第3章 プラトニック・ラブ -June-

 あの日のことは今でも忘れられない。誰かを好きになる気持ちを教えてくれた夜だった。


 日曜日のこんな時間から出歩くのは久しぶりだった。
 朝、彼女と電話で話してから簡単に支度をして、駅に向かった。
 こういうのは、一応デートになるんだろうな。
 人気のない図書室の片隅に呼ばれて、偶然手に入ったと言う野球観戦のチケットを渡されたのは、一週間前のことだった。
 あの日以来、俺と彼女の距離は一気に縮まった。頻繁にかかってくる電話。同級生の目を避けるように時折肩を並べて帰るバス停までの道。
 俺にとって、その時々に話し、怒り、笑う彼女の表情全てが輝いて見えた。自然破壊と環境保護の話をする時には本当に許せない、という風に。歌やクラッシックの話題の時は、憧れと楽しさを浮かべて。スポーツ選手を語る時には、情熱を込めて。
 まるで万華鏡のように変わる表情に、いつも肯いて見つめたまま、言葉を継ぐのを忘れてしまう。
 そんな自分の視線に気付いた時、急に言葉を止めてうつむき加減になり、照れたようになる表情を見るたび、『大好きだ』と言われた言葉を思い出す。
 彼女を大事だと思う今の俺の気持ちは、その言葉に見合うものだろうか。
 寛史に言わせれば、『お前、考えすぎ』ってことになるのだろう。
 あの日、公園の場所を佐野と共に彼女に教えたのは寛史だった。考えてみれば、俺があそこにいるのを知ってるのはあいつしかいない。
『決めたんだろ?後は早く抱きしめてやれよ。』
 2日前に『ウジ虫』と言った同じ口で、奴は言った。まったく、勝手な男だ。
 もちろん、抱きしめたくないわけじゃなかった。
 並んで歩くと、思ったよりずっと華奢な肩。ポニーテールで後れ毛が見える白いうなじ。夏のセーラー服に変わってから、どうしても意識してしまう豊かな胸元。
 抱きしめて、自分のものにできたらどんなに嬉しいだろう。
 ただ、わからなかった。彼女の「大好き」という言葉に見合う感情を、俺自身が持っているのか。
 駅ビルの電光掲示板の雨のマークを後押しするような、どんよりと曇った空。梅雨入りしているのだから当たり前だが、せめて今日は、試合が終わるまで待って欲しかった。
 腕時計を見る。もうすぐ針は9時半を指そうとしていた。
「おーい、森島く〜ん。」
 左手のバスターミナルの方から張りのある声が聞こえた。
 あの日以来、久しぶりに見る私服姿だった。
 袖と首まわりが紫色の長袖Tシャツに、襟のついたベージュのベスト、ミドルのデニムスカート。ベストと同じベージュの紐付きブーツの足元が軽やかだった。
 着古したチェックのポロシャツにジーンズ姿の俺では、釣り合いがとれないくらい、目を引く姿。
「待った?」
 手に持ったピンク色のポーチを後ろ手に、少し中腰になって俺の方を覗き込む。自然にベストの下の膨らみが強調される形になって、目のやり場に困る。
「・・・いい感じ、なんじゃないかな。」
 え?と目が見開かれると、恥ずかしそうに笑う。
「もう、お世辞!でも、ありがと。」
 背中を軽く叩かれると、自分でらしくない発言に驚いていた。
「あれ?」
 彼女が手の平を上にかざす。俺の頬にも、ぽつりと滴が当るのを感じた。
「・・・降ってきたみたいだね。」
「うん。ひどく降らないといいんだけど・・・。」
 彼女は、不安そうに空を見上げた。
 降水確率80%か。こういう時に限って天気予報は外れないんだよな。


 球場前駅の繁華街にあるキッチンで食事をして外に出ると、やはり雨は本降りになっていた。持ってきた傘を互いにさして、一応球場の入り口まで歩いてきてはみた。
