第四章 Memory

 このまま、ずるずると続けていっていいのだろうか。
 いいえ、それはわたしの気持ちのせいだ。確かに、先生と生徒。
本来なら許される関係ではないけれど、お互いの気持ちが繋がって
いるなら、恋愛にタブーはない。
 先週末、2度目に身体を会わせた時の事を、真雪はぼんやりと思
い出していた。
 ……あの時、確かに圭吾君の事を身近に感じた。
 激しく抱きしめられて、昂まりの震えを膣の奥に感じた時、本当
に満足だった。それは、恋と呼んでもいいような、愛しくて、痛い
ような感覚だった。
 でも、わからない。
 始まりが、あんな風だったから。
 そして、その顔を見つめる度、記憶が呼び覚まされてしまうから。
 金曜の今日、廊下で呼びとめた真雪に、圭吾は周りを確かめなが
ら囁いた。
「真雪先生。今日の夜、電話するから。待っててくれる?」
 そして、今、真雪はまんじりとしながら圭吾からの電話を待って
いた。
 どうしたらいいんだろう。ここまできたら、後戻りはできない気
もする。
 目を閉じて、ベッドに横になると、ペンギンのぬいぐるみを胸に
抱えた。
 でも、始まりがどんな風であれ、間違いのない事が一つだけあっ
た。こんな切ない気持ちになるのは、あの秋の日以来だと言う事。
そして、あの時も、今のように前にも後ろにも行けず、迷子のよう
に同じ場所を巡っていた……。
 あの日、陸上の練習の後、トラックを望むコンクリートの段々に
腰掛けて、呆然としたまま夕日を眺めていた坂中先輩。
 入部した時からずっと憧れだった。機会を見ては傍にいて、大会
の後の打ち上げでも、必ず近くの席に座っていて。
「真雪は可愛いなぁ」
 陽気に頭をくしゃくしゃっとやられる度、他の誰にも親しげには
しない先輩の特別な場所にいられる気がして、夢見心地だった。
 そう、あの子が現れるまでは。
 あの春の日から、先輩の隣には静音がいた。わたしの居場所はも
う、どこにもなかった。
 長い髪、淑やかな振る舞い、色白で儚げな容姿。
 明るさくらいしか取り柄のないわたしとは違い、あの子は何もか
もを持っていた。
 どれくらい羨んだろう。
 あの子がいなくなってしまえば……。
 真雪は、ベッドにうっぷした。
 なぜ、今ごろになってこんなに鮮明に思い出すのだろうか。もう、
5年も前の事なのに。
 でも、一度溢れ出した想いは止まらなかった。涙が一筋、頬を伝
って落ちる。
 いなくなってしまえば……。
 そして、静音は本当にいなくなってしまった。
 坂中先輩は全て知っていたんだ。そして、あの秋の日、彼女は先
輩の心の中で永遠になった。
 あの時、わたしは声をかける事ができたはずなのに。
 先輩の全てが欲しいなどと思わず、先輩の力になろうと思えたな
らば……。
 馬鹿だよね、わたしは。
 はっきりと心の中で声にしてみる。そして、身体を起こすと指先
で涙を拭った。
 こんなんじゃ、圭吾君にちゃんとした態度が取れるわけもない。
 圭吾の事を思い浮かべた瞬間、テーブルの上に置かれた携帯電話
が、メロウな着信メロディを奏でた。
『あ、先生。ごめん、電話、遅くなって』
「ううん、いいよ」
 声を聞くと、ホッとした。まだ11時。それでも、圭吾の気遣い
が嬉しかった。
『ねぇ、先生。明日、デートしよう』
「え!?」
 唐突な提案に、答える事ができなかった。
『見つかる心配なら、しなくていいから。ちょっといいアイデアが
あるんだ』
 普段よりずっと明るい圭吾の声。少し考えた後で、真雪は言った。
「……うん、いいよ。圭吾君。どこで会う?」
『場所は、原宿。あと、着て欲しい服があるんだ……』
 携帯の向こうの声は、少し面白がるように弾んで聞こえた。

 ど、どうしてこんな格好で……。
 たくさんの人が行き交う原宿駅の前で、真雪は膝に風を感じなが
ら立ち尽くしていた。
 駅で落ち合った圭吾が手渡した紙袋。デパートのトイレで開けて
みた時、その中身に目を疑ってしまった。
 セーラー服。それも、昔地元で着ていたものと瓜二つの、白が基
調の明るいデザインのものだった。
 からかって!
