第4章 Summer Days -July,August-

 終業式が終わり、昇降口の階段を下りて中庭に出ると、日差しがひどく眩しかった。
 跨った赤い自転車は、バス通しない時に使うどこにでもあるロードタイプの奴だった。野球部を辞める前に、10キロ以上ある家からの道のりで足腰の鍛練をするつもりで買ったものだ。
 亜矢は合唱部の打ち合わせがあるので、学校に残っていた。部活がある日は、先に帰ることがほとんどなのだけれど、本当はできるだけ一緒に帰りたかった。
 『大好き』。何度も繰り返して告げられた初めての夜から、それまでよりずっと強く気付かされたこと。どれくらい俺が彼女を必要としているか。彼女のためならば、どんなことでもしてあげたい。彼女を悲しませるものは全て取り除こう、そんな風にも思った。
 緑の木々が影を落とす通称『木の葉坂』を自転車で下っていくと、暑く湿った空気を切り裂く風が涼しかった。
 でも、そんな心地よさとは裏腹に脳裏に兆してしまう昨日の夜の記憶。
「母さんはいるか。」
 突然家の扉を叩いて現われたあいつは、どう考えてもかなりアルコールが入った様子だった。1年以上も会っていないのに、まるで昨日のような横柄な態度に胸くそが悪くなった。
「店だよ。わかってるだろ。」
 ぶっきらぼうに言うと、紛いようも無く俺に似た細い目を眼鏡の奥で見開いて言った。
「たく、あのアマが。相変わらず飲み屋通いかよ。」
 怒りが沸点に達するかと思ったが、こんな奴に怒る分だけ損だと考えて、なんとか気持ちを押さえた。
「・・・そういや、お前、野球辞めたんだったな。」
 いつの話をしてる、この野郎は。
「まったく、野球くらいしか取り柄がないんだからな、お前は。辞めてどうすんだよ。」
 あいつが口をきけたのはそこまでだった。
 それ以上は思い出したくもなかった。なんであんな奴の血が流れてなきゃならない。
 坂の終わりまで来て、商店街への角にある空き地に自転車を止めた。
 やっぱり、待っていよう。夏の練習の打ち合わせと言っても、1時間はかからないだろうし。夏休みになってしまえば、俺よりずっと忙しいはずの亜矢とは余り会えなくなるのは分かりきっていた。
 木陰になっている一角に自転車を止めて、空を見上げた。太い幹にとまった数匹のアブラゼミが、ジージーと泣き声を上げている。
 こんなに誰かを求めている事が不思議だった。同時に、不安でもあった。俺の存在そのものが、彼女に影を落とさないだろうか。
 あの日から何度か身体を合わせた。その時には、いつもかけがえのないものを感じた。でも、関係が深まるほどに不安も増していく。彼女の気持ちと自分の気持ちは同じ場所で繋がっているのだろうか。
 15分ほど経って、すっかり下校の人影が途絶えた頃に緑の枝の下を背筋をピンと伸ばして歩いてくる女生徒の姿が見えた。
 夏のセーラー服が、何度見ても眩しかった。高く結わえられたポニーテールには、前のデートで買ってあげたピンクの髪留めが添えられている。この間からずっと付けていてくれるのが嬉しかった。
「武史君。」
 こちらに気付いた彼女の丸い瞳が、少し驚いたように見開かれた。
「暑いね。」
 いつも最初は素っ気なくなってしまう。彼女の前で素直に振る舞うのは、何処かで気恥ずかしかった。そういう自分がもどかしくもあった。
「後ろ、乗ってきなよ。」
「・・・でも。」
 2人乗りなんかしていったら、きっと誰かに見られるだろう。でも、いちいち隠しているのはもう嫌だった。確かにうちの高校では男女交際は表向き禁止されている。けれど、付き合ってる奴がいないわけじゃなかった。
「いいよ。見たい奴には見せておけば。それとも、亜矢は困る?」
「ううん、そんなことない。」
 間髪入れずに彼女は答えた。パッとカバンを自転車の前カゴに放ると、勢いよく後ろの荷台に横座りをする。凄い元気のよさに、少しおかしくなって、同時にいとおしくなる。
「待っててくれたんだ。」