 でも、入り口の看板には、大きく「本日のプロ野球、西武対近鉄戦は降雨によるグラウンドコンディション悪化のため、中止になりました」の文字。
 しばらく無言で見つめていた彼女は、傘の中からこちらを見上げて言った。
「しょうがないよね、これじゃあ。」
 大降りというほどではなかったが、絶え間なく降り続ける雨は、タイル張りの路面に小さな音を立てていた。
「・・・どっか、行こうか?」
「ううん、いい。ご飯も食べたし、この雨じゃあ・・・。」
 仕方なく踵を返し、街路樹が並ぶ遊歩道に向かおうと歩き出したその時、野球場周り特有の強風が吹き付けた。
「あ!」
 彼女のさしていた小さな赤い傘が風に煽られ、激しい音を立ててひっくり返った。
「大丈夫か。」
 傘を所在なげに見る彼女。自分の傘をかざしながらひっくり返った傘を見ると、骨が二本折れてしまって使い物になりそうにない。
「これは、ダメだな。しょうがないや。」
 折れた傘を畳むと、愛想のない黒い傘を示して、
「さ、行こう。」
と当たり前の事を言った。
「ううん、いい。」
 彼女はなぜか首を横に振った。そして、俺の傘の下から、雨の降り落ちる中に身を置いて歩き出した。
「おい、おい。」
 冗談。そんな小降りの雨じゃない。駅まで行ったら、完全に濡れねずみになってしまう。
「雨に濡れていくのも、たまには悪くないよ。」
 既にベストの肩のあたりが雨で暗色に滲みはじめていた。
 それでも彼女は、微笑みながらこちらを向いて、明るく言った。
「ね、昔の歌でこういうの知ってる?Raindrops keep fallin' on my heads……」
 最初は呆気に取られたけれど、あまりに自然な感じに、傘を差し出すことができなくなってしまった。
 小さな声で口ずさむ彼女。こんな事をなぜするのか、理由を考える頭より、懐かしくて、それでいて新鮮な感覚が湧き上がってきて止められなくなる。
 人の姿がほとんど見えなくなり、大きな街路樹の立ち並ぶ辺りまで来ると、歌声は次第に大きくなった。
 温かさの溢れるメゾソプラノの声で、雨などそこにはないように感じるほどの大らかさだった。
 歌い終わると、流れ落ちる雨の滴に顔を濡らしたまま、彼女は笑った。
「ああ、気持ちよかった。でも、濡れちゃったね。」
 その瞬間、愛おしさが胸からこぼれ落ちて、俺は傘を放り投げていた。黒い傘は、タイル張りの路面に落ち、風に吹かれて何メートルか後方まで飛んでいく。
「森島、君。」
 肩を抱きしめていた。彼女は、身体を固くしたまま、まだ手を握り締めている。何も考えられなかった。ただ、こうしていたかった。
「・・・ヤダよ、わたし、本当の気持ちじゃなきゃ・・・。だって、わたしの気持ちの押し付けじゃ・・・・・」
 それ以上の言葉を唇で塞いだ。彼女の、亜矢の身体が一瞬、固く強ばって、その後で柔らかく受け止めていく。握られていた手が、俺の腰の辺りで組み合わされるのを感じた。
 ただ合わされていた唇は、息が苦しくなるのと同時に開かれ、舌が触れ合う。彼女の濡れた髪に手を回すと、さらに激しく唇を求めた。
「・・・好きだよ。亜矢。」
 腰を抱きしめたまま上半身を離すと、ただそれだけを言った。間違いのない本当の気持ちだとわかった。
 俺もずっと、2年前のあの時から、彼女を求め続けていたんだ。
「ふふ、武史君も、ずぶ濡れだね。」
 屈託なく彼女が笑う。
「それに、なんか映画みたい。雨の中で、こんなことしてるんだもの。・・・人に見られちゃったよね。」
「関係ないさ。見たい奴は見ればいいだろ。」
 俺はくすくすと笑った。身体は雨に打たれてどんどん濡れていくのに、気分は不思議なほど清々しかった。


 その後、どちらからともなくホテルの入り口をくぐっていた。