 少なからぬ怒りを感じてトイレを出ようとした時、紺ラインの入
ったスカートの下で、折りたたまれた紙に目がいった。
『先輩の言う事は聞くように』
 間違いなく圭吾の字だった。どういうことかは推し量れなかった
が、ただからかわれているわけではないことはわかって、真雪はも
う一度セーラー服を袋から出した。
 ま、圭吾君に填められてみようかな。
 紙の隅に描かれたデフォルメされた自画像が面白くて、真雪は取
り敢えず圭吾の思惑に乗ってみることにした。
 それでも15分も待っていると、スニーカーに、剥き出しになっ
た足、見えそうになったお腹に少なからぬ恥ずかしさがもたげて来
ていた。
 確かに、誰も気付いていないみたいだけど……。
「おお〜い」
 何千という色の服で彩られた人波の中から声がした。右手の線路
沿いを、見慣れない服を着た圭吾が歩いてくる。
 う、ウソ……。
 普段の学ラン姿ではなかった。紺のブレザーにYシャツ、えんじ
のネクタイ、そして……。
「ごめん、髪染めるのに時間がかかっちゃってさ。どう?」
 真雪は、言葉を失っていた。普段の茶色のミディアムレイヤーは、
直毛に近い黒髪に変えられている。そして、ブレザータイプの制服。
 それは、あまりにも、あまりにも記憶の中の像と近すぎて。
「圭吾君、どういうこと? からかうつもりなら……」
 圭吾は、手の平で言葉を制すると、頭の先からつま先まで、真雪
の身体を眺め回した。
「うん、どっから見ても、現役バリバリ女子高生じゃん。やっぱ、
化粧を薄くするように言ったの、正解だったみたいだね」
「圭吾君!!」
 頷いて微笑む姿に、どう考えても馬鹿にされているようにしか思
えず睨み付けると、圭吾の手が、セーラー服のうなじにかかった。
「怒らない、真雪ちゃん。とにかく、今日は一日、俺に付き合って。
絶対、悪いようにはしないから」
 ハイトーンの声で、『真雪ちゃん』と言われた瞬間、わけもなく
頬が熱くなった。胸がドキドキして、見上げていた目を反射的に伏
せてしまう。
「あと、『圭吾君』は禁止。今日は、先輩って呼ばなきゃダメだか
らね。なんたって、俺は3年生、真雪ちゃんは2年生なんだから」
 言って、圭吾は真雪の肩を抱いた。そして、軽くこめかみにキス。
 その瞬間、心の中で何かが溶けていくのがわかった。うつむいた
後、頭を肩にもたれると、小さな声で言った。
「……どこに行くの?」
 圭吾は、軽く笑みを浮かべると、右手を指差した。
「まず、表参道を歩いて、お茶、かな。その後は、流れにまかせて」
 抑揚を押さえ、落ち着いた調子の声、そして自信に溢れた立ち振
る舞い。
 その姿が、記憶とオーバーラップする。
「うん、……先輩に任せる」
 さっきまでの怒りと戸惑いは、急速に消え失せていった。それど
ころか、セーラー服の下で、はちきれそうな鼓動を繰り返す心臓は、
まるで自分の言うことを聞かない。
 甘えて、みようかな……。
 優しく肩を抱きしめる圭吾に身体を預けると、ゆっくりと表参道
の方へと歩き出した。

 その一日は、夢のように過ぎた。表参道のオープンカフェでコー
ヒーを飲んで、人波に揉まれながら竹下通りでショッピング。それ
から電車に乗って、遊園地で思いっきり遊んだ。
 着ていたセーラー服も、いつの間にか違和感がなくなっていた。
むしろ、こうして『先輩』と並んで歩いているのが当たり前に思え
て、いつまでも今が続けばいいとさえ考えていた。
「観覧車、乗ろうよ。真雪ちゃん」
「うん、先輩」
 手を繋いで観覧車の扉をくぐる姿は、誰の目にも高校生のカップ
ルにしか見えない。
 向かい合わせに座ると、膝と膝が軽く当たった。じっと自分の顔
を見つめている視線。夕方の風に揺られながら、ゆっくりと上がっ
ていくゴンドラ。赤みを帯びつつある地平線に浮かび上がる、立ち
並んだ家々。
 綺麗だな……。こんな風に街を眺めたのは本当に久しぶり。それ
に、気持ちが凄く楽になってく。