 自転車をこぎ始めると、サドルに掴まった彼女の声が背中から聞こえた。
「だって、夏休みに入ったら、毎日は会えないじゃないか。」
 俺らしくもない言葉だと思った。けれど、間違いのない気持ちだった。
 ゆっくり進むと、商店街の看板が見えてきた。真っ直ぐ行くと、このまま大通りに出る。こうやって亜矢を後ろに乗せて走っているだけで、心が広く解き放たれていくような気がした。
 一団になった付属のワイシャツとセーラー服の群れの横を通り過ぎる。え、っという感じで見合わせるいくつかの顔。
 それはそうだろう。亜矢は編入早々、中間試験で5教科軒並み上位に顔を出して、ちょっとした話題になっていたし、合唱部でも活躍しているのは3年のほとんどが知っていた。その彼女と、この2年間、全てにいい加減で通っていた俺との組み合わせだ。
 でもこれで、来学期から堂々としていられる。
『おまえら母子、誰のおかげでこの家に住んでいられると思ってるんだ。』
 突然、あいつの言葉が割り込んできた。
『お前ら、絶対に幸せにはなれん。そういう生まれなんだよ。あのアマも、お前も。』
 俺の拳で切れた口元を拭きながら、残していった捨てゼリフ。どうして、こんな時に思い出す。
 中学から高校に上がる頃に繰り返されたいくつかの場面が頭をよぎり始め、止まらなくなりそうになった。
 くっそ!
「掴まってろよ!」
 つまらない記憶を振り払いたくなって、スピードを上げる。亜矢を乗せたまま、車が並んで走る3車線の大通りに飛び出した。
「危ないよ!」
 彼女の少しおびえた声が後ろから響いた。
 あの時、俺には野球しかなかった。でも、今は。
「元野球部の足をなめるなって。」
 後ろからクラクションが響いた。振り向くと、サングラスをかけたやさ男の運転するフェアレディ。
 ・・・なめんな。
 車の波を縫うように、右にハンドルを切った。ここを右折すると、駅前の小路に出る。
「怖いよ!武史くん。」
 腰にしっかりと掴まった彼女の身体を感じながら、一気に小路へと滑り込んだ。ブレーキを効かせて急停車する。
「到着。」
 しばらく後ろの席で固まっていた亜矢が、腕を解いてゆっくりと荷台から降りた。
「もう、二人乗りでこんなことしたら、学校に報告行っちゃうよ。」
 形のいい山形の眉を寄せて、少し怒ったように言った。
「はは、それもいいんじゃない。」
 少しやけになって言葉を返した。彼女の眉が解けて、唇が心配そうに尖った。
「・・・なんか、あったの?」
 黒目がちな瞳が、覗き込むように俺の方を見つめた。気持ちを見抜かれた気がした。
「何が?」
 到底正直に言う気にはなれず、カゴからカバンと手提げを取ると、気楽な感じを装って彼女に手渡した。一瞬目を伏せて受け取ると、それ以上は何も言わずに彼女は歩き始めた。
 すぐに小さなブティックや宝石店、靴屋が並ぶモード街に出た。ここを過ぎると、亜矢の家の方へいく私電の駅があった。
「海、行けそう?」
「うん、なんとかお母さんから許可出そうだから。」
 歯切れの悪い感じで亜矢は口を開いた。
 夏休みに入ってすぐ、俺と亜矢、なし崩し的に知り合いになった美佳も含めて4人で海に行く計画を押し付けてきたのは寛史の奴だった。
「そっか。寛史にも言っちまったし、亜矢がだめだと、困っちゃうからなあ。で、俺たちと行くって言ったわけじゃないだろ?」
「まさかぁ。お父さんに知れたら、とんでもないことになるもの。」
「だよな。」
「夏休み、武史君は忙しい?」
 タイル張りの路面に視線を落としながら、訊く風でもなく彼女は呟いた。
「どうだろうな。亜矢と違って部活があるわけじゃないからね、ぶらぶらしてるんじゃないかな。」
「・・・受験勉強もしないといけないしね。」
 後ろ手に持ったカバンをぶらぶらと揺らす姿が、物憂げだった。
「そうだな。」
 相づちだけを打った。大学受験をするつもりがないことは、まだ亜矢には言っていなかった。進学率99%以上の高校で、受験しないことを告げるには、説明しなければならないことが多すぎた。それでも、すっかり俺と受験する気になっている亜矢から、時折こういう話が出るのは辛かった。