 そうすることが至極当然に思えた。それは亜矢も同じだと不思議に確信できた。
 シャワーを浴びる間も、気分はとても平静だった。
 身体を拭いて静かにシャワールームを出ると、黄色いライトに照らされて、肩から上だけを出した亜矢がこちらを見つめている。
 解いた髪の毛が白い枕の上に散って、いつもよりずっと落ち着いて見える。
 何も身につけないまま、彼女の両脇に手をつく。
 そして、ゆっくりとキスをした。
 最初は唇だけで、やがて深く。初めてのキスなのに、身体の何処かが憶えているかのように、深く交わりあっていく。
 手を波打った髪の毛に滑り込ませる。引き寄せると、舌を絡ませ合った。最初おずおずとしていた彼女の唇も、大きく開かれて俺の舌を引き入れようとする。
 やがて、首に回されていた細い手が、背中に下り、ゆっくりと愛撫を繰り返す。
 身体を覆ったシーツに手を掛けると、唇を離して彼女の瞳を覗き込んだ。
「いいよ。見て。わたしの身体・・・。武史君に見て欲しい。」
 意図を察した彼女の言葉の大胆さに、俺の昂まりが強く反応して立ち上がった。
 シーツを取り払って彼女の身体を見た。
 少しも隠すことなく、亜矢は微笑んでいた。
 なんて綺麗な、いや、美しい身体だろう。
 豊かなバストは、柔らかな稜線を描き、ゆっくりした呼吸とともに上下している。透き通るような白い肌は、腰の曲線から、張りのある太股へと続き、足の指の先に至るまで緩んだ所がどこにもなかった。そして、縦にくぼんだ愛らしいおへそから下った場所には、逆3角形の翳りが誘うように萌え出している。
 何も言わずに首筋に唇を這わせると、つんと上を向いたピンクの真珠のような乳首に手のひらをあてる。
 どうしたらいいかわからず、強く押し付けるように胸を揉むと、彼女の手が俺の手首を捉えて柔らかく導く。
 再び視線が絡むと、彼女の唇が動いた。
「ね、武史君のも見せて・・・。」
 肯いて身体を少し持ち上げると、首をすくめて下に視線を向けた。腰に回されていた手が、完全に頭をむき出しにした剛直に触れる。
 細い指の感触に、それだけで激しく反応した俺の分身は、おずおずと握られた亜矢の指の中で、更に昂まりを増してビクッと震える。
「ごめん、わたし、よくわからないから・・・。」
 言いながら、伸ばした手を上下に動かす。少し力が入りすぎた痛みと、初めて女性に触わられる快感が微妙に入り混じって切なくなる。
「いいよ、俺だって、初めてだから。」
 俺に快感を与えようと上下する彼女の手首を押さえると、またキスをした。今度はそれほど激しくない柔らかいキス。裸の胸と胸が合わさり、体温が伝わると、彼女の全身を愛してあげたくなって両手で細い体をかき抱いた。
 再び首筋から鎖骨、そして乳房のふもとまで唇を下らせると、固く張り出した乳首に舌を這わせた。
 ビクッと身体を震わせた彼女の口から、熱い吐息が吐き出された。
 少しでも感じさせてあげているのだろうか。
 雑誌の知識を思い浮かべながら、おそるおそる太股の外側に手を当て、そろそろと腰骨に沿って動かしていく。
 乳首に唇を這わせた俺の頭に、亜矢の手が静かに触れると、静かに足が広げられた。
 何もかもが自然で、不思議なほど緊張しない。
 導きにしたがって秘められた場所に指を当てると、湿り気が指先に伝わってくる。
 ・・・濡れてる。
 ただ、それ以上はどう指を動かしていいのかわからなかった。身体をもう一度離すと、亜矢は閉じていた目を薄く開ける。湿り気の中、快感の極を探して二本の指をさまよわせると、淡い草むらの生え際に少し固い核を見つけ出した。
 彼女が目で頷く。壊れ物を扱うように静かに撫でると、再び目が閉じられて眉根が寄った。
 痛いのか・・・?
