合、良くなかった?」
「い、いや。大丈夫さ。何もない」
 1,2歩こちらへ近づいてくると、唇を結んで正面から見据えら
れた。
「嘘だ。隠してもわかるよ、一葉。さ、正直に話して」
「何もないって」
「ダメ。すぐにそうやって無理するんだから」
 ふぅ。こうなったら、こいつは引かんからな。
「……病院の帰りにさ、珍しい奴を見ただけだよ。おまえにも、あ
んまり気分の良くない話」
 暫く間があった後、二葉は口に手を当てて頷いた。
「珍しいって、彼?」
 椅子に腰掛けたまま、小さく頷いた。
「なんか、ケバイ女と歩いててさ。ま、あいつらしいけどね」
「そう……。それで、一葉、ちょっとブルーになってるんだ」
「ブルーになんかなってないさ。足は順調みたいだしさ、復帰も間
近だろ。気分がいいくらいだよ、まったく。たださ、思い掛けなか
ったからね」
「ううん」
 ベッドに腰掛けると、綺麗に分けられた髪の下で、じっと見上げ
る二葉の瞳。どうにも気恥ずかしくなって、視線を逸らしてしまう。
「わかってるよ、一葉。わたし、マコくんとのことがあってから、
大木戸さんとのことも考えたんだ。……やっぱり、どっかで引っか
かってたから」
 どこにも滞りのない、真摯な声の響きだった。二葉のそんな態度
は、初めて見る気がした。
「でも、思い出しても全然痛くなかった。きっとホントは、大した
事じゃなかったから。けれど、一葉にとっては違うでしょ。あの時、
わたしの方が助けてもらったけど、考えてみてわかったことがある
の。あの事で、彼と別れて、わたしを守って、一葉は何を得たんだ
ろう、って。ね?」
 わたしは首を振った。何を言うんだろ、この子は。大体、あいつ
はくだらない奴。
「何言ってんだよ、二葉。得るも何も、あそこまでしょうがない奴
だと思ってなかったし、わたしも遊びだったんだから」
 立ちあがった二葉が、Tシャツの肩に手をかけた。
「嘘。無理しないで、お姉ちゃん」
「ち、違うよ……」
『俺達、気楽なカンケイだよな。寄っ掛かるくらいなら、テキトウ
でさ、気持ちよくなれれば、それでハッピーだろ』
 頬から落ちた雫。
 何で、涙なんか……。
 細い指が掬い取ってくれていた。
 そして、今日街で見た姿が目蓋の裏をよぎった。女を隣に、大げ
さな身振りで笑っていた、面長で髪の長い、笑ったような細い目の
……。
 二葉の、言う通りだ。ずっと、胸の内にあいつは住んでた。でも、
もう……。
 柔らかいものが、唇に当たった。
「も、忘れよ。今日は、わたしが感じさせてあげる」
「ふ、二葉……」
 妹の声は優しかった。声の響きだけで身体の力が抜けてしまう。
「いつかの、お・か・え・し。感じてね、一葉」
 ベッドに横にされても、抗おうという気は起きなかった。今日は
甘えちゃおうか、わたしらしくない気分に落ちてしまったのは、あ
まりにもツボを得た愛撫のせい?
 合わさった唇と唇の間で、忍び込んでくる柔らかい舌先。縦横無
尽に口腔の中を這い回ると、もう、それだけで。
「うわ、一葉、こんなになっちゃって……」
 全裸になった下腹部を辿り下りた生暖かい感触が、足の間を捉え
た時、足先までが突っ張るような戦慄が身体を捉えた。
 花びらをかき分けて忍び込んできた舌が、クネクネと入り口の辺
りで動いている。我慢ができなくて腰を浮かせると、大きく開かれ
た唇が全体を吸い込むようにする。
 唇の端に触れた敏感な場所が、切なくて、頭に霞みがかかってく
る。
「気持ちいい? お姉ちゃん」
「う、うん……」
 今度は指がゆっくりと中へと入り込んでくると、自然にもっと腰
を浮かしてしまう。
 ダメだ、最近、ずっとしてなかったから……。
 もう一本、指が入ってくるのがわかった。
「う、あぁ」
 喉の奥から潰れたような声が漏れて止まらない。そして、泉の下
の細い道を通って、更に奥まった場所に別の指が触れて。
「こっちも、好きだったよね」
 や、ヤダ、だめ。
 溢れ出た滑らかな雫を得た指が、皺を解すような動きをした後、
僅かに奥へと侵入してきた。
「だ、ダメ、二葉……」
「そう? 全然ダメじゃないみたいだよ」
 ア!
 一気に関門を抜けた指先が、後ろからお尻の奥底を抉った。前に
入れられた指が押しつけられて、ぐりぐりと間の壁が捩られた。わ
たしの、一番弱い責められ方。この子に知られちゃってるのは、し
ょうがないけど、今日は何か、特に……。
 唇が、突端を捉えた。そして、強く吸い上げられた。クチュクチ
ュと響いてくる出入りする音。差し込まれた指が別々の動きをして、
もっと奥へと入り込んでくる。
 い、イきそう……。
 膣の入り口がひくつき始めているのが自分でもわかった。その瞬
間、二葉の手と唇が止まった。
「あ……も、もっと……」
「もうちょっとだね。どうする? 感じたい?」
「うん……」
「じゃ、感じさせてあげる……」
 密やかな声で言った瞬間、指と口が激しく動き始めて、もう全然
追えなくなった。かき混ぜる指、吸い上げる唇、どんどん、腰がせ
り上がって……。
 ダメ、止まらない。感じる……。
「うぅ!」
 全身を襲った激しい痺れ。身体中を満たすオーガズムの潮。その
間ずっと、愛撫を止めない指と唇。
「ふふ、気持ち良かった?」
 満ちた潮が引いていった後、下着姿の二葉はゆっくりと口の端を
拭った。
 全裸で横になっていると、何とも所在無く恥かしいような気がし
て、タオルケットを身体に巻きつけた。
「くそ〜、やられちゃったな」
「ふふふ」
 ベッドサイドに座って満足そうに見下ろしている視線。言葉にで
きない心地良さを感じる。
「お〜い、誰かいないの?」
「きゃ!」
 あ、この声は……。
 慌てて脱ぎ捨てたピンクのタンクトップを身に付ける二葉。わた
しも速攻でTシャツとホットパンツをはいた。
「カズ姉! 二葉姉さん!」
「は〜い、マコくん、お帰り」
 二葉は部屋を飛び出しかけると、振り返ってこちらを見た。
「大丈夫?」
 親指を立てた拳を前に突き出して、大きく頷く。
「わたしを誰だと思ってんの? さ、メシの支度、支度」
 もう、あいつの顔は思い浮かばなかった。階段を足早に下りて行
く妹の背中と、玄関先に見えてきた弟のでかい身体。
 何か、眩しくて、それでいて少しホッとするような。
 少し、ほんの少しだけ寂しいような気がしないわけじゃなかった
けれど。
 でも、すごく気分が良かった。きっと何もかも新しくなる……。





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