「ね、武史君は模試とか受けないの?わたし、全文社のやつは受けるんだけど、武史君も受けるなら、一緒に行かない?」
「・・・いや、夏の模試は受けないんだ。別に、受けてもしょうがないから。」
 こういう話が出ると、どうしても考えてしまう。東京に出て行くだろう亜矢と、もう一度別れなければならない日が来るのだろうか・・・。
「え?だって、一応判定とか見ておかないと・・・。」
 まだ自分の事を何も話していないもどかしさと、寂しさ・・・。亜矢は、俺にとってただ一人の女性なのに。
「今日、もう帰らないとだめ?」
 学校帰りに誘うのが我が侭だとはわかっていた。でも、止められない。
「・・・少しなら、大丈夫だと思う。」
 恥ずかしそうに目を伏せた彼女の肩が、やけに小さく見えた。


 亜矢の身体はいつ見ても綺麗だった。セーラー服が傍らで丁寧に畳まれたベッドの上で、俺は、彼女を抱き締めていた。
 静かに口づけて、柔らかに胸に手を当てる。
 彼女に入って行ったのは、それから程なくだった。
「好きだよ。感じてね、武史君。」
 ベッドライトの淡い光の中で彼女は俺の目を真っ直ぐに見つめて言った。
 剛直を包み込む彼女の中は温かくて、なにより心地よかった。柔らかい身体を抱いて緩やかに腰を動かすと、それだけで俺自身は独りでに昂まって、達しそうになる。
「いいよ、武史君。」
 足を腰の上で絡ませて、ぐっと自分に押し付ける亜矢。もう、最初の時の様な痛さは感じないと言っていた。
 動きを止めると、解いた彼女の頭を左手でかき抱いて、今度は少し激しいキスをした。舌を侵入させると、亜矢の口腔が開いて、舌先が戸惑うように俺の舌の裏側に触わる。
 当てていた右手の下で、柔らかい乳房が形を変える。少し突き出した乳首を転がすようにしながら揉み上げると、切なそうに眉根が寄った。
 舌の絡み合いは更に激しさを増して、亜矢の唇が俺の舌を吸い上げるようにする。頭の奥がビリビリとして、止めていた腰が、自然に動き出してしまう。
 出したい、亜矢の中に。何もかも忘れて達してしまいたい!
 目が合うと、亜矢の両手が俺の首に巻き付けられて、耳元で小さく囁いた。
「・・・気持ち良くなって。」
 少し憂いを帯びた言葉が更に刺激になって、腰の奥から一気に昂まりが押し寄せた。
「あ。」
 小さく亜矢のうめきが聞こえた瞬間、俺は一気に精を放出した。温かさに包まれたまま、剛直は長く脈動を続けている。身体を突き抜ける快感と、柔らかい身体を抱き締めている満ち足りた感覚。亜矢を抱かなければ決して知ることはなかっただろう。
 でも。
 身体を離して横になると、目を閉じて静かに息をしている亜矢の顔を見た。解かれた長い髪の中で、色の白い顔の稜線が、ため息をついているように見えた。
 亜矢は?言葉にしようとしてできなかった。愛撫をしようと身体に触れかけた何度か前のデートの時、「わたしも気持ち良かったから。」そう言って、優しく俺の手を遠ざけた彼女の気持ちが掴めなかった。
 普段の快活な様子が消えて、俺を受け入れてくれる様子がかえって胸に痛い。
「・・・好きだよ、武史君。」
 俺の視線に気付いた亜矢が、顔だけを横に向けて、大きな瞳で微笑んだ。
 ・・・俺は、しょうもねー野郎だ。
 心の中で声にした。彼女の想いに見合う男にならなければ、あのくそ野郎と大して変わらないじゃないか。
 それだけは絶対に嫌だった。


 亜矢と会う時間もないまま、一週間が過ぎた。毎日欠かさずかかってくるTELの他には声を聞く手段もなくて、特に何もすることのない俺には、夏の始まりは空虚なものだった。ただ、その日々の間に、朧げにわかってきたこともあった。
「おい、見ろよ、タケ。すげえぞ、あの女子大生。Tバックってのかぁ。」
 寛史が5mほど離れた場所に立てられたパラソルの下を指差した。