 でもすぐに違うことはわかった。指の動きを早めると、顎が持ち上がって、唇が噛み締められた。
「・・・やだ。」
 小さな声が聞こえると、ビクッと亜矢の身体が震えて、身体全体が突っ張ったように思った。しばらくそのまま反応がなくなり、数秒後に静かな息が吐き出された。
「どうした?」
 彼女は、へへへ、と小さく笑うと、恥ずかしそうに言った。
「・・・なんか、ちょっと感じちゃった。嘘みたい。」
 そして、大きく息を吐くと、じっと俺の目を見つめた。どこまでも深く、優しい色だった。
「ね、来て。わたしの中に。武史君を感じたい。」
 もう限界近くまで立ち上がっていた昂まりは、彼女の太股に突き当たって自己主張を繰り返していた。
「ああ。」
 うなずくと、白い両足を抱え上げて、腰を前に進める。
 片手を当てて場所を探そうとするが、何処に合わせればいいのかわからなかった。
 けれど、亜矢が少しだけ腰を浮かして擦り付けるようにすると、ぬるっとした感じがして、先だけが温かさに包まれた。
 その瞬間、彼女の眉が苦しそうに寄せられた。俺の分身も、何か固いものに突き当たったようで、自然には先に進めそうになかった。
「っつ、いいよ、来て。大丈夫だから。」
 苦しそうに言うと、左手で俺の背中を、右手でシーツを握り締めて肯く。
 俺ももう、止まらなかった。突き入れたいという強い衝動が突然に頭の後ろを襲い、腰を前に進めた。
「うっ!」
 堪えきれないようなうめきと共に、背中に爪が立つのがわかった。何か、狭い通路をこじ開けるような圧力が剛直全体を押し包んだが、もう優しく進める事はできなかった。
 そして、半分以上没入すると、彼女がもう一度息を吐いた。
「大丈夫、動いて。思ったより、痛くないから。」
 その言葉が嘘だとすぐにわかった。でも、それでも堪えてくれる優しさに報いたい気持ちも重なり、腰を引き、前に突き出した。
 その度、彼女の表情は歪み、唇が噛み締められたが、もう俺は止まらなかった。
「亜矢、亜矢!」
 彼女の中で分身が激しく跳ね上がった。細い体を強く抱き締めると、俺は亜矢の中に精を放った。
 しばらく、何も考えられなかった。ただ身体を抱き締めて荒い息をつき続ける。
 痛みをこらえて背中を握り締めていた彼女の手が徐々に緩んでいく。俺は静かに身体を離すと、まだ固さの残る剛直を抜き出した。
 その瞬間、再び亜矢の眉根が寄った。
「大丈夫?」
 静かに聞くと、黙ったままうなずいた。そしてもう一度、大きな息を吐いた。
「・・・背中、血出ちゃったね。」
 指を当てると、たしかに皮が剥けて血が滲んでいるようだった。でも、亜矢の方はそれどころじゃない。
「俺なんて、どうでもいいよ。亜矢こそ、大丈夫か。」
「ふふ、大丈夫。ほんとに、思ったより痛くなかったから。」
 そして、軽く笑った。
「中で、しちゃったね。どうする?もしかするよ。」
 まったく焦りは感じなかった。気持ちは決まっていたから。
「・・・そうなったら、すぐに指輪をあげるよ。」
「ありがとう。」
 身体を起こすと、顔を寄せてくる。俺は、今持っている全ての気持ちを寄せ集めてキスをした。
「大好きだよ、武史君。何度でも言うから。大好き。大好き・・・」

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