 僅かに開いた窓から、穏かな風が吹き込み、短く切られた黒髪を
揺らす。
 顔にかかった髪を手で払った瞬間、フローラルの香りがすぐ傍に
あった。
 もうすぐ、一番高い場所。
 真雪は、目を閉じて顎を上げた。
 そして、唇に柔らかく、湿った感触が押し付けられた。
 ゴトン、ゴトン。
 ゴンドラの音と、遊園地からの人のざわめきが小さく聞こえる。
 肩に回された手は、とても優しい。
 そのままずっと、唇を合わせ続けていた。そして、地上が近づき、
ようやく身体を離した細い瞳を見つめた時、自然に身体を委ねてい
た。
 抱いて、先輩。
 心の中で呟いた声は、そのまま淡い光に包まれたベッドの上へと
繋がっていた。
 優しいキスは、激しさを増すことなく軽く啄ばんで。
 セーラー服のホックを外す指に、そして、ブルーの下着だけで横
になった姿を見られていることに、身体中が火照る恥ずかしさを感
じて。
 そして、ブラが外され、レースの入ったショーツに手が忍び込ん
だ時、夢中で裸の肩を抱きしめていた。
「入れるよ、真雪」
「……うん、来て」
 触らなくてもわかるほどに潤った扉の中に、肉樹を迎え入れた時、
真雪は小さな喘ぎ声を漏らした。

 指先が草むらの下の泉を捉えた時、その秘められた場所は、驚く
ほど豊かに溢れていた。
 こんなに感じてるんだ、真雪先生。
 今日一日の間、あれほどに心を預け、無邪気にはしゃいでいた姿
は、圭吾の予想を遥かに超えるものだった。
 そして今、腕の中で身体を熱くしているこの女性が、何より愛し
い。
 俺が愛してあげるから。
 向かい合って、足の間に腰を進めた瞬間、生暖かい感触が昂まり
を柔らかく包み込む。
 ……なんて熱い。
 今までの交わりとはまったく違った、じんわりと締め付けるよう
な感覚。入れただけで、頂点を目指そうと動き出す官能を押さえて、
仰向けに見上げる瞳に視線を合わせた。
「好きだよ、真雪」
 見つめた先には、教壇に立った時の固い光は微塵もなかった。
「うん。わたしも好き。好きだよ、圭吾君」
 そして、今度は激しく、奪い合うようなキス。突き出された舌が、
唇の間で絡み合い、口腔の中へと侵入してくる。
 唇を合わせたまま腰をゆっくりと動かすと、頤が細かく震えるの
がわかった。そしてしばらく、抽送に変化をつけて真雪の反応を確
かめていた。
 堪えられないような切ない表情が浮かぶと、腰に廻された足が、
さらに奥へと肉樹を誘い込もうと押し付けられる。
 怒張した先が、壁に突き当たる感触を覚えた時、身体の奥から込
み上げつつある潮に気付く。
 そろそろ、ヤバイかな……。
 キスをして身体を離すと、あらかじめベッドサイドに用意してあ
ったスキンに手を伸ばす。素早く装着する間、枕に頭を埋めた真雪
が、眩しそうに見つめているのに気付いていた。
「ね、後ろからして」
 準備が終わると、うつぶせに身体を返した真雪が、誘うようにお
尻を持ち上げて見せた。
「……ダメダメ。年端もいかない高校生が、そんな風に誘っちゃ」
「もう」
 からかう様に言うと、唇を尖らせてすねた表情を作る。切れ長の
目の中で潤んだ瞳が、所在なさげに横を向いた。
「ひどいんだから。恥ずかしいのに……」
 可愛い!
 後ろから抱きしめて一気に貫いた。
「ア……」
 引き締まった形の良い胸の頂きに、手の平を押し付けた。そして、
捏ねるように刺激を送ると、腰をやや速く打ちつける。
 そして、うなじに唇を這わせると、そのまま耳たぶへと熱い息を
吹きかけ、耳の中に舌を入れる。
「あ、ヤダ、ダメだから……」
「もっとダメになって」
 腰の動きを早める。スキンの薄皮を通してなお、熱く潤った柔壁
は、締め付ける動きを伝えて切ないほどだった。
 限界が近いのがわかった。身体を離してくびれた腰に手を当てる
と、激しく突き入れる。真雪の口から絶え間ない喘ぎが漏れ始め、
突いていた腕を折って、上半身が崩れ落ちる。
 真雪!