 どうやら相当なハイレグのビキニの様に見えたが、眺めている気にはならなかった。7月の海岸の日差しは眩しくて、波打ち際でビーチボールを追い掛ける、花柄の水着の姿が余計に輝いて見えたから。
 トロピカルフラワーがあしらわれた可愛らしいワンピース型の水着は、背が高くプロポーションのいい亜矢にはぴったりで、誰より魅力的に見えた。
「・・・ほんと、お前はすげえな。」
 ため息混じりに言う寛史の声に横を向くと、スポーツ刈りの下で、目尻の下がった目が俺の顔を見ていた。
「何が。」
「そこまで一人を決められるなんてさ。俺には到底無理。あの超ハイレグ見たら、お願いします、だもんな。」
「そんなんじゃない。」
 両肘をついてパラソルの上に広がる雲一つ無い空を見上げた。
「なんて言うのかな、大事にしたいと思うと、亜矢のことしか見えなくなるんだ。わざとそうしてるわけじゃない。」
「のろけにしかなってねえよ、それ。」
 普段から笑ったように見える口元が、一層からかうような風に歪められた。
「でもな・・・。」
 口にしかけて言葉を止めた。
「なんだよ。」
「いや、なんでもない。」
「たく。」
 寛史は身体を起こすと、俺の方を覗き込んだ。
「お前はいっつもそうだからさ。言いたいことがあるなら言えよ。」
 そうだな、こいつになら話してもいいか。
「・・・いやさ、大事にしたいと思っても、どうしたらいいのかわからない時があるってことだよ。彼女の気持ちが何処にあるのか、ってな。」
 一瞬考え込んだような顔をした後で、寛史は突然俺に頭突きを食らわした。
「馬鹿か。お前。」
「何だよ。」
 結構勢いのある一撃に、こめかみがズキズキした。
「お前の問題じゃんか。だいたい、考えすぎなんだよタケは。お互いに想ってんなら、後は突っ込むだけじゃねえのか。いちいちあーだこーだ考えたって、山藤ちゃんが苦しいだけだろ。絶対大事なら、そう言えばいいんだよ。そうすりゃ女は付いてくる、そういうもんだろ。」
 俺は軽く笑った。寛史らしい言い草だが、当っていると思う。
「そうだな。俺もそう思ってた。」
 けっ、という感じで再び隣の女子大生達の方を向いた。
「お前、ほんとやな奴だな。わかってんなら言うなよ。俺は長くダベるのは得意じゃないんだからな。だいたい、山藤ちゃんの趣味がわからん。こんな身体のデカさしか取り柄のない奴を・・・。」
 その時、2つの影がパラソルの下の俺達を覗き込んだ。
「トドか、あんたらは。」
 亜矢の隣に並んで、ショートカットに青いビキニが鮮烈な佐野美佳が、寛史の方を指差した。
「あ、寛史はラッコだな。森島がトドなら。」
「ひどいよ、美佳。」
 そして、俺の方に手を差し出した。今日はお団子にひっつめたうなじが眩しくて、動悸が早くなる。
「もう一回、ブイまで泳ごう。」
「・・・O.K。」
 身体を起こすと、羽織っていた青いパーカーを脱いだ。手を握って立ち上がると、満面の笑みを浮かべた亜矢の顔が近くになった。
「楽しい?」
「うん。」
 最近どこか物憂げに感じた顔が、今日はとても晴れやかに見えた。並んで海辺に向かって歩き始めた時、彼女は不意に身体を伸ばした。そして、頬の辺りに柔らかい唇の感触。
「あ、亜矢。」
 不意打ちに驚いて横を向くと、さっきより一段と、そして茶目っ気に満ちた瞳の色。
「マジか、あいつら。」
「やらしときなさいよ、ラブラブなんだから。」
 後ろから声がした。合わせた手が、キュッと強く握り締めてくる。少し間があって、亜矢は口を開いた。
「わたし、ちょっと考えすぎてたみたい。」
「え?」
 それは、俺の方だよ。口を開きかけた時、彼女はもう波打ち際へと走り始めていた。
「行こう!楽しまなきゃ!」
 海の中へ飛び込んでいく亜矢のしなやかな身体。俺もすぐに後を追うと、水平線に向けて泳ぎ出した。


 まる一日、ほんとうによく泳いだ。夏の海がこんなに楽しかったのは何年ぶりだろう。日が少し傾きかけた頃、バイクで引き上げる寛史と佐野さんを見送って、帰りのバスに乗った。
 そして、一番後ろの席に座って夕日を眺めていた時、耳元に寄せられた彼女の口が囁いた、思いがけないセリフ。
「わたし、武史君と愛し合いたい。」
 その時、亜矢の顔をまじまじと見つめてしまった。
 彼女の中で何が変わったのだろう。不思議なほど自信に満ちた表情に、驚くしかなかった。
 そして、今、裸でベッドの上に座って彼女を待っている。
 シャワーの音が止まると、薄い緑のバスタオルを身体に巻いた彼女が姿を現した。黙ったままゆっくりと近付いてくると、シーツの中に潜り込んでくる。
 唇が合わさった。そのままタオルを外すと、触れ合った身体がとても熱かった。今日は目一杯愛してあげよう、そう思って手の平を身体に這わせようとした瞬間、手首をそっと押さえられた。
「今日は、わたしにさせて。」
 同時に、彼女は自らシーツを取り払った。
「亜矢・・・。」
 再び思いもかけない態度に言葉を失っていると、亜矢は身体を入れ替えて俺の上になった。そして、自分から唇を合わせてくる。
 亜矢の唇の方が積極的に動き、舌がこちらに割り入ってくる。その大胆さに、俺のものは一瞬で勃ちあがって自己主張を始めた。暫く絡み合うようなキスが続いた後で、亜矢は唇を離して俺の下半身を覗き込む素振りを見せた。
 手をゆっくりと伸ばすと、5本の指で軽く握り締める。
 ・・・まさか。
 思った瞬間、彼女の身体が一気に下に滑り落ちていった。
 考えた事がないわけじゃなかった。でも、俺の足の間に顔を沈めて手を添えた彼女の姿を見た途端、剛直は跳ね上がるような反応を示してしまう。
「いいの?亜矢。」
 うん、とうなずいた様子を見た途端、それ以上は何処か恥ずかしくなって仰向けで天井を見上げた。
「力抜いててね。気持ち良くなって欲しいから。」
 瞬間、湿り気が先を捉えるのがわかった。舌のざらっとした感じが敏感な裏側に触れた瞬間、それだけで達してしまいそうになる。
 やがて、亜矢の頭が動き始めるのがわかった。温かさが幹の半分くらいまでやってきて、また引いていく。根元を握り締めた手が少し動いて、快感が余計に昂まっていく。
 このままじゃ、いっちまう。
 思った瞬間、更に亜矢の口の動きが早くなった。時々当る歯の痛みがかえって焦らすようで、もう我慢ができそうになかった。
「駄目だ、亜矢。出そうだよ。」
 天井を見上げたまま呟く。すると、俺の手に亜矢の左手が重なった。
 ・・・いいよ。
 根元から肉棒が暴発した。生暖かく包まれたままの状態で、精を解き放ってしまう。
 どれくらい官能の波が続いたろうか。コホッ、コホッとせき込み始めた亜矢の声で我に返った。
「大丈夫?」
 すばやくベッドサイドのティッシュを取って口を拭った亜矢は、軽く息を吐いた。
「うん。ちょっと飲んじゃった。」
 そして、照れたようにへへへ、と笑った。どこにも押し付ける所のない自然な表情に、強い気持ちが胸の奥から湧き上がってきた。
 今度は、亜矢を感じさせてやるんだ。
「亜矢。」
 小さく言うと、彼女の身体を仰向けに押し倒した。胸の頂きに軽く唇を触れると、おへそから下へとキスを繰り返していく。
 意図を察した亜矢は、太股を合わせて逃れようとしたが、俺はそれを許さなかった。かなり強引に膝を割ると、三角形に生え揃った若草の下へと唇を這わせていく。
「こんどは、俺の番。」
 柔らかい生え際から、急にピンク色に広がる粘膜の上で、小さな顔を覗かせている突起を見つけ出して、静かにキスをする。
「あっ。」
 顔を両手で覆ったままの亜矢が、小さな声で呟くのが聞こえた。
 クリトリスはとても敏感だから。どこかで聞いた話を思い浮かべながら、唇の先で根元の方を包み込む。そして、舌で真珠を丹念に舐め取るように・・・。
 より強く愛してあげたくて、細い腰を抱え込んだ時、手の平が今まで感じたことのない細かい震えを捉えた。
 そして、小さく堪えるようなうめき声。
 もしかして、亜矢、感じてる?