 更に律動の速度を速める。突き出された腰と、限界まで怒張した
肉樹の間で、擦れ合う音が響いて止まらない。
「ヤダ、感じちゃう。圭吾君、感じちゃうよぉ」
「俺も。真雪、イッて……」
 なんて、深いんだろう。なんて、熱いんだろう。
「ア、イ、アアァァ……」
 振られた腰が、ねじり擦るような刺激を送った瞬間、圭吾も達し
た。身体の奥から次々と精が上り、解放されていく。蠢く真雪の柔
壁と共に、剛直はいつ果てるともなく震え続けているように感じた。
 そして痺れた身体が弛緩すると、後ろから身体を合わせたまま、
ふたり折り重なるように崩れ落ちた。
 滲み出た汗が、重なった身体の間から流れ落ちる。
 どれくらいの間だったろうか、荒い息をつく音だけが、ホテルの
淡い光の中に響き続けていた。
 そして、身体を離して仰向けになった時、真雪が低い声で言った。
うつぶせで枕に顔を埋めたまま、圭吾の方を見つめた瞳の色は、静
かな水面のように密やかだった。
「……美佳に、聞いたのね」
 圭吾は僅かに頷いた。ベージュ色の天井を見つめたまま、鼻から
息を吐いた。身体を求め合った感情の激流が、瞬時に静かな川面に
変わっていくのがわかった。
 これで壊れてもしょうがない。俺にはこんなやり方しか思いつか
なかったのだから。
「先生、ごめん」
 身体を起こし顔だけを向けたが、視線を合わせることはできなか
った。
「……勝手なことしてさ。でも、佐野さんに聞いた時、思ったんだ。
返答のない想いほど、辛いものはないって。だから、先生の気持ち
は、先輩の所で止まったまま……」
 圭吾には、それ以上続けることができなかった。哀しさとも、嫉
妬ともつかない感情が胸に兆して、目を固く閉じた。
 ……結局俺は、坂中とかいう先輩の身代わりでしかないのだろう。
 けれど、その時、裸の肩に柔らかい手の平の感触があった。
「圭吾君」
 目を開けると、正面に真雪の輝く瞳があった。
「美佳から何を聞いたかは知らない。でも、今日、わたしはすっご
く嬉しかった。だって、あの時の想い――先輩が好きだったわたし
の想いは、もう今では、ただの懐かしい記憶だってはっきりわかっ
たから。ほんとは怖かったんだ。それに気付いちゃうのが」
 そして、一度目を閉じ、静かに言った。
「…でも、その想い出を抱いていたおかげで、あなたに会えた。だ
から、意味があったの。そして、あの日のわたしには、これで、さ
よなら」
「真雪先生……」
 圭吾は真雪の穏かな表情の中にあるものが信じられなかった。本
当に、俺でいいのか?
 真雪は、口元に微かな笑みを浮かべると、首を振った。
「先生なんて言わないで。だってもう、あなたに導かれてるもの。
ありがとう、圭吾君」
「真雪せ…」
 唇が合わさった。
 肩に回された手に、初めは身体を固くして受け入れていた。でも、
次第に、身体の奥から強く激しい想いが満ち溢れてくる。
 真雪の細い肩に手を回すと、力一杯引き寄せ、唇を貪った。
 そして、とても長いくちづけの後、身体を離した圭吾は正面から
真雪の顔を見つめて言った。
「好きだ。真雪」
「うん。…わたしも大好き。圭吾」
 どちらからともなく笑いが込み上げる。そのままベッドにひっく
り返った圭吾は大きく伸びをした。
「大好きだ、真雪〜!」
 大声が、狭いホテルの部屋に響き渡る。
「大好き、圭吾〜!!」
 真雪も負けずに大声で叫ぶ。そして見つめ合って、また笑った。
「しょうがねぇ先生だなぁ」
「先生の前に、女だから」
「開き直るなよ」
「いいの!」
 そして、裸のままの身体を寄せると、囁いた。
「ね、もう少し、しよ」
 どうしよっかなあ、とわざとらしい表情を作った後で、圭吾は言
った。
「オッケー。腰、抜かすなよ」
 そして、長い夜が始まった。

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