 とても大きな満足が兆して、嬉しかった。もっと強く、感じさせたい。もっと深く、愛したい。
 唇を離すと、力を抜いて横たわる彼女の腰に手を当てて、うつぶせになるように促した。嫌がる風もなく、胸をベッドに付けてお尻を上げる亜矢。お尻の小さなパーツまで露わになった秘所に近付いて、再び力を取り戻した剛直をあてがった。
「・・・武史君、恥ずかしいよ。」
 乱れた髪に隠れて、小さな声が聞こえた。でも、止まるつもりはなかった。俺だけが、亜矢を愛してあげられるんだ。
「入れるよ、亜矢。」
 何とか角度を調整すると、彼女の中に入った。それは、今まででは考えられないくらいあっけなかった。そして、滑らかに吸い込まれるように没入していく。
 亜矢の中、なんて熱いんだ。
 もう、ほとんど根元まで入り込んでいるのに、まったく痛がる素振りはなかった。それどころか、無意識の内にか、僅かに左右に振られた腰が、更に深く剛直を導き入れていく。
 堪えられなくなって抽送を始めた時、柔らかく包み込んだ壁がキュッと動いた様に感じた。枕の上に伏せられた亜矢の顔が、切なそうに歪む。
 また、亜矢の中が独自の動きをする。もう、間違いなかった。
 俺は、腰の動きを早めると、彼女の背中を持ち上げるようにして身体を密着させた。そして、下向きになっても形の崩れない豊かな乳房に手をあてて、少し強めに揉みしだく。
「あ、あ。」
 小さな声が漏れ、突然に剛直の周りがはっきりと蠢いた。
「た、けしくん!」
 細い声が響いて、入り口辺りが今までよりずっと強く締め付けるように収縮した。その瞬間、眉根を寄せ、首をすくめて官能を受け入れる様子がいとおしかった。
 そのまま、ベッドの上にうつ伏せに崩れて弛緩する彼女の身体から離れて、隣に仰向けになった。
「・・・亜矢、感じた?」
「うん。わかっちゃった?」
 組み合わせた手の上に顔を乗せて、満足そうに息をついた亜矢の目は、まだ少し宙をさまよっている感じに見えた。
「ちょっと、ビクビクッてしただろ、・・・その、中が。」
 少し気恥ずかしかった。でも、そんな俺の気持ちを打ち消すほど、明るい笑顔。
「うん。」
 とっても気持ち良かった。そんな風に彼女はうなずいた。
「よかった。俺も、亜矢に感じさせてあげたくてさ。勝手に俺ばっかり気持ち良くなってた気がしてたからさ。」
「やっぱり、気持ち良くなきゃだめだよね。お互いに。」
 上を向いた彼女の表情に、もしかしたら俺達は同じ事を考えていたのかもしれない、そう思った。
 今まで考えていた何もかもがくだらない事に思えた。お互いに受け入れ、考え、前へ進んでいこう。その気持ちがあれば、その他に何が必要なのだろう。
 もうその後は、何を話したか余り憶えていなかった。
 言葉はどうでもよかった。
 ただ、最後に交わしたキス。これからもこの女性の傍にいつまでもいたい。ずっと一緒に歩いていきたい・・・。
 その時気が付いた。
 俺は、ずっと立ち止まっていたんだ。野球を辞めたあの時から。いや、もしかすると、中学3年生の秋に亜矢が行ってしまったあの日から。
 決して忘れられないキスだった。その時も、それからもずっと・・・